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第七章 京の花 1.

1.


『京へ入って以来、多忙であったろう』


 骨休みと心得て、しばし遊んでおればよい――と言われても、歌舞音曲に親しむ高氏と違い、直義はあまり遊芸に楽しみを見出せなかった。

 久しぶりに弓を引いたりもしたが、結局時間を持て余した二日後の夕刻。


「こんな所でくすぶっているのか? もったいない」


 ふらりと訪ねて来た正季が、所在無げな直義を見て、笑いながら揶揄した。


「足利のご舎弟は、公明正大な色男だと巷で大評判だ。今なら町に出れば、女共が群がってくるぞ」


 楽しそうな正季の顔を見て、うんざりと直義は返す。


「謹慎中の身で、そんな真似ができるか」

「謹慎なんて形だけだろう? せっかく時間ができたんだ、よければ少し付き合ってくれ」


 暇なのを見透かされているのは面白くなかったが、直義はまあいいかと腰を上げた。

 幸か不幸か、騒がしい執事は、日ごろの多忙に直義の分が上乗せされ、評定所に詰め切りだった。

 大事な弟君を、荒れた京の町に一人で出す訳にはいかない――止めねばと分かっていても、師直がいなければ直義に強く出れる者はいない。

 おかげで直義は、「心配ない」の一言で供もつれずに、すんなりと屋敷を出ることができた。


「こっちだ、直義殿」


 正季は京の町中に詳しい様子だった。

 慣れた案内で賀茂川を越え、市が立っている通りに入る。

 そろそろ日が翳り出していたが、道はまだ人々で賑わっていた。


「この時間まで商売ができるようになったのは、あんたのおかげだ」


 雑談の合間にさらっと言われた言葉を、直義は素直に受け止められなかった。


「以前は少しでも暗がりが出来ると、たちの悪い人さらいが横行していたそうだ」


 知人が被害にでも遭ったのか、正季の横顔にかすかに険しくなった。


「兄者が宮様に言ったんだがなあ。梨のつぶてだった」


 直義は『矢張りそうか』と思ったものの、それでも、己が正しかったと単純に喜べなかった。


「あの時、ここにいる連中を少しでも思い出したんだったら、俺も立派なものだが……」


 市場を見ながら、直義がため息交じりに口を開いた。


「連中を処断したのは、あの悪僧共がとにかく気にいらなかっただけだからな」

「最初に話を聞いた時は、上と波風立てるなんて、あんたらしくないと思ったんだが、衝動的なのはらしいな」


 涼しい顔をした正季に、『衝動的』と評され、直義は少し口の端を上げた。


「あれでも少しは考えた。放免しても、どうせまた捕まるだろうから、次は赦さないとすれば、兄上の顔も立つかと」


 いや三度捕まれば、さすがに宮様も文句は言えまいと思ったが……

 それまでに出る被害、犠牲には目をつぶるのか?――と頭の何処かから声がした。


「北条が滅びたのは、一門のみを優遇し、遊行放蕩に耽った為だと。表向きとはいえ、恥ずかしげもなくそんな大義名分を掲げた己が、保身に走り、不正を見過ごすのか? と思ったら、耐えようもなく不快になった」


 まあ、衝動的といえば衝動的だな、という直義のぼやきが雑踏に消えていった。

 聴いているのかいないのか分からない風だった正季は、辻の前で立ち止まると、手で一方の路地を指し示した。


「美味い酒がある。行こう」


 口元に笑みを浮かべ道を曲がる正季の後に、直義も従った。

 着いた所は、どこかの貴人の屋敷に見えた。

 取次ぎに出た小者は、こざっぱりとした身なりで落ち着きがあった。

 案内に出てきた若い女も、奥向きの女房のようで、立ち居振る舞いに品がある。

 通されたのは、広い庭が見渡せるよう、二面が大きく開けた部屋だった。

 庭には大振りな石が並べられ、その間に水が流れるようになっている。

 全ては無造作に置かれたようでもあるが、見る者を惹き込む緻密な計算も感じられた。


「この庭は、夢窓禅師の構想だそうだ」


 目を大きく見開いて、心を奪われたように庭を眺めている直義に、正季が説明した。


「修行の一つとして、こんな庭をあちらこちらの寺や屋敷に作らせているらしい」

「面白いな。山の一部をそのまま持ってきたみたいだ。禅の精神と関係あるのか?」

「大方そんなものだろうが、俺には分からん。本人に聞いてくれ」


 直義が聞き返す間もなく、奥に続く廊下から、先刻とはまた別の女に先導されて、一人の小柄な僧侶が現れた。

 以前出会った時の、薄汚れた粗末な旅装とは違う。

 袈裟も衣も新しく、帝の衣と同じような、鈍い光沢を放つ高価な生地を纏っていたが、天狗から直義を救った僧侶に間違いなかった。

 正季が僧侶の傍に行き、直義の前に連れてきた。


「久方ぶりです、足利のご舎弟。ご健勝の様子でなにより」


 心のこもった言葉と笑みを見て、直義は慌ててその場に膝をついた。


「一別以来です、禅師。その節は真にお世話になりました」


 夢窓は微笑み、すたすたと部屋を横切ると席へとついた。

 正季もそれに倣い、夢窓の右斜め前に座り直義を呼ぶ。


「こう見えても、このお方は堅苦しいのを好まん。気を張っても疲れるだけだぞ」


 宮中や格式の高い寺に出入りする禅師に、それでいいのかとも思ったが、直義が文句を言う筋合いでもない。

 直義も大人しく、正季の向かいの席に着いた。

 直義が腰を落ち着けるのを見ていたように、膳が運ばれてきた。

 しばらくは夢窓の石庭の解説を聞きながら、正季の予告通りの美味い酒と、肴に舌鼓を打っていた。

 だが正季がおもむろに、


「禅師は帝の招聘により、鎌倉から着いたばかりだ」


 と告げると、直義は盃を置いて夢窓に向き直った。


「禅師から見た、今の鎌倉の様子は如何でしたでしょうか?」


 尋ねたいことは多々あったが、相手を考え直義は当たり障りのない聞き方をした。


「新田軍が入ってからの一連の混乱は、収まったように見えます」


 だから拙僧も鎌倉を出ました、と続ける夢窓の様子からは何の感情も見えなかった。

 一呼吸置くと、今度は夢窓の方から口を開いた。


「直義殿に、私からお願いがあります」


 変わらぬ淡々とした声だったが、直義は居住まいを正し、頭を夢窓の前に傾げ


「なんなりと」


 と返した。


「鎌倉の幾つかの寺に、戦で行き場を無くした者達を集めてあります。半数は鎌倉の外に出しましたが、半数はまだ動かせません。その者達の保護をお願いできましょうか?」

「分かりました。代官として鎌倉に派遣した細川和氏に、すぐさま書状を届けます。ただ……北条所縁ゆかりの者はお許しください」


 幾日か前、直義はその和氏からの文で、北条に連なる者を密かに鎌倉から脱出させた者がいるという報告を受けていた。

 夢窓とは限らないが、なまじっかな伝手のない者では無理な行いだろう。

 一応の釘を刺したつもりだが、夢窓は別の所から切り返した。


「子供でもですか?」


 夢窓の鋭い視線と声に、直義は迷いなく、できるだけ峻厳に聞こえる声で返した。


「子供でもです」


 例え子供でも、生かしておけばいずれ兵を挙げ、足利を滅ぼしに来る。

 ましてや、北条の血縁はまだまだ各地に散らばっている。

 夢窓に軽蔑されようと、直義は足利の当主の弟として、ここで引き下がる訳にはいかなかった。

 だが、夢窓は口の端を緩やかに上げた。


「成程、貴方は常に間違わない。己の中に揺るがない、美しい芯を持っている」


『若様には花がありすぎる』――直義の耳に、以前夢窓に言われた言葉が蘇った。

 今の言葉は、それと同じ響きを持っていた。


(既に遠い昔のことのようだが、あれからまだ一年しかたっていないのか)


 直義は改めて、この一年の流れの早さを感じた。


「……だが、他の人間はそうはいかない。貴方の正しさはいつか、貴方自身の障りとなりましょうな」


 謡のような夢窓の言葉の意味を、訊き返すのはどこか怖かった。

 直義の迷いを見て取ったように、正季が声を挟んだ


「お師匠。わざわざ在家の人間と、禅問答をしに来たのではないでしょう?」


 夢窓が、呵呵かかと笑った。

 直義の身体からふっと力が抜けた。


「そう申すな。心の強い相手と話すのは楽しい。哀しいかな、手ごたえのある者は中々おらん。お主の兄のように、掴みづらいなまずのような者も困るがな」


 楠木正成は鯰か。

 一度見た細い顔を思い出し可笑しくなる直義の前で、正季も「そうでしょうね」と明るく笑っている。


「あんな男ばかりなら、この世も平和になろうて。だが、滅多におらぬから……この世は修羅ぞ」


 何気ないつぶやきに籠められた重い声音に、直義は背筋がぞくっと冷たくなった。

 ただ、どんな言葉を発しても、夢窓の小さな目はあくまでも穏やかなままだった。

 直義は畏敬の念を新たにして、禅師を見つめた。





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