第五章 紅蓮の途 4.
4.
京を護る六波羅軍は、昨日までの味方に急襲され、あっけなく潰えた。
また、足利が六波羅軍を蹴散らすのを待っていたように、赤松・千種軍も京へ攻め上ってきた。
先を争うように三つ軍勢が入って来て、京は大混乱に見舞われた。
「師直! 師直はいるか?」
六波羅に置かれた幕府の拠点には、戦乱を避けるため光厳天皇の仮御所が置かれていたが、直義たちが着いた時には、天皇も公家達も残っていなかった。
噎せ返る血臭の中、留守居の武士達の亡骸が、あちこちに転がっている。
「ご舎弟、師直はここにございます!」
血塗られた刀を引っ下げて、師直は直義に応えた。
「師直、ほぼ六波羅は鎮圧した。兄上からの命令だ。我らはここで、ひとまず引き上げる」
「なんとおっしゃる! 戦場はまだまだありましょうぞ!」
「そちらは、赤松氏や千種卿に譲れとおおせだ。我らは京の治安に当たるぞ」
ふくれた様子だった師直は、吠えるように息を吐くと、刀を振って血を払った。
「殿はご無事でしたか? 獅子奮迅のお働きを見かけましたが」
「ああ、鬼神のようだったな。今は落ち着かれている」
(返り血の他に、自身の怪我も多少はあるようだったが……)
高氏が構うなと言うので、直義は従者を付けて置いてきた。
眇めるような目で周囲を見回していた師直が、急に疲れた声を出した。
「……こう、あっけないと。伏兵でもいないと、却って具合が悪いですな」
興奮が収まってきたのだろう、直義にも気持ちは分かる。
準備に掛かった時間と労力、それに鎌倉幕府に対する積年の『思い』が、この半日の戦さと釣り合いが取れていなかった。
「伏兵はあるまい。余分な兵は全て千早城だろう」
光厳天皇を連れて逃げたという北条仲時、時益はまだ見つかっていない。だが彼らもそれほど兵は連れていないはずだった。
「京の戦は我らの圧勝だ。あとはその千早城を攻めている六波羅軍と……」
直義の言葉を師直が引き取った。
「鎌倉ですな」
京に攻め入ったのは日が中天に掛かった頃だったが、夜にはもう大勢が決していた。
勝利に湧き返る軍勢の中、高氏は一人、月明かりの下、焼け落ちた京の町を見ていた。
「兄上」
探しに来た直義を振り返らず、高氏は声を震わせた。
「見よ、直義。あの美しかった京の町がなんと無残な……」
「それが戦と言うものだ、兄上」
冷たく言い放つ弟に、兄は恨みがましい目を向けた。
「我らの軍は、兄上の言いつけを守り、火付けや略奪には加わらなかった」
足利に従った軍勢には、町屋を襲うよりも確実な報酬を約束している。
それでも血に酔い、乱暴狼藉を働いた者もいたが、戦の熱が冷めた後は、むしろ秩序回復に回っていた。
だが余所の軍はその限りではない。
近隣の守護や地頭、悪党やらの寄せ集めで作られた、後醍醐側の軍勢は容赦なく京の町を蹂躙した。
「おかげで、お味方の軍と何度か衝突した。今後のしこりにならねばよいと思うが……」
「これからはお互いに国の復興に邁進するのだ。そのような懸念は不要だ」
怒ったように言い放つ高氏に、直義は適当に相槌を打ったが、兄の言葉はあまり信じていなかった。
(何かを得るための同盟は、得た後に解かれよう)
その後のことを考えると頭が痛かったが……
「兄上、今は我らも酔いましょう」
今くらいは……と直義が笑むと、高氏は一時虚を突かれた顔になった。
そして闇の中に小さく、「すまぬ」という言葉が溶けていった。
「そうだな、直義。今日は我らの勝利じゃ。共に酔おうぞ」
やきもきしながら待っていた師直は、戻ってきた兄弟の穏やかな表情を見て
「遅いですぞ!」
と泣き笑いの顔で怒鳴り、いそいそと盃を用意した。
京を攻め落としてから二日。
光厳天皇と、後伏見、花園両上皇を連れ、鎌倉を目指していた北条仲時が見つかったとの報告が入った。
「仲時を始め、主従合わせて五百人余りが、近江蓮花寺で自刃した模様ですが、天皇と上皇方は無事とのことです」
(自刃するのは武士だけだな)
居合わせた公家達は、ここで死ぬと言いう武士とその郎党に震え上がり、我先にと逃げ出したという。
北条時益はこれより以前に、落武者狩りに会ったらしく、山の中で無残な死に様を晒していた。
命からがら、京より逃げ落ちた兵によって、六波羅陥落の報は、千早城攻めに参加していた鎌倉の御家人達にもすぐ届いた。
慌てて京に戻ろうとした幕府の軍勢は、変事を察した楠木軍によって背後から襲われ、ほぼ壊滅状態になった。
「これで京を襲われる心配がなくなりましたな」
楠木軍の勝利を聞いて、師直はほっと息を吐いた。
「うかうかしてはおれんぞ、師直。京がもう安全だというなら、兄上が町の復興をするというのを止められぬ」
「天皇、上皇方は御所を何とかせよと矢の催促ですが……」
「その辺りは千種卿にでも任せておけ」
京周辺は落ち着いても、まだ鎌倉が残っている。
いざという時に、すぐ動ける軍勢を手にしておかねばならなかった。
とりあえず足利軍は、焼け落ちた六波羅の一角に仮の奉行所を建て、戦の後始末や京の治安に当たった。
そして、京攻めから十日が過ぎた後。
千寿王に付けていた足利の家人・細川和氏から、新田軍が武蔵国、分倍河原で北条泰家を破ったとの報が入った。
「ご舎弟! 関東から文が届いたと?」
町の再建に使う材木の監督をしていた師直が、普請現場からどたどたと駆けて来た。
「今、兄上へ報告したところだ」
「我らが京に攻め入ってすぐに、新田殿も起ったと聞いてますが」
「そうだ。千寿を連れて新田と合流すると言ってきてから連絡がなかったが、既に武蔵国で戦に入っておったらしい」
「武蔵ならば、鎌倉は近うございますな!」
「あぁ、もうあちらでは次の戦に入っているやもしれん」
五月八日、上野国生品神社で、たった百五十騎で新田義貞は兵を挙げた。
五百騎を連れた千寿王とは、翌九日に合流。ここから一気に新田軍は、関東近郊の源氏の兵を吸収しくことになる。
十五日に、鎌倉から出てきた北条泰家を破った時には、総勢は一万とも十万とも噂された。
「十万はなかろう」
「ありえませんが、そのような噂が出るほどの勢いだったのか、あるいは……北条方の弱さが、敵を大勢に見せたのかもしれません」
高氏は「さもありなん」と頷いた。
新田軍に千寿王がいることは、無論直義も伝えてあった。
『そうか。ならば無事だろう』
鎌倉から逃がした後の、千寿王の身の振り方を相談した時もだったが、高氏は今度の報も平然と受け止めた。
十八日には、新田軍は大船で北条軍と遭遇。
北条軍は撃破され、大将を務めた赤橋守時は戦死した。
『おそらく、家主である守時殿は、登子様と千寿王様を初めから逃がすおつもりだったとお見受けしました』
登子と千寿王を赤橋邸から連れ出した者が、後に直義に語った。
『お二方の警護は形ばかりで、夜になると皆早々に寝付いておりました』
屋敷から連れ出す際は、むしろ登子を説得するほうに苦労したという。
「守時殿は最期まで、誇り高き武士であったな」
遠くを見つめて、祈りのようにつぶやかれた兄の言葉に、直義も黙って頭を垂れた。
そして、二十一日。新田軍はついに鎌倉市内に攻め入った。
得宗・北条高時は、東勝寺で一族郎党八百七十余人と共に、自害して果てた。
他、北条一門や幕府に連なる者、六千余人が鎌倉で躯と化した。
こうして、源頼朝が開いてより百五十年。
初めて武家による政治を行った鎌倉幕府は、この世より潰えた。
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・栄枯盛衰。第四章終了です。
・武家による政治、といって平清盛を思い出す方もいるかも知れませんが、彼はむしろ公家や帝になろうとして、武家らしさを失い武家に恨まれた側なので、武家として天下を取ったのは源頼朝になります。
…数年前のNHK大河の『平清盛』は、とても面白かったっす!
…個人的にあれ以上の時代劇は、もう作られないだろうなと思いました。
…ご意見ご感想お待ちしております。