第三章 悪党の縁 3.
3.
楠木正成は、『悪党』とも呼ばれる、河内の土豪(地方豪族)だ。
『悪党』とは、簡単に言えば、幕府へ税を納めていない集団を指す。
もともと近畿は、朝廷の直轄として幕府の力が及ばない場所が多い。
また農業より商業が盛んで、農業民が母体となっている幕府としては実態が掴めず、そもそもが税の取りにくい相手でもあった。
(楠木正成は突如として表舞台に現れた)
どのような事情があったかは定かではないが、正成は後醍醐帝の招聘に応じ、共に挙兵したのだ。
昨年九月に赤坂城へ立てこもり、幕府軍を翻弄したことで一躍有名になり、町の童でさえその名を知っていた。
正成は、ひと月、山城に立てこもった後に逃亡。
幕府の追捕の兵を簡単に振り切り、行き先は今も杳として知れなかった。
「お前、何をしに来た?」
知らず直義は、男をなじる口調になった。
名前を偽られた時とはまた別に、騙された気分になっていた。
「足利のご舎弟と話に、ってのは言ったよな?」
「百歩譲って、この屋敷に来た理由はそれでもいい。では、鎌倉には何をしに入った?」
「俺の役目は諸国の状況を集めることだ。単純に見に来たんだよ。――敵のお膝元を」
「はっきり言いやがって……」
直義は再び傍らの刀を取り、ゆっくりと立ち上がった。今度は鞘を取り払うと、刃を男の喉下近くに突き付けた。
充分逃げる猶予はあったが、男は微動だにしなかった。
真っ直ぐに、刃の先にある直義の目を見つめていた。
直義も、その黒目を強く見返した。
「お前には夕べの借りがある。ここで言ったことは忘れてやるから、すぐに鎌倉から出ろ」
「意外とせっかちな男だな、ご舎弟。ここで追い出されるのは困る。まだ本題に入ってない」
「本題?」
聞き返す直義に、男は真顔で告げた。
「楠木正成の行方を知りたくはないか?」
この日初めて、直義の思考が止まった。
男は少し笑い、もう一度問いかけた。
「どうだ? 幕府としては、今一番知りたい情報じゃないのか?」
幕府としてなら確かに。だが今の足利としては、余計な情報だった。
楠木正成にはまだ生きて、幕府の目を引きつけて欲しかった。
また山にでも篭られて、討伐の兵を出すとなれば足利にも召集がかかる。
(今は、足利の兵や兵糧を少しも無駄にしたくない)
かといって、一斉蜂起するには時期尚早だ。
新田とも盟約を結んだばかりである。
(できればあと半年ほど猶予が欲しい)
直義がしばし逡巡していると、男が己に向けられた刃の先を、ひょいっと左手の人差し指と中指で挟んだ。
「ばっ……」
驚いて刀を戻そうとした直義へ、男は囁くように口を開いた。
「兄者は申楽の一座に紛れて、近江、播磨を渡り歩いているよ」
男は指を刃から離し、呆然としていた直義も、何かに操られるように刀を引いた。
「探して見つからないことはないだろうが、兵が探せば噂がすぐ伝わるから捕まらない」
「探しても無駄だから、教えたのか?」
直義が訊くと、男は首を振った。
「鎌倉の重鎮、足利の懐刀として知られている当主の舎弟……つまりあんたが、今の立場に満足していないのが分かったから口にした。俺が何を伝えようと、あんたは幕府に教えない」
断定されて、心なしか首の辺りに、ひやりとしたものを感じたが、直義は冷静に返した。
「分からんぞ。確かに、出所が確かでない、しかも危険な話は、兄にも誰にも言えんがな」
「出所が弟でもか?」
「お前が本当に、あの悪党の弟だとは限らんだろう」
それはそうだ、と男は口角を上げた。
「では、もう一つ。危険な話をしてやろう」
男はそっと立ち上がると、立ったままの直義と、すれ違うようにしてこそりと耳打ちした。
「冬だ。今年の冬にはまた、兄上は山に篭って兵を挙げる」
驚いて振り向く直義に、男は挑むように太い笑みを見せた。