第五章 紅蓮の途 2.
2.
足利軍は京の近くで、同じ第二軍の名越高家の軍勢と合流した。
名越の軍は先に鎌倉を発っていたが、やはり京の情勢を見ていたらしく、ほぼ同時の到着となった。
共に京へ入り、六波羅で歓待を受けたが、
「これでもう京は安泰だ!」
「楠木・赤松など恐るるに足らず!」
と喜び叫ぶ者らを見ていると、腹をくくったはずの直義も居心地の悪さを覚えた。
高氏は内心はどうあれ、穏やかな顔を崩さず歓待を受けている。
ただ、六波羅探題(長官)北方の北条仲時が、歓迎の宴を催すというのを、高氏は断った。
「千早城では未だお味方が戦っており、京周辺も予断を許さぬ状況です。まずは敵を片付けてからでございましょう」
「足利殿は大げさだ。我らが到着したのを聞き、叛徒どもは散り散りに逃げ回っておりましょう」
名越高家がせせら笑うように口を挟むのを、探題南方の北条時益が、青黒くやつれた顔で否定する。
「いえ、今は一刻も早く乱を鎮圧すべきでしょう。敵の勢いは侮れませぬ。足利殿はよく分かっておられる」
時益は赤松則村に攻め込まれた時の衝撃から、まだ立ち直れていない様子だった。
だが、高家は苛立った態度で言い放った。
「伯耆におられるという後醍醐上皇を押さえれば、後は土豪や悪党――烏合の衆ではないか」
名越は北条一門である。
当主の高家はまだ若く、自身の優越をまるで疑っていないようだった。
軍議でも傲慢に満座を見回し、高氏に視線を合わせると、おもむろに提案した。
「我々は山陽道から伯耆へ向かいますので、足利殿は山陰道から伯耆へと向かっていただけますか?」
伯耆へは、山陽道からの道のほうが近かった。
だが山陰道には、足利の領地である丹波国篠村がある。
願ってもない申し出だったが、高氏は少し考える様子を見せてから了解した。
「わかり申した。足利に異論はござらん」
「かたじけない。代わりに、船上山の先鋒は我らが務めますゆえ、足利殿はゆっくり来て下さればよい」
屈託なく笑った高家は、血気盛んな様子を見せた。
一門の中で発言権を得るために、若さを補える軍功が欲しいのだろう。
「物見遊山と戦の違いが、分かってますかね」
名越軍の浮わついた様子を見て、師直が皮肉に笑った。
直義は「さあな」と流したが、この懸念はすぐに現実のものとなった。
足利、名越両軍が京を出た次の日、名越軍は赤松の待ち伏せに遭い、大将の高家はあっけなく戦死を遂げてしまったのだ。
「大将が射かけられるとは……!」
足利の手の者から高家の死に様を聞き、直義はそのあっけなさに驚いた。
ぽかんと口を開けていた師直は、ややあって成程というように手をぽんっと叩いた。
「派手な鎧を付けてましたからなあ! 良い的になったんでしょう」
不謹慎なと叱りつつも、高家の彩り豊かな刺繍を施した戦装束を思い出し、直義も納得した。
傍で同じ報告を聞いていた尊氏は、引き返すとも、名越軍を拾いに行くとも言わなかった。
「我らの道には、待ち伏せはないと思われますので?」
師直の問いかけを、高氏は直義に振った。
「お前はどう思う?」
「足利がお味方することは、後醍醐帝によって側近の千種卿には伝わっているでしょう。ならば京を攻める際、行動を共にしたと言われる赤松氏にも伝わっている可能性は高いかと」
「曖昧な賭けではありませぬか?」
慎重に諌めようとする師直に、直義は根拠を上げた。
「地形や、攻め込む条件にそれ程違いはない。足利でなく、名越軍が襲われたのが答えじゃないかと、俺は思った」
名越は見せしめで、足利を急かしているのかもしれないとも思ったが、それは黙っていた。
「そうだな。私もそう思う」
高氏が頷く。
お二人がそうおっしゃるなら、と師直は引き下がったが、やきもきするように手を揉んだ。
「早く篠村へ入りましょうよ。全てをはっきりさせて、すっきりしてしまいたいですよ」
己もそうだと、直義は兄に遠慮して口にしなかったが、その兄が口を開いた。
「それには、私も賛成だ」
師直は満足したように「そうですよね!」と頷き、
「出立だ! さっさと支度しろ!」
と周囲をせかして回った。
出立の用意をと、直義も歩き出そうとしたその背後から、高氏の声が聞こえた。
「直義。この世に生まれてより、我らは長い間、茶番を演じさせられてきた」
誰に――と聞こうとして直義は聞けなかった。
北条とその取り巻き。祖父、父、遡れば義家公まで、思い当たる相手が多すぎた。
「これが最後だ。お前もそう心得よ」
直義の見た高氏の表情は、言葉の峻厳さと似合わず、穏やかなものだった。
幼い頃の兄は、いつもこんな風に目を細めて自分を見ていたのを思い出す。
(少なくとも元服までは、まともな兄だったのだ)
兄弟二人には、幼い頃、母の違う兄がいた。
若くして病で亡くなり、高氏が跡取りとして浮上したのはそれ以後だ。
亡くなったという兄のことは全く覚えていないが、家中の者の態度が変わった日を直義は覚えている。
(元服のためかと思っていたが、今なら後継問題だったと分かる)
置文と祖父の話を直義と共に聞かされる遥か前から、高氏は戦っていたのだろう。
操ろうと伸ばされる数多の手から。
「分かりました、兄上」
直義が応えると、高氏は微笑んだまま立ち去った。
(この戦が終れば、兄は昔のように戻れるのだろうか?)
いつのまにか沸いていた額の汗を、直義は腕で拭った。
今までとは違った戦慄が、直義の全身を駆け巡っていた。