第五章 紅蓮の途 3.
3.
足利軍は、四月の終わりに丹波、篠村八幡宮に入った。
まだ未明だったにも関わらず、各地から駆けつけた源氏の兵で、辺りは、はちきれんばかりの熱気に包まれていた。
「壮観ですな……」
感心しているというよりは、どこか呆けているように師直がつぶやいた。
八幡宮の禰宜の先導で、高氏の軍が奥へ入っていくと、方々から歓声が湧いた。
「およそ一万の兵が集まったようです」
各軍からの報告を受けていた憲房が、高氏に告げる。
この先も増えていきましょう――の言葉に、師直が皮肉に付け加えた。
「勝てば、ですな」
小声だったので、直義にしか聴こえなかったろう。
「負けると思ったら戦などせん」
「道理ですな」
集まった兵に向け、今度は高氏もいちいち士気を鼓舞するような言葉はかけなかった。
社殿の前に来ると、高氏は直義に白い布を寄越した。
広げると旗である。白は源氏の旗印だ。
頼朝公の血筋が絶えた後、北条を恐れ、すべての戦場から消えた旗だった。
思わず師直を振り向くと、師直は驚いて首を大きく横に振った。
「これは……? 兄上が用意していたのですか」
「いや」
否定した高氏の口元が歪んで、笑みの形を作る。
「出陣に際し、得宗殿が餞別に寄越したものだ」
直義は旗を握り締めて絶句する。
思い返せば、鎌倉を出るにあたって幕府へ寄った際、確かに高時が高氏に何か渡していた。
(あの時の品はこれか!)
高時がどんな気持ちで、白の旗布を用意させたのか、考えるだに複雑な感情が頭と腹で渦巻いた。
(仮にも武家が、源氏の旗印を知らぬわけはあるまい……)
側にいた憲房も師直も、顔から血の気が引いていた。
ただの皮肉か、的外れな好意か、それとも挑発か測り兼ね、動きが止まった直義を、高氏は静かな口調で促した。
「直義、源氏の旗を揚げよ。……ただの布だ。噛み付いたりはせん」
噛み付きはしないでも、呪われるかもしれない――この場にいた、高氏以外の者は皆そう思ったに違いない。
(いや、元より呪われるのは覚悟の上だ)
直義は高氏に一礼して、白い旗を竿に通すと、高々と揚げた。
場が徐々に静まっていく。
旗の意味に気づいた者から口を閉じ、食い入る様に白い布を見つめていた。
「南無八幡大菩薩、ご照覧あれ……」
高氏は地の底から響いてくるような重い声で唱えると、兵達に背を向けたまま、右手を空を指すように真っ直ぐ振り上げた。
「あれにはためくは、我ら源氏の白旗!」
突然、高氏が大きく張り上げた声に、うおぉぉー!と一万の獣のごとき咆哮が呼応し、大地を揺るがした。
「いざ出陣じゃ。敵は六波羅。北条ぞっ!」
殆ど言葉を成さない唸り声の逆巻く中、高氏は素早く馬に乗って駆け出した。
他の者もあわてて騎乗し、高氏の後を追う。
こうして一万余りの兵は、怒涛の勢いで京を目指した。




