第六章 将軍親王 4.
4.
六月十三日、信貴山から降りた護良親王は、征夷大将軍の座についた。
足利の立場を慮った帝は、鎮守府将軍という地位を高氏に贈ってきた。
それでも、家中では当然
『源氏の棟梁を差し置いて、征夷大将軍を親王に任ずるなど!』
と、憤懣やるかたない様子だった。
師直や家臣を宥めた後、高氏は直義にもらした。
「これで良かったのかも知れぬ」
意思を測り兼ねて直義が黙っていると、高氏は続けた。
「ああまで足利を敵視されたままでは、遠からず争いになろう」
誰を指しているかは明白だった。
楠木正成の危惧通り、護良親王は高氏との初対面の場で、声を荒げて高氏を糾弾した。
『主を討つなど武士の風上にもおけん奴!同席するだけで穢れるわ』
帝が怒って退去を命じるまで、護良親王は高氏を悪しざまに罵った。
その場には直義も居合わせていた。
弟として直義も怒るべきなのだろうが、親王の激昂する様は、どこか泣き喚く赤子のようで、言い返す気力が湧いてこなかった。
結局、高氏も直義も無言のまま、どすどすと退場する親王を見送った。
「帝の御子が相手では争う訳にも行かぬ。それに、主が北条でなく歴とした親王様なら、ご先祖様方も納得されるだろう。我らはその下で武士を治めれば良い」
高氏らしい優柔不断さだったが、これで立場的にも精神的にも落ち着くのなら、直義に否はなかった。
「兄上がそれでよろしいなら、私にも異存はありません」
「苦労をかけるな」
弱く笑む兄に、直義はことさら平然と肯定した。
「全くですよ。兄上が鎮守府将軍なんて肩書きもらってくるから、ますます全国の武士が、足利を頼ってくるじゃないですか。京の整備だけでもう手一杯なのに」
すまん、すまんと高氏は苦笑する。
「このところ、お前や師直に任せきりだな。出来る限り私も……」
手伝おう…の言葉を、直義はぴしゃりと跳ね除けた。
「兄上は一族の者の説得に回ってください。征夷大将軍の件では師直どころか、伯父上も納得していませんよ」
ぐっと口をつぐんだ高氏に構わず、直義は別の懸念事項を尋ねた。
「それと、もう正式に六波羅に役所を作り、所領を安堵してやったほうが、混乱が収まると思うのですが」
帝は、六月十五日に『個別所領安堵法』を発令した。
この法に寄れば、鎌倉幕府の決めた所領はすべて無効で、後醍醐帝の承認による所領だけが有効とされた。
(――かと言って、『帝の綸旨』がそう簡単に降りる訳もない)
既に己の所領を認めてもらうため、諸国から武士が六波羅に押し寄せていた。
今の足利の立場では、帝に取り次ぐので待っていてくれと、記帳させる位しかできない。
発令が諸国に広がるにつれ、京を目指す武士は増える。
このままでは、遠からず京の町は、領地に帰れない武士で溢れるだろう。
腕を組んだ高氏は、眉間に皺を寄せた。
「その辺りは難しいな。帝は何でも御自らやろうとなさっているから」
年号を正慶から元弘に戻した時に、帝は政治を『公家一統』に戻すとも発表していた。
これより先、所領や法令、全ての政治的判断を朝廷で、帝が行うと宣言したのだ。
「だからと言って、全ての訴状に帝が目を通し採決していたら、途方もない時間が掛かりますよ?」
高氏も分かっているのだろう。
眉間のしわをますます深くして、考えこんでしまった。
数日して、武士の訴状を取り扱う役所として、『記録所・恩賞方』が出来た。
ただ、その運営管理は後醍醐帝に従った公家に任された。
公家達は内裏に訴状を持ち帰り、帝の裁定を仰ぐのだが、全てに目を通すことなどできるはずもなく、帝の代理、またその代理が署名した綸旨が巷に流通した。
一つの所領に対し、二者に、あるいは三者に、安堵の綸旨を発行する事故も多発し、一度領地に戻り、新たにまた京に戻ってくる者も出ていた。
「偽の綸旨も出てきたそうですよ、直義様」
呆れたような、疲れたような口調だった。
始めの方こそ師直も、『だから言わんこっちゃない』と、この騒動をせせら笑っていた。
しかし綸旨の混乱により、奉行所に持ち込まれる仕事が増え、さすがに今は辟易した様子だった。
「ありそうな話だな」
相槌を打つ直義の脇にも、決済を要する書状が山と積まれている。
綸旨を発行する者が一人ではないので、本物と偽物の判断は難しかった。
その結果、事態は混乱の一途を辿り、最初の懸念通り、京は訴状を抱えて走り回る武士で溢れかえることになった。