第六章 将軍親王 5.
5.
一方、京には人が増え、市場には活気が戻ったが、それと比例するように治安は悪化する。
あちこちで起こる小競り合いや盗人、強盗の横行に頭を悩ます直義を見て、高氏はすまなそうに告げた。
「帝から、都の警護は足利に任せるとのお言葉をいただいた。お心は嬉しいが、大変なお役目だ」
せめてお前の好きにやれば良い――との言葉に、直義は決済の並んだ文机に向かい、投げやりにつぶやいた。
「……有難い仰せで」
だが兄相手に毒づいても仕方ないと思い直し、直義は顔を上げ、「承りました」と頭を下げた。
「努力してみましょう。都がこんな有り様じゃ、義姉上や千寿も呼べませんしね」
「そうだな……」
弾まない返事に、おやっと直義が思う間もなく、高氏は静かに立ち去った。
京に来るまでは、高氏と登子の関係は良好だったので、深く考えず口にしてしまったが、今の高氏や直義は、登子の実家を滅ぼした張本人だった。
高氏にも覚悟はあっただろうが、いざその時になってみると顔を合わせづらいのだろう。
「無神経なことを言ったか……」
思わず口に出すと、広間の隅で書簡に埋もれていた師直が
「いいんですよ!」
と声を張り上げた。
「奥方様の件も含め、此度の殿の煮え切らない態度で、ご舎弟や私を始め皆が、てんてこ舞いしてんですから」
家中には、護良親王だけでなく、親王を征夷大将軍に着けた帝を非難する者も多い。
師直はその中でも急先鋒だった。
「大体、公家連中に下々の政などできる訳がないじゃないですか。分かっていて、放置した結果がこの様です」
師直は手にした訴状の束を、どさっと床に放り出した。
「宮様の征夷大将軍だって、実際何もできやしないんだから、従来通りお飾りの名誉職と思えばいいんですよ。なのに殿は遠慮ばかりで、何一つまともにできやしない!」
直義にもその気持ちは痛いほど分かるが、一緒になって不平をぶちまけられる立場ではない。
「兄上もお辛い立場なんだよ、師直。俺達、臣下が分かってやれんでどうする」
そうはいいますがねー、という師直のぼやきに、廊下をどたどたと走ってくる音が重なった。
「誰です? 無作法な」
師直は文句を言いつつ立ち上がり、それこそ無作法に書状を蹴倒して廊下に向かう。
「騒がしいぞ! 何事か」
声を聞いて駆け込んできたのは、市中見回りに割り振った直義の部下だった。
「執事殿! 直義様に急ぎご伝言を」
「ご本人も此処におられる。さっさと申せ!」
男は直義に気づき、急いでそちらへ向き直って膝を折った。
「二条河原で乱暴狼藉を働いていた荒法師共を取り押さえたのですが、その処遇についてご指示を仰ぎたく……」
「ご舎弟に聞くまでもなかろう。強盗ならば死罪だ。六条の獄に放り込め」
その為のお役目ぞ!と喝を入れられたが、男は恐れ入りながらも告げた。
「それが、どうやら法師共は、『殿の法印』殿の配下のようで……」
動物じみた唸り声を上げた師直が片目をしかめて、直義を振り返った。
『殿の法印』は天台宗の僧で、護良親王の腹心の部下として有名であった。
(まずいな)
とっさに直義もそう思ったが、現行犯で捕らえた者を、そうやすやすと放免する訳にもいかない。
「六条の獄へ入れておけ。俺が直接詮議する」
「はっ!」
一礼して立ち去る背中を見ながら、やれやれと直義は立ち上がった。
「坊主どもの横行が頓に目立つと思えば、山から下りてきた大猿どもだったようですな。自らの配下も御せない『征夷大将軍』様とは笑わせる……」
師直の口上が終る前に、直義は動き始めた。
「おや。ご舎弟、いずこへ?」
「聞いていたろう、六条だ」
「そう急がずともよろしいのでは……?」
どうせ放免にせざるを得ないなら、少しは獄で不自由な思いをさせろ、との師直の言に、直義は首を振った。
「詮議には、罪の記憶が新しい内がいい」
「それはそうですが……罪を罪と思うような輩だといいですな」
不服そうだったが、師直も直義の後に続いた。
結果からいえば、師直が正しかった。
荒法師どもは格子戸の向こうから、乱暴狼藉は認めたが、
『だからどうした』
と口と態度で直義に毒づいた。
始終にやにやと笑っていることを含めて、己らがすぐに放免されると、微塵も疑っていない様子だった。
兵士らの糾す声や、法師どもの喚き声が、薄暗い閉ざされた獄舎に響く。
重ねて、繰り返されるガチャガチャした雑音を受け止めている内に、直義の中で何かが弾けた。
「黙れ」
さほど大きくなかったが、直義の硬く重い声は、獄の澱んだ空気を吹き飛ばした。
あれほど騒がしかった舎内が静まり返る。
「お主らは罪を認めた。ならば罰を受けねばならん」
静かな口調で直義が告げた。
側にいた師直や兵士が、ぎょっとしたように直義を見た。
法師の一人は気を取り直して、がははと笑い出した。
格子戸から腕を伸ばし、「よせよせ」と直義に対して手を振ってみせた。
「若いな? つまらぬ血気に逸るなよ。上から御咎めを受けるはお主ぞ」
「上とは誰だ?」
直義は真正面から法師を見据えた。
「京の警護は、帝より正式に『足利』へ命ぜられたお役目だ。我が名は足利直義。警護の職務は、当主より一任されている」
上はおらん――と、直義が言い放つと、ざわっと、法師達が色めきたった。
「ほざくな! たかが武士の分際で」
吐き捨てるような言葉に、直義は口の端を大きく引き上げた。
「そうだ。古より、罪人の処刑は武士にしかできん。手を汚さん僧侶や公家とは違う」
きっぱりと断じると、直義は係官達に向き直り、声を張り上げた。
「罪状はいちいち明白。これ以上の審議の余地はない。こやつらを斬首して、首は四条河原に晒せ!」
一拍置いて、「ははっ!」と、兵士達が声を揃えて直義に平伏した。
続いて法師共の罵声、奇声が聞こえたが、直義は振り返らず、獄を後にした。
「さすが直義様です! いや、すっきりしました!」
後からついてきた師直が、興奮気味に口を開く。
「連中のふてぶてしい態度には、私もあの場で刀を抜きたくなったほどです……が、大丈夫ですかね?」
大丈夫なわけはない。
どうせ後で兄相手に申し開きをせねばならないが、面倒なので直義は「さあな」と返した。
荒法師達の処分は、瞬く間に京中に広がった。
参内中に噂を聞いた高氏は、すぐに六波羅に戻り、直義を呼び出した。
「済んだことだ。くだくだ文句は言わん。だが、私に相談する間もなかったか!?」
直義は神妙に畏まって答えた。
「兄上に相談したら、止められると思いました」
「それが分かっていてすぐに刑を執行したのか、お前は?」
聴きようによっては高氏への反逆である。
だが直義は淡々と言葉を続けた。
「既にあの者らは数回に渡って、乱暴、強盗、拐かしなどで市中を騒がせておりました。しかも、それを悪いとは少しも考えておらず、ここで放免しても、また罪を繰り返すのは必定――と判断致しました」
「私が帝を通して、『殿の法印』へ勧告すれば、乱暴狼藉が治まると思わなかったか?」
「帝は直接、『殿の法印』へお言葉を掛けず、まず護良親王へ話を通そうとなさるでしょう。事の真偽はどうあれ、護良親王が兄上からの訴えを聴くはずは、まずありますまい」
直義の感情を廃した声に、高氏はかっと大きく口を開いたが、言葉は出さずそのまま閉じた。
少しして、高氏は苦い笑いと共に再び口を開いた。
「はっきり言い寄るわ」
直義はダンッと音を立てて、兄の前に両手をついた。
「勝手をして申し訳ありません! 全てこの直義が独断で行ったこと。主を蔑ろにした罰として処分したと、帝にお伝えください」
頭を床に付けたままの直義の背後から、遠慮がちに師直の弁明が入った。
「殿ぉ……法師共の処刑は、京の民からとても好意的に受け止められております。影で我らを東夷と蔑んでいた者も、さすが武士は一味違うと協力的になったとの報告もあります。今後、町中で暴れる者も減ると思いますし、正直、ここまで足利の名を上げたご舎弟を処分するのは、如何なものかと……」
師直の長舌を、高氏が手を振り遮る。
「もうよい! 直義も顔を上げろ」
高氏の眉は寄せられていたが、目と口元は柔らかく緩み直義を見ていた。
「困った弟だ。私より知恵が回るくせに、保身に使わぬ」
「申し訳ございません」
再び頭を下げる直義を高氏は手で制す。
「直義、ほとぼりが冷めるまで、お前は謹慎しておれ。その間に、詮のなかったことと帝にご報告すれば、親王殿下にも伝わろう」
伝わったところで、納得してもらえる訳ではない。
この場にいる皆が分かっていたが、それ以上を望む者もこの場にはいなかった。
――――――――――
第六章終了です。