表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/55

第三章 悪党の縁 1.

1.


 鎌倉に戻った翌日、直義は部屋で、各荘園から入ってくる石高の届け出を、ぼんやりと眺めていた。

 戦をするには兵も必要だが、何より兵糧、武器、馬が要る。

 幸い、足利には豊かな領国が幾つもあり、身内の支度だけなら雑作もなかった。


(だが、此度は通常の倍以上の準備が必要になる)


 幕府を相手取るには、関東から西国に渡って、なるべく大勢の武士を味方につけねばならなかった。

 縁も所縁ゆかりもない兵を相手にして、物を言うのは大義名分と見返りだった。

 今の推進力を失った幕府相手なら、大義は幾らでも付けられる。

 加えて後醍醐帝の皇子、大塔宮が元弘さきの乱以来、盛んに倒幕の綸旨を各地へ送っていた。


(その一枚でもあれば、建前には事足りる。後は……)


 突然、どたどたという足音がして、直義ははっとして顔を上げた。

 すぐに部屋の前で足音は止まり、普段より幾分抑えた師直の声がした。


「直義様、お客様が参っておりますぞ」

「俺に客? 誰だ?」

「旅装のお方です。坂東の宇津木殿と名乗っておられますが、おそらく名を言っても分からぬだろうと」

「確かに分からんな」


 直義は首を傾げた。


「なので、昨夜お坊様と一緒だった者だと、伝えてほしいとの……」


 直義の脳裏に、僧侶を庇うようにして立っていた若い男の姿が浮かんだ。

 直義はぱっと立ち上がった。


「それなら分かる。師直、ここへお通ししてくれ!」


 はいはいと頷いて、師直が立ち去ると、直義は周囲に散らばる紙の束を素早くまとめた。

 ほどなくして、師直に連れられ、男が一人現れた。昨日と違いこざっぱりした直垂姿だ。

 年のころは、三十前か、三十をさほど出てはいないだろう。

 背は長身の師直ほどもあったが、ひょろりとした師直に比べ、厚さもしっかりとした均整の取れた体格をしている。

 こうして明るい場所で改めて見た顔は、日に焼けて荒削りだったが、端の上がった口元に愛嬌があった。


「こちらへ」


 直義が手で差し示すと、男は会釈をして部屋へ入り、直義の向かいに腰を下ろした。

 直義が師直に無言で目配せすると、師直は心得たように頷き部屋を後にした。

 足音が遠ざかると、男は床に手を付き、すっと頭を下げた。


「お約束もせず押しかけた不調法、まずはお詫び致します」


 聞き取りやすい、落ち着いた声だった。

 直義も軽く頭を下げる。


「いや、こちらから礼に伺わなければと思っていたところです。夕べはお世話になりました」


 直義と目が合うと、男はやわらかく笑った。

 どことなく、鎌倉の人間にはない雰囲気を持った男だと、直義は思った。


「幕府の重鎮たる足利殿のお噂は、かねがね伺っております。正直、このように容易くお会いできるとは思いませんでした」

「どのような噂かは存じませんが、当主である兄とは違い、自分は気楽な立場です。それとも兄への取次ぎをお望みでしたでしょうか?」


 鎌倉の有力御家人としての足利へ、武士の売り込みは珍しいことではなかった。

 男は静かに首を横に振った。


「いえ、私は直義殿に会いに参りました」

「それは、ゆうべご一緒だった禅師のご意向で?」


 男は、今度は困ったような表情で笑った。


「あの方は何と言いますか、世俗への興味があまりお有りでない。ゆうべ争いの場に割って入ったのも、片方が足利の若様だという意識はなかったでしょう」

「貴殿は、あの方の?」

「顔見知りです。私もよく旅をし、あの方もよく旅をされる。そのような者共は、折りに触れ繋がることもあるのですよ」


 踊りながら念仏を唱えて回るという『時衆』の流行などもあり、土地を渡り歩く民は、昨今増えていた。

 だが、元々旅をして生活を立てている、技芸者、職人、狩人、などを除けば、基本的に民は土地へ付くものだった。

 武士も同じく、戦いのない時は田を耕す。主の命なくして土地を離れたりはしない。

 

(この前の男は武士だ。立ち居振る舞いから分かる。だが……)


「あの時、貴殿は飛礫つぶてを使われましたね?」


 飛礫は本来、『石合戦』――祭礼に使う道具だ。殺傷能力は高いが、武器ではない。

 少なくとも、まともな武士ならば使うまい。

 直義の質問を聞いても、男の口元にある、うっすらとした笑みは変わらなかった。


「宇津木殿、坂東出身とおっしゃったそうだが、お生まれはどちらか伺ってもよろしいか?」


 しばしの沈黙があったが、男はあっさりと白状した。


「生まれは河内です。西方は警戒されるだろうと、出身を偽りました」


 直義は顔を顰めると立ち上がった。


「確かに……」


 部屋の正面に置かれていた刀を無造作に掴むと、直義は男の前に片膝を付いた。

 男の顔をきつくのぞきこみ、鞘の先でだんっ!と床を叩く。


「……まぁた『西』かと、うんざり思うくらいには警戒している。だが、偽られるのはもっと好きじゃない」


 客人の刀は屋敷に入る前に、家人に預けられる。


「非礼は詫びよう」


 右手に刀を掴んだままの直義に臆する風もなく、丸腰の男は飄々と告げた。


「名も偽りだ。お手前と直に会って話してみたかったので、名乗れなかった」

「誰だ? 朝廷側の差し金か?」


 以前も若い公家が、山伏のなりで高氏を訪ねてきたことがあった。


(あの時は驚いたが)


 朝廷内にも様々な思惑があることを直義は知った。

 だが、男ののどがくっくっと震えた。


「俺が公家連中と繋がっているように見えるかよ、若様」


 砕けた物言いが板についていた。

 こちらが本当なのだろう。

 直義は、ふんと鼻を鳴らし、そっけなく言葉を返す。


「分かるかそんなこと。朝廷は俺にとっては化け物屋敷だ」


 男は大きな声で笑うと、体勢を崩した。


「違いない! 確かに朝廷は化け物屋敷だ。後醍醐帝がいないから、今は多少マシだが」

「後醍醐帝が化け物共の首魁だと?」


 直義の問いに、「俺の主という訳ではないが」と前置きしてから、男はさらっと答えた。


「あの帝がいた頃の内裏は、毎晩百鬼夜行の異界だったな」


 後醍醐帝が、怪しい坊主に入れ込んでいたという噂は鎌倉にも届いていた。

 幕府へ向けて、怪しげな呪詛の儀式を延々行っているという報告で、正中元年には六波羅が動く事態にもなっていた。


「話は聞いていたが、今の鎌倉よりも酷そうだな」

「こちらで悪さしているのは、昨日の天狗のような連中だけだろう。後醍醐帝のようなでかい狂い――異形がいないだけ、まだまともだな」


 異形の天皇――その言葉を、直義は胸の内で反芻した。


(幕府を呪う天皇なら、今までに幾らもいた。だがあの御方は……)


 後醍醐帝は呪詛の儀式で咎めを受けただけでは足らず、七年たって、今度は土豪や悪党らへ号令を出し、幕府打倒の兵を挙げた。

 失敗し囚われたものの、尋常な御方でないのは確かだった。


「あの天狗はなんだ? 後醍醐帝とつながっているのか?」

「山の奥に棲む異形の群れ……と言っても元は狩猟民だろうな。人としての法を捨て、奴ら独自の法で動いている」


 国を見渡せば、朝廷に税を納めず、幕府の庇護の下にもいない民が、今も少なからずいる。

 奥州の蝦夷や、西海を荒らす海賊はもとより、それとは別に、土地を捨てて漂泊する者、届けを出さず土地を開墾する者など、法を外れた民も『異形』や『悪党』と呼ばれることがある。


「案外、配所(流刑地)から文ぐらい運んでいるかもしれんが、基本はただのにぎやかしだ。地上が乱れると掻き回しに降りてくる。こう言っては何だが、今ほど面白い時はそうはなかろう」


 確かに、東西を挙げての大きな騒乱は、頼朝公が天下を取った源平合戦以来、百五十年近くなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ