表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/55

第四章 決別の朝 4.

4.


 登子と千寿王は足利が出陣した後、密かに鎌倉から逃がす手はずになっている。

 既に師直の縁者を、下働きとして赤橋の屋敷に入れてあった。


「鎌倉から出した後、義姉上は足利 所縁ゆかりの寺に預ける。だが、千寿はそのまま足利の手勢を五百ほど付けて、新田の軍勢に合流させる」

「待って下さいよ! 直義様」


 師直は慌てて口を挟んだ。


「千寿様はまだ三つですぞ。そのようなお方を戦場になぞ前例がございません。しかも、勝つか負けるか分からない戦で……!」


 余裕のある戦場なら、物見遊山で大将の側に赤子も置けるが、今度の戦は文字通り伸るか反るかの総力戦になる。

 しかも新田勢には、どれだけ兵が集まるかも分からない。


「師直、此度の戦において、新田が負ける時は足利も滅びる時だ」


 足利が京を押さえることができても、鎌倉を北条が押さえたままなら、日和見の関東勢が雪崩れるように幕府に付き、遠からず北条は勢いを取り戻す。


(『幕府』という吸引力は、武家にとっては特別だ。朝廷だの、帝などとは比べ物にならない)


 できれば足利軍で鎌倉を落としたかったが、西にいる幕府の主力を叩くには足利の総力が必要だった。

 また、幕府の軍勢の殆どが西にあるという好機だからこそ、寡兵の新田にも勝機があった。

 直義は冷静に告げた。


「千寿も足利の嫡男。滅ぶ時は同じと兄上も俺に一任された」

「し、しかし、そのような赤子も同然の者がいては、新田軍の邪魔になりは……」

「多少邪魔でも我慢してもらう。千寿がいれば、新田の軍を足利が保証していると同じだからな」


 あ……と、何かに思い当ったように、師直は開きかけた口を閉じた。

 直義はにやっと笑う。


「どれだけ幼くとも、千寿は足利の嫡男だ。これほど確かな旗印はあるまい」


 なるほどなるほど、と師直は何度も頷いた。


まことに足利が背後に控えていると分かれば、兵は五千でも一万でも集まりましょう。新田殿では、勝った場合の恩賞が出るかすら、怪しいものですからな」


 同じ八幡太郎義家の血筋ではあったが、新田は頼朝公の挙兵時に馳せ参じなかった故に、鎌倉幕府からは徹底的に冷遇された。

 領地も足利が本拠の足利荘はじめ、全国三十五箇所の所領を持つのに対して、新田は新田荘ただ一つのみ。

 官位も高氏が従五位上、直義でさえ従五位下を持っているのに、新田の頭領たる義貞は未だ無位無官だった。


(血筋だけで集まるほど兵は甘いものではない)


 戦うには理由も大義も必要だが、何よりも必要なのは明日への糧だった。

 特に関東の兵は、度重なる幕府の失策で困窮している。

 無位無官の貧乏領主がいかに大義名分を掲げようとも、兵は集まらないだろう。


「だからこそだ。新田一族もこの戦に賭けねば、この先はないのだと分かっていよう」


 万が一、新田が北条側に寝返っても、たかだか五百かそこらで、北条が有難がる訳はない。

 また足利が滅ぼされるのをただ傍観していたとしても、同じ源氏の新田が、今後も北条に信用される可能性は薄い。


「足利が挙兵すれば、新田が生き残る道は、共に北条を滅ぼすしかない」


 冷厳に直義は断じて、ふっと息を吐いた。

 幼い甥の身は案じられたが、足利の名を貸す対価として、新田に子守をしてもらうしかない。


「そこに我らも賭けよう」


 師直は黙って、直義の前に平伏した。



 出陣の朝、今か今かと待ち構える一族郎党の前に、戦装束の高氏が現れた。

 威風堂々としたその姿は、勇ましく猛々しい。

 軍神と呼ばれるにふさわしい、源氏の棟梁の姿そのものだった。

 前夜まで、己が罪に畏れ仏に縋っていた迷いを、微塵も見せない高氏の変わり身の早さに、直義は感動すら覚えた。


(兄上の『弱さ』こそが、『強さ』をより強靭なものへと鍛えているのだろう)


 従者が水の入った盃を高氏に差し出した。

 受け取り、中を一気に飲み干した高氏は、盃を勢いよく地面に叩きつけて割った。


「皆の者、出陣じゃ!」


 高氏の雄叫びに応じて、「おお!」と、庭と屋敷の外を埋め尽くした兵らの声が雷鳴のごとく広がった。


 館を出た後、軍勢は幕府の大門の前を通る。

 門の表には青白い顔をした高時以下、殆どの評定衆が見送りに出ていた。

 執権の守時の傍には、登子と千寿王も見えた。

 出陣する一同は馬から降り、珍しく酒の抜けた様子の高時から、激励の言葉を受けた。


「足利は我らの同胞はらからじゃ。勝ちて、早う鎌倉へ帰られよ」


 今の幕府を象徴するように、力の感じられない細くたどたどしい声だった。

 直義は何気なく高氏をのぞき見たが、兄の顔に目立つ変化はなかった。

 ただ所在無げに揺れる右手が、どこか刀を探しているようにも見えた。

 直義にも感傷はある。

 鎌倉は、これまでの己が人生の大半を過ごした地だった。


(幾度も旅立ち、戻ってきた。だが……)


 ……この次に此処へ戻る時が来るとして、この地はもう同じ形はしていないだろう。


 直義は、胸を突くような息苦しさを覚えた。

 思わず手を胸に当てようとして、ふと、千寿王が目に入った。

 頬を紅潮させ、一心に軍勢を見つめている目を見ていると、自責の念が止まった。


(千寿には何の罪もない。先祖の呪縛も、兄の屈託もない、次代の足利を渡さねばならん)


 不意に千寿王の目が直義と合った。

 戸惑い、縋りつくような目に、直義は表情を和らげ頷いた。

 途端に子供は嬉しそうに口を開け、手をばたばた動かした。

 隣にいた登子がその様子に気付き、千寿王をたしなめたが、直義に気付くと、優雅な仕草で頭を下げた。

 春の花のように微笑む義姉は、直義からすれば厄介な北条の姫だったが、今は身内の情が多少なりともあった。


(北条が足利に滅ぼされても、この義姉は兄上へ向け笑えるのだろうか?)


 既に敵となる気配が濃厚だった北条家の姫との縁談を、直義や師直は控えめに引き止め、当主であった父でさえ断っても良いと言った。

 だが、高氏はわざわざ修羅を選んだ。


(あの時と同じく、今も兄上の心境は推し量れぬものがある)


 その兄は、餞別を寄越した高時に謝辞をのべて、全軍に出立を告げた。

 沿道に出ると、物見高い者たちが、道の両脇で鈴生りになっていた。

 不意に直義は、群衆の中に、あの時の禅師が立っていることに気付いた。

 こちらへ手を合わせ、口元は何かをつぶやいている。

 隣にいる兄に


『あれが夢窓か?』


 と尋ねたかったが、高氏の目は何もかもを弾くように、真っ直ぐ前のみを見つめていた。






――――――――――――――



第四章終了です。


…千寿王はのちの足利義詮、高氏の後、二代目将軍になります。

…何で千寿王を新田に預けた(史実)かは諸説ありますが大抵、新田の手柄を足利が横取りするためと取られてます。

…自分は、そんな不確かなもののために(かなり危ない橋だし)、幼い嫡男を最前線に送るかな~?と思ってこんな感じにしてみました。


…ご意見ご感想お待ちしております。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ