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第四章 決別の朝 2.

2.


 二月も二十日過ぎになり、ようやく幕府軍による赤坂城の総攻撃が始まった。

 二十七日、赤坂城は落ちたが、既に楠木軍はその後ろに作っていた千早城に移った後だった。

 そして、二月の終り。

 後醍醐帝が、隠岐の配所から逃亡、島から脱出したとの報が幕府に入った。

 結局、これが最後の一押しとなった。


「後醍醐帝の隠岐脱出には、名和長年が絡んでいるとのことです」

「伯耆の豪族だな」


 正季の文にもその名はあり、名和氏は武士というより、海から採れる物の流通に関わっている大商人だとあった。

 文には、この脱出と前後して、播磨で蜂起した赤松則村という豪族の名もあった。


「赤松氏は、歴とした村上源氏だと聞きますが」


 幕府へ出向いた高氏を待つのに気が急くのか、師直は直義の部屋に来てあれこれ話しかけてきた。

 高氏はおそらく出陣を命じられるだろう。

 家の者も察しているのか、屋敷はどこか慌しかった。


「らしいな。身分は播磨の守護だが、淀川の物流を押さえている商人の面もあるらしい」

「西方らしい話ですな。武士の稼ぎの中心が、田畑でなく商いに広がっている」


 しみじみとした師直の嘆きに、直義も頷く。


「武士が商人になったか、商人が武士になったか……いずれにせよ物の流れを押さえれば、それなりに力がつくには違いない」


 鎌倉幕府は商業――物流や貨幣の力を認めず、『悪党』『異形』と蔑む事で自らを保っている。そこに進歩があるはずもない。


「商売もなかなか面白いようですよ、直義様」

「武士をやめる時は考えるか」


 そんな日は来ない。

 武士をやめるのは、首と胴が離れてからだ。

 百も承知で二人が笑っていると、高氏が戻ったと小者が告げに来た。

 二人は揃って高氏の部屋に赴いた。


 廊下から中を窺うと、高氏はうつむき、胡坐の上に右ひじを乗せ、指で額を押さえていた。

 傍に控える登子が二人を認めかしこまると、高氏が顔を上げた。

 高氏の酷く疲労した顔に、直義は虚を衝かれたが、高氏は入ってきた二人を見て満足そうな笑みを浮かべた。


「直義、師直、命が下ったぞ。出陣だ」


 二人はその場に座りこみ、はっ! と頭を下げた。


「気負う必要はない。我らが行けば、遠からず乱は収まろう」


 誰にともなくつぶやいた高氏は、不安げな顔をする登子へ、優しく声を掛けた。


「戦の後は久しぶりに、京や吉野を見物するのもいいな。そなたらは京の屋敷で待っておればよい」


 登子は目をぱちりと開いた。


「まあ、私もお供できるのですか?」

「今は母上も足利荘だ。そなたもこの屋敷に一人では心細かろう。千寿は、京は初めてだな」


 次に鎌倉に戻る時は、幕府は敵、もしくは幕府そのものが存在しなくなっているだろう。

 当然、身内は鎌倉から出しておかねばならない。

 高氏、直義の母、清子は既に、夫の菩提寺に参るとの口実で鎌倉を離れていた。

 北条出身である登子の立場は微妙なものだったが、高氏は手放す気はないようだ。

 兄の明るい口調に、直義は鼻白む思いがした。


(人を殺める武士に『後世』の救いはないと嘆く姿と、平気な顔で妻をたばかる姿と、どちらが本当の兄なのだろう)


 生まれた時からほぼ一緒に育ってきたが、未だに直義には判断がつかなかった。

 戸惑いつつも、嬉しげに登子は微笑んだ。


「いっそ、赤橋の兄上もご一緒でしたら宜しかったのに」


 傍から分からない程度に、高氏と師直の表情が固まった。

 直義は、自分も同じような顔になっているだろうと思った。

 だが高氏は、聞きようによっては重過ぎるほどしみじみとした口調で、登子に答えた。


「本当にな。守時殿もご一緒なら心強いが、執権であればそう軽々しくも動けまい」


 登子の兄、赤橋守時は、高時の後に執権の座に付いたが、腐敗した北条一族の出とは思えぬほど、誠実な男だった。

 今では、崩れ行く幕府にあって人心を繋ぎ止める、殆ど唯一の存在といっていい。

 謹厳実直な守時には、直義も好意を抱いていたが、こればかりはどうしようもない。

 いたたまれない思いに耐えられず、直義は立ち上がる。


「では、支度がありますので私はこれで。師直行くぞ!」


 師直もほっとしたように立ち上がる。


「分かった。万事よろしく頼む」


 全てを承知している兄の声を背に、部屋を出た。

 廊下を二つ曲がると、師直がひそめた声で尋ねてきた。


「殿はあのように言われましたが、本当に奥方様を連れ出せると思われますか?」

「思わん」


 直義はきっぱりと断じた。


「今の時期、足利の奥方を鎌倉から連れ出すほうに、無理がある」


 例えばこれが、元々、京の出身である清子なら、苦しくとも『里帰り』と理由は付けられる。

 だが、寝返る可能性がある足利の、しかも鎌倉に実家のある北条氏出身の正室を、鎌倉から連れ出すのに不審がられない訳がない。


「それに千寿が難しい。元服しておれば、話は簡単だったのだが……」


 登子の生んだ高氏の息子、千寿王は数えで三つ。

 さすがに初陣には早かった。

 やれやれと師直が嘆息した。


「大きな声では申せませんが、女も子供もまたもうけられましょうに」

「兄上の前で言ってこい。幕府に忠誠を誓い直すやもしれんぞ」


 軽口ではあったが、今まで高氏を見てきた二人には、そんなことは断じてない、とは言いづらかった。

 げっそりとした口調で師直が応えた。


「そして、今までの我らの骨折りが全て、無駄になるわけですな……」

「やりきれんわ」


 吐き捨てるように出した直義の言葉に、師直も「はい」と情けない声で同意した。





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