第三章 悪党の縁 4.
4.
先程以上に、今度の話は大きかった。
例え噂の切れ端でも、御家人ならば幕府に報告する義務が生じる話だったが……直義はとりあえず笑い飛ばした。
「なんだそんな話! いきなり来て、信じろと言うほうがおかしい」
言うほうがおかしいが、真実味はあった。
余力を残して勝ち逃げした正成が、このまま消えるはずもない。
危なげな情報で鎌倉を混乱させたいだけなら、直義でなく幕府に投げ文でもすれば良い。
(だが、話がまことなら、尚更幕府に知らせる訳にはいかない)
男も、拒絶した直義の心情を見抜いているのか、簡単に頷いた。
「今は然り。この先、俺の言葉が本当になったら、俺を信じてほしい」
「お前を信じるとは?」
すうっと息を吸い、一気に男は言葉を紡いだ。
「俺の名は楠木 正季。兄、正成が、後醍醐天皇と結んだ約定に依って、倒幕の志を持つ者。足利の貴公が、同じ目的を持つなら協力できる」
後醍醐天皇を旗印にする気はあっても、楠木正成と同盟するという可能性を、直義は今まで殆ど考えてこなかった。
倒幕という立場から見れば味方だが、正成の素性は不明すぎた。
御家人ではなく、どこかの守護に仕えている訳でもない武士というのは、鎌倉から見ればいないも同然だった。
それでも尚、幕府が無視できぬほど独自の勢力を保つ――楠木正成のような存在を、巷で『悪党』と呼んできた。
ある意味、彼らも異形である。
(異形の天皇、異形の天狗、異形の武士……今やこの世は異形だらけだ)
直義は首を振り、深い息を吐いた。
「お前やお前の兄が誰であろうと、足利の去就は俺の一存じゃ決められん」
直義本人は、『楠木正季』と名乗るこの男を信用してもよいと思う。
だが、あくまで足利の当主は高氏だった。
高氏が、『悪党と組むつもりはない』と判断すれば、それを押してまで結ぶほどの利は感じられない。
「『足利』と結びたいとは言わない。あんたと誼を通じられればいい」
率直な正季の言葉に、直義は少し考え、尋ねた。
「兵はいらんのか?」
「いらんよ」
正季は即座に返して、にっと笑った。
今の今まで何の縁もなかった足利と同盟を考えているなら、欲しいのは足利の兵力や財力と思うのが自然である。
「我らには我らの流儀がある。それは足利には馴染まないだろうし……欲しいのは、あんた方が最後に、どちらへつくかという保証だ」
確かに。
途中まで敵でも、最後の最後に、背を見せられるかどうかを知っていれば、策も違ってくる。戦局を左右することも可能だ。
「成程な」
納得してつぶやく直義に満足したように、正季は一歩後ろに身を引いた。
「言いたいことは言った。この辺で失礼する」
「夢窓禅師の従者としてなら、一献もてなすぞ」
正季はおやっと直義に向き直る。
「なんだ、禅師を知っていたのか?」
「特徴を兄に言ったら、その御方の名が出た」
当たりだったようだな――と直義は頷く。
「禅師はまだ瑞泉寺にいらっしゃるか? 絶対に礼をしろと仰せつかった」
正季はあっさり首を振る。
「あいにく、昨日の足で旅立たれた。今頃は甲斐路辺りだろう」
「そうか残念だ。俺も、もう一度会いたかったのだが」
「禅師も今は一応、鎌倉が本拠だ」
そのうち会えるさ、と正季は気軽に請け合う。
「それにしても、噂に聞く足利の当主殿の信心深さは、真のようだな」
西で噂になるほどか……直義はため息交じりに返す。
「たまに辛気臭くて困る」
あははと笑った正季は、身を後ろへ反らし空を仰いだ。
「俺の兄者も、朝に田畑を耕していたと思ったら、夕べには反逆の天皇にお味方するなどと、広言する困ったお人だ」
(新田の義助にしろ、この男にしろ、弟はどこでも苦労しているらしい)
直義は己を棚に上げ、少し愉快な気分になった。
だが楠木の弟は、苦労を苦労とも思っていないような明るい表情で、直義に訴えた。
「だが命を賭けた決意だ。無謀でも何とかしてやりたい」
正季の言葉や態度からは、兄である正成への信頼や尊崇の念が伺える。
真っ直ぐな思いが羨ましかった。
「お前の兄が味方するまでは、俺も『無謀』だと思っていたよ」
ぼそっと口を開いた直義を、正季は目を見開いて見た。
そして、直義が戸惑うほど深く、頭を下げた。
「今の言葉の礼はいつか必ずする」
「いらん。ただの事実だ」
すげない返事に笑って、正季は部屋を後にした。
「おい、案内を……」
直義は誰かを呼ぼうとしたが、既に正季の姿は廊下になかった。
変わりに、続きの部屋の襖が開いて、ぬっと長い影が現れた。
「良いのですか? このまま帰して?」
師直の手には長刀があった。
「話は聞いていたんだろう? 敵が同じである限り、余計なことは言うまい」
「直義様は、あの者の話を信じておるので?」
いきなり西から現れた男の、荒唐無稽な話を信じるのか? ――には異論がある。
ただ、今の鎌倉で、楠木正成の弟と偽ることには、百害あって一利もないと直義は判断した。
(そうだ、つまりは……)
「ほぼ信じた」
空に向け、誰にともなく言うと、直義は、どさっと床に腰を下ろした。
「用心深いご舎弟には珍しいですな」
師直は少し面白くなさそうな顔をし、長刀を担いだ。
「師直、言うまでもないが兄上には……」
「万事承知しておりますよ。楠木正成の弟に、ご舎弟が篭絡されたなんて言ったら、取り次いだ私の首も飛びそうですからね」
後ろを向いたまま、右手を刀に見立てて、ちょんっと首に当てて師直は部屋から出て行った。
残された直義は、空を見ながら自問自答する。
(たぶらかされたか?)
異論はあったが、別にそれに害があるわけでもなさそうなので、考えるのを止めた。
庭から気持ちの良い風が吹いてきた。
直義はそのまま、床にごろりと横になって目を閉じた。
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…第三章終了です。
太平記、大物中の大物、楠木正成が出て参りました。
色々な意味で、この人は本当に謎の人です。
…四章前に、ちょいまとめを作るかもしれません。
ここまで読んでいただいて光栄です。
できればこの先も読んでやってください(^_^)/
…ご意見ご感想お待ちしております。