第六章 将軍親王 2.
2.
二人が仮御所から六波羅に戻ると、赤松則村を師直がもてなしていた。
目ざとく高氏と直義を見つけた則村は、手に酒の入った盃を持ったまま大仰に立ち上がった。
「おぉ、足利殿とご舎弟! 帝に会われたそうだな、どんな様子であられた?」
則村は、共に京に攻め入って以来、何かと足利の陣中に姿を見せていた。
足利にとっても、播磨一帯に力を持ち、淀川の流通を握っている則村は、親しくして損はない相手だった。
「これは赤松殿、先だっては木材の他、石材まで都合していただき、まことに有難うございました」
高氏が折り目正しく頭を下げると、則村は日焼けした顔をより赤くして手を振った。
「よしてくれ。街を壊したのはワシも他の連中も同じじゃ。足利殿だけに、方々の普請を任しておるのはなんとも心苦しいわ」
則村は高氏に盃を持たせ、酒を注いだ。
自分はいなくても大丈夫だろうと、そっと部屋を出て行こうとした直義の袖を、いつのまにか後ろに来ていた師直がそっと引いた。
「ご舎弟、ご舎弟には、別口の御客人がいらっしゃっております」
小声で耳打ちされ、直義はふうと息を吐いた。
最近の六波羅には、周辺各地の武士や土豪がひっきりなしに尋ねてきていた。
北条一族が討たれたのを聞きつけて、次の主として足利を頼って来たのだ。
(すべては土地の問題だ)
鎌倉に幕府が立って初めて、武士にも土地の所有権が認められるようになった。
それまでは天皇や公家に独占されていた権利だ。
――だが、その鎌倉幕府が倒されてしまった。
権利を保証していた鎌倉幕府が倒されてしまったということは、下手をすると幕府から認められていた土地すべて宙に浮く可能性があった。
武士にとっては一大事である。
(所領が取り上げられてしまう前に、なんとか新たに権利を認めてもらおうと、それは分かるが……)
北条が倒れたと言っても、高氏が幕府を継いだわけでも、征夷大将軍の地位についたわけでもない。
(実際、今の足利には何の権限もない)
つまり、所領の安堵を約するわけにはいかない――にもかかわらず、当主である高氏が、いちいち丁寧に応対するので、直義も師直も無碍にはできなかった。
またその類かと、仮の評定所に使っている棟に向かおうとした直義を、師直が止めた。
「いえ、御客人は直義様のお部屋にお通しておきました」
直義は不審げに眉を寄せ、師直をにらんだ。
「誰だ?」
「昨年の夏、鎌倉に尋ねていらした御方です」
すまして答える師直の顔を見返すこともせず、直義はすぐさま踵を返し、足早に部屋へ向かった。
足音で分かっていたのだろう。
部屋口に現われた直義に向かい、楠木正季は手をついてすっと頭を下げた。
今日は髪も身なりもすっきりと調った狩衣姿である。
「ご無沙汰をしております」
足利殿にはご機嫌よろしく……と口にして、正季は下を向いたままくっくっと笑いだした。
「似合わんな」
「おう」
つられて直義も笑いながら、席に付いた。
「久しぶりだな、楠木正成の弟」
「変わらないな、足利のご舎弟は。ご無事でなにより」
目を細め、口の端を上げると、改めて正季は直義に向かい深く頭を下げた。
「いや、よく京に来てくれた。……助かった」
静かな声だったが、重く熱が篭っていた。
直義にとっては、足利は動かざるを得なかったものと信じている。
だが傍から見れば、足利が鎌倉を裏切るかどうかは、際どい賭けのようなものだったのかもしれない。
「お互い様だ」
直義も感情をこめて告げた。
「西がねばってくれたおかげで、こちらもすんなり鎌倉を出ることができた。お前こそ無事だったのか? 見た所怪我はないようだが、千早城は激戦だったと聞いたぞ」
正季は目元を緩め、少し困ったような笑みを浮かべ、手を振った。
「俺はなんともない。兄者が張りきり過ぎて脇に打ち身を負ったが、もうそろそろ治る頃だ」
「それは災難だったな」
(京に入った時はまだ戦の色が濃かったから、怪我をおして振る舞っていたのだろう)
帝の手前もあるしな……直義は、すぐ納得したように頷いた。
「ああ、正成殿は静養されているのか。今日御前にいらっしゃらなかったので、兄上が残念がっていたぞ」
「まあ、別件もあったんだが……」
微妙な言い回しをした正季は、そこで言葉を切り、少し前へ身を乗り出した。
「先程まで、兄弟で後醍醐帝に会っていたんだろう? どんな印象を持った?」
直義は頭の中で、先刻の後醍醐帝の様子を、改めて見つめ直した。
「どんなというか……難しいな。当たり前だが、公家とも武士とも違っていたな。掴みどころがないせいか、手強いとも思ったよ」
帝にこんな言葉を使うのもおかしいかもしれんが……と断る直義に、成程、と正季は相槌を打った。
直義は正季に問い返してみた。
「お前はどう思ったんだ? お会いしたことはあるんだろう?」
「遠くから見ただけだな。あの御方は、兄者以外目に入っていないようだったからな」
直義には、その情景が目に浮かぶようだった。
「俺も直接言葉を交わしたわけじゃない。感動していた兄上には悪いが、あまり話をしたいとも思わなかったしな」
「足利の総領殿は、あの御方が気に入ったのか」
「おそらく……気になるのか?」
直義の問いかけを、正季はあっさり認めた。
「そりゃあな。今をときめく足利が、帝へどう接するかで、身の振り方が変わる相手はたくさんいるぞ」
(確かに、武士達は続々と此処へ集ってくるが……)
現在の武家の頂点は、足利だと思われているのかも知れない。
だが、北条の支配や、源氏の呪いからさっさと脱したいだけだった直義には、正直なところ今の状況は、にわかに飲み込みづらかった。
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※『一所懸命』という言葉の通り、この頃の武士にとって土地というのは命懸けで守るものでした。
※土地を安堵する=武士も土地の所有者になれる、ってんで幕府=頼朝が支持されたという面もあります。
当然、主人なんて幾ら変わっても所領が安堵されればOK!なところがあったのですが…この後、この土地の所有権問題は大騒動になっていきます(-_-;)。