第四章 決別の朝 1.
1.
冬になって、時局は一気に動き出した。
十一月に入り、大塔宮・護良親王が吉野で兵を挙げた。
呼応するように、十二月には楠木正成が赤坂城を奪還し、そのまま立て篭もった。
初夏に会った正季は、秋口に一度文を寄越した。
婦人からの文のように、香を焚き染めた箱に入っていたので、直義は師直にさんざん詮索され、相手が分かった後は揶揄された。
『目立たせないための配慮でしょうが。色男のくせに文どころか、浮いた噂の一つもないご舎弟には、とんだ逆効果ですな』
『うるさい』
運んできたのは芸人の童だったらしい。一座に正季達の仲間が、あるいは本人が紛れ込んでいたのかも知れない。
手紙の内容は、諸国の細かい情報だった。西を中心に後醍醐帝への同情、幕府への不満などが高まっており、思った以上に火がつきやすくなっている状況を匂わせていた。
以降、状況はまさに、手紙の情報を裏付けるように動いていた。
(正季も今頃は、正成と共に赤坂城だろうな)
年が明けた頃から、鎌倉の動きも慌しくなってきた。
挙兵した護良親王は後醍醐帝の皇子だが、幼い頃出家し、天台座主となっている。
親王の背後にある寺社勢力も侮れないはずなのだが、何より楠木正成が復活したことに北条高時は怯え、激しく取り乱していた。
「得宗殿がそんな様子じゃ、すぐにも出兵を命じられそうですねえ」
正月とはいえ、今にも戦が始まりかねない状況を反映して、来客も少ない。
余った酒を前にして、直義は、高氏、師直と共に世間話に興じていた。
高氏は盃を置いて、師直の問い掛けに物憂げに応じる。
「前の乱のことがある。六波羅だけで収まらぬのは、もう分かっておろう。鎌倉からも兵は出さねばならん。それは決まっているが、初めから足利が命じられるかは分からん」
最近、足利が幕府に警戒されているのは、兄の話から直義も感じていた。
足利の態度がどうというより、幕府が己の弱体化を自覚し、御家人達を力で抑え付けられぬ不安からだろう。
現執権は赤橋守時である。
その守時の妹を当主の妻にしているとはいえ、足利はあくまで外様だ。
(何も足利だけが、源平、主従の家系に拘っているわけじゃない)
昔から、足利の危険性は北条もよく知っていた。
「鎌倉から、何万出すと思われる? 兄上」
手酌で酒を注ぎ足しながら直義が尋ねると、高氏は「そうさなあ」と天を仰ぐ。
「まず一万近くは出せと申されるだろう」
「一万、出せますかねえ。今の幕府がお身内だけで」
全ての御家人は、戦の支度を自前で賄うしきたりになっている。
その後、戦で得た利益は幕府がまとめ、功のあった御家人に恩賞として分配するのが鎌倉の倣いだ。
(国内の戦乱が終り、土地の再分配はとうに終っている)
その後起こった『元寇の乱』は、敵を海の向こうに追い返しただけで、新たな土地は手に入らず、幕府には戦費による負債だけが残った。
安達氏、三浦氏のような身内を滅ぼし得た土地も、得宗家や、その側近達で独占してしまい、幕府には今、恩賞=土地を払う余裕がなかった。
恩賞の当てがなく、力を持つ外様も信用できずでは、幕府が動かせるのは身内だけのはずだが、それでは兵が足りない。
「恩賞が欲しければ敵から奪い取れ、とでも言って御家人達を動かすのだろうよ」
暗い目で高氏が答える。
敵は寺社や、荘園を持たぬ悪党だ。勝ったところで、すんなり土地が手に入るわけではない。
幕府の口実と分かっていても、逆らえば反逆だ。
正成の前に己が討伐されて、領地を召し上げられてはたまらない。
大抵の御家人は、形だけでも出陣しない訳にはいかないだろう。
「士気も上がらんことでしょうな」
逆に勢いづいている討幕軍と戦って、勝てるものとは到底思えなかった。
「頭数だけは多いから、すぐに負けたりはしないでしょうが……」
「出陣の日数が伸びれば、その分軍費もかさむ。決して勝てず、逃げ帰れるほどの負けもない。考え様によっては最悪な戦だな」
直義が冷静に断じた。
「そして、ますます士気は落ちますな」
「そうだ。結局、足利が出ることになろうよ」
直義と師直の問答に結論づけるように、高氏がうめくような声を上げた。
「用意だけは周到に頼むぞ」
「はっ!」
盃を床に置いた直義と師直は、揃って高氏に向かい頭を下げた。
数日後、発表された西へ派遣される名簿の中には、やはり足利の名はなかった。
代わりに、現在、大番役として京に派遣されている新田義貞の名前があった。
「小太郎には災難だが、堂々と兵を動かす事が出来て、やりやすくなったとも言えよう」
兄の言葉に、直義は一応頷いたが、義助から聞いた新田氏の台所事情は、思ったより困窮している。
大番役にかかる経費にしても、田畑を切り売りして捻出したものらしい。
直義から事情を聞いていた師直も、ぎょろっとした目を見開いて、陰気に両手を挙げた。
「こうなったら、早く足利にも出陣要請が来ないと、赤坂城の前に新田殿が持ちませんなあ」
「冗談ごとじゃないぞ。まったく、足利から援助も出来ぬし」
足利と新田は長い間いがみあってきた。
親戚として援助し合うような仲でないのは、周知の事実だ。
この期に及んで、余計なことをして、幕府に痛い腹を探られてはかなわない。
「ご舎弟は、足利に声が掛かると思われますか?」
「もはや、鎌倉に残る有力な御家人は、北条一族か足利のみだ。第一陣だけで収まらねば、今までさんざん使い捨てにしてきた足利を使わずにはいられんはずだ」
どれだけ警戒していてもな――と、直義が付け加えると、師直はにやりと笑った。
「あと一押しというところですか」
頷いた直義は、師直に念を押した。
「抜かりはないな、師直」
「諸事万端整っております」
師直は、深く頭を下げて請合った。
武器、兵糧、各地の足利一門への連絡その他、一年余りを掛けて準備をしてきた。
(勝算はあるが、戦に絶対はない)
腐っても百年幕府を維持してきた、北条の底力は侮れなかった。
―――――――――――――――――
※護良親王:『もりよししんのう』もしくは『もりながしんのう』と読みます。
この方も太平記の重要人物ですね。
…タイトル『決別の朝』は『けつべつのあした』と読むと語感がよろしいようです。
…いよいよ出陣です。