第七章 京の花 2.
2.
夢窓は、現在の鎌倉の様子を簡潔に語り終えると、まだ今夜は尋ねる場所があると言い、身軽に立ち上がった。
別れ際、直義は頭を下げ願い出た。
「よろしければ、次は禅の教えについてお聞かせ下さい」
仏道に興味はないが、この僧の信じる教えならば、一度聞いてみたかった。
夢窓は目元をほころばせた。
「教えは人に会うたびに、新しく深くなる。拙僧の方から是非お願いしましょう」
夢窓が去ると、正季は「ふう」と息を吐いて足を崩した。
気を張るなと言っても、やはり自然と姿勢が正されるのだろう。
同じように、強張った身体を解しながら直義はぽつりと言った。
「法師達を処罰したことを責められるのかと思った」
「どちらかといえば逆だな。あんたは正しいって、お師匠も言っていただろう?」
全てを肯定するような意味ではなかったが。
「あの御方の声には、有無を言わさぬ力がある。間違っていると言われたら、すんなり従ってしまいそうだ」
「あんたに限って、それはないと思うがな。まあ、気晴らしになったなら良かった」
「まさか、俺の気晴らしで呼んだとかではあるまいな」
正季は右手に酒の器を持ったまま、左手を左右に振った。
「お師匠はこの家の主とも昵懇でな、俺があんたをここへ案内すると言ったら、顔を出そうって自分から来たんだよ。鎌倉の件を話しておきたかったんだろう」
「意に沿えると良いがな」
「できるだけで構わんだろう。むしろ、新しい話し相手ができたほうに喜んでいたようだし」
それにしても遅いな……と、正季が思い出したようにつぶやいた。
「なんだ? まだ誰か来るのか?」
「こちらが本命だ。この家の主に、あんたを連れてきてくれと頼まれた」
直義は思わず警戒する。
先刻の夢窓も不意打ちだったが、これだけの屋敷の主となると身分のある人物だろう。
「どなただ? まさかお前の兄者か?」
「そちらも会いたがってはいたが、今夜は戦勝の宴で宮中だ。あんたの兄上もご一緒のはずだぞ」
あぁ、と直義は思い出した。
「謹慎中の俺はともかく、お前は出ないでいいのか?」
「無礼講と言ってはいるが、帝や公家やらと一緒に飲むなんて、考えただけでも息がつまる」
正季の皮肉な物言いに、思いもよらない場所から非難の声が返った。
「貴公の兄君は、立派に務めてお出ででしたよ」
いきなり涼やかに響く声が聞こえ、直義はぱっと廊下を振り返った。
人影は少し離れた場所にあり、近づくに連れて部屋の灯りが白い姿を幽玄に映し出した。
あらわになったその細面を見て、直義は言葉を失った。
白の直衣。
烏帽子を着けているのでかろうじて男――少年だと分かる。だが……
(こんなに美しい顔がこの世にあるのか)
切れ長の目、すっきりのびた鼻梁、薄い口元、透き通るような白い肌に細い顎。
まるで木で彫られたような整った造形だが、清冽な瞳の光と合わせ、全身から艶やかと言っても良いほどの生気を漂わせていた。
少年は直義を視界に入れると、輝かんばかりに表情を明るくした。
優雅な仕草でその場に座り、頭を傾ける。
「お待たせして申し訳ありませんでした。宴から中々抜け出せず、失礼を致しました」
頭を下げられて、直義は困惑する。
「今噂をしていた所です、顕家殿。」
隣で正季が軽く頭を下げ、直義へ手を向ける。
「お分かりと思いますが、そちらが足利殿のご舎弟、直義殿です」
少年は直義を見つめたまま、嬉しげに手を合わせた。
「おう! 閻魔の如き仕置きと、仏の如き涼やかな面立ち。まこと噂どおりの御仁じゃ」
どう返してよいか分からず、耐え切れなくなった直義が、正季に向き直った。
「正季、こっちの紹介がまだだ」
すまんすまんと、ちっともすまなそうでない正季が笑いながら、少年を紹介した。
「直義殿、そちらの御方は北畠顕家殿という。お父上の北畠親房卿はご存知だろう? 顕家殿ご自身も、帝の覚えめでたき公達だ」
北畠親房は、帝の側近中の側近で、直義も何度か顔を合わせている。
親房の才気煥発な若君についても、噂で聞いていた。
直義は手を床に付け、顕家に向かい頭を下げた。
「お名前は兄からも伺っております、顕家殿。お初にお目にかかる。足利直義と申します」
「顕家です。お噂を聞いて、一度お目にかかりたいと思い、正季殿に頼みました」
法師共の処罰はともかく、まさか宮中にまで巷の下世話な噂が届いているとは思えない。
直義は正季を睨んだ。
「いや俺ではないぞ。いきなりあんたの話が出て、驚いたのは俺もだ」
正季の否定に顕家が頷く。
「直義殿のお噂は、町の者から聞きました。二条のこの屋敷を修繕する前から、私は幼い頃より、よく京の町には出ているのです」
直義も、公家がお忍びで町へ出入りするという話は聞いていた。
(しかし、こんな美しい顔立ちの童が表を歩いては、目立って仕方ないだろう)
よくも無事だったものだ――と見つめた直義の視線を受け、顕家はころころと笑った。
「私はすばしっこい童で、たいていの家人は追いつけませんでした」
「そんな調子で、顕家殿は弓や剣もよく扱う」
正季がさらっと付け加える。
「相手をさせた俺の部下が負けていた」
驚く直義の前で、顕家は正季に軽く頭を下げる。
「その節はご無理を言いました。己の技量を確かめておきたかったので」
「昨今は何かと物騒ですからね」
直義の相づちに顕家は頷いた。
「大塔宮様の勇姿を見て、私でも帝をお守りできるのではと、鍛えております」
「尊いお志です」
無難に返す直義の目の端に、面白そうにこちらを見ている正季が入る。
直義は大塔宮……護良親王自身に恨みはなかった。
(恨むには相手を知らな過ぎる)
親王の足利への言動、行動からすれば、本来はそれでも恨んで然るべき相手ではあるのだが。