番外編 親の心子知らず
社交界で話題沸騰中の人物はと問われた時、よく名前が上げられる人物のうちにルーセリトも入っていた。
令嬢達が黄色い悲鳴とうっとりとした溜め息をついて彼のことを語るのだ。
その人気は言わずもがなである。
しかし同時に、兄弟仲が宜しくないというのもまた有名な話である。
そのことで父である現宰相閣下が執務中の国王に嘆き悲しみを吐露することも少なくないが、大半はウェルファについての自慢が多い。
「陛下、聞いて下さい。うちのウェルファが…」
ほら、こんな風に。
男爵家の一人息子であり近衛隊という華々しい職に勤務しているセティスは今日も始まったと視線を遠くへ飛ばした。
執務室ではよくある光景である。
「お前の所の二番目はやんちゃが過ぎるぞ」
「いやはや、ついつい甘やかしてしまうんです。お陰でルーセリトにも度々窘められます」
「しっかり者のいい子じゃないか。それで? また喧嘩したのか?」
途端に宰相の背負う空気が重くなった。
「ルーセリトは良い意味でも悪い意味でもウェルファを子供扱いしないので…。もう少し甘く見てもいいと思うんですがね」
傍らの同僚にセティスの肩がつつかれる。コソコソ話の合図だ。
「そんなに険悪なの? リタサナ兄弟」
「ううーん。まあ、実の弟に品もなければ知性もないのかって言ってるのを見るとなあ」
「うわあ…。てかそれってさ」
妬みじゃないの?
ばっと咄嗟に同僚の口元を手で塞ぐ。何をするんだと不機嫌そうに目で訴えてくるがそれどころではない。
錆び付いた玩具のような動きでセティスの首が横へ回る。
その先に佇むのは表情が削げ落ちた宰相閣下。
「私の前で息子の悪態をつくとは良い度胸だな若造」
「か、閣下違うんですこれはっ…!」
「喋るな動くな歯を食いしばれ」
迫り来る恐怖を前に同僚と二人か細い悲鳴を上げた。
しかし救いの手が差し伸べられる。第三者が執務室の扉をノックしたのだ。
助かった。命拾いした。
だが入室してきた人物を認めて今度は良心が苛まれることとなった。
「執務中失礼します。父上、こちらの印鑑を家に忘れてましたよ」
「おお! すまんルーセリト。ありがとう」
ルーセリトだ。ルーセリトがいる。
ついさっきまで話題にしていただけあって気まずい。なんとなく視線も泳いでしまう。
おかしい。同僚はともかく自分は何も言っていないのに何故こんなやましさを感じているのか。
ルーセリトは父の手の中で握り潰されている書類に片眉を上げた。
「仕事に使うものでしょう? 怒られますよ」
「はっはっは。そうだな。うむ。その通りだ」
「…はあ…?」
挙動不審だ。ついさっきまで一悶着ありましたと全身でばれている。
こんな下手な誤魔化しがあろうか。
国王は我慢出来ずに吹き出した。
「お前達は相変わらずだな」
「すいません、陛下の前だと言うのに」
「よいよい。実に愉快だ」
申し訳なさそうに苦笑するルーセリトは十五歳という年齢よりずっと大人びている。
セティスは感嘆の声が漏れた。自分が彼と同じような年頃なんて、貴族としての教育を如何にさぼり遊び尽くすかとしか考えていなかった気がする。
「流石は次期宰相だな」
「なんだセティス、知らないのか? 後を継ぐのは弟の方らしいぜ」
「え?!」
そうか、だから同僚はさっきああ言ったのか。合点がいく。何故ならセティスも思ったからだ。
「嫉妬して弟を苛めてるわけね」
「ばっかおい…っ!」
あ。まずい。
血の気が一気にさがりどっと冷や汗が吹き出し背中を伝う。
蒼白な顔色の同僚から宰相がどんな反応をしているか想像つく。しかもルーセリト本人もいるのだ。終わった。
セティスの心と頭は人生の幕引きの準備を始めた。
しかしその幕をめくり上げたのは他ならないルーセリトであった。
「なんとなく察しましたが、大体皆さんそう仰いますよ。先日はルマダラ侯爵にも言われましたね」
「え。あ、すみませ、」
「ふ、大丈夫です。気にしてませんので。」
そんな風に穏やかに微笑みかけられたら言葉なんて失ってしまう。罪悪感で。
「あまりそういうことに興味を持てなくて。逆に面倒事を引き受けてくれた弟に感謝してるくらいです」
「そ、そそそうなんですか?」
どもり過ぎて舌を噛んだ。セティスは痛みとその他諸々で涙目になりながらルーセリトと向き合い続ける。宰相の方は消して見ない。見てはいけないと本能が告げてくる。
「ですので、凄いなとは思いますが嫉妬や妬みは特にないですね。誰にだって得意不得意がありますし」
「…自分はルーセリト様も素晴らしいと思います。そこまで達観してる子ってなかなかいないですよ」
礼を告げるルーセリトは世辞として受け取ったようだが、セティスは本心から思っていた。
将来上司にしたい有能な人材の順位付けがあったとすればきっと圧倒的な差で一位を獲得するのではないだろうか。
そうだ。今のうちにコネをつくっておこう。
開き直ったセティスは案外面の皮が厚かった。
ルマダラは仕立ての良い革靴をカツカツとリズムよく鳴らしながら王城の通路を歩いていた。
五十を過ぎてもしゃんと伸びた背筋や広い肩幅から若々しさが感じられ、対峙する相手に威圧感を与える。
その厳しさは冬に似ていた。
「侯爵!」
呼び止められ、ルマダラは進めていた足を止めて振り返った。
「宰相閣下」
胸に手を当て目礼する。
宰相は快活で晴れやかな笑みを浮かべながらこちらへやってくる。旧友に会えた喜びではない。彼はここ数日、誰に対してもこんな感じだ。
理由は明白で、息子達の仲違いが改善したのである。
しかしきっかけが暗殺事件と言うのだから皮肉なものだ。
こうして後始末に協力している者含め、事情を知っている人間…近衛隊で例えるとセティスという青年なども宰相と同じように笑顔を弾けさせていたなと思い出す。
「この間貴公が原案した政策に手を加えてみたのだが、後で確認して意見を聞かせてくれ」
「分かった。まとめた物をまた出そう」
渡された書類には、自分の字の上から癖のない綺麗な字がびっちりと付け足されていた。
さっと目を通してある一点でとまる。
「外交案のこれ、よく思いついたな。うまくいけば画期的になるぞ」
「ルーセリトが考えたのだ。全くあの子には驚かされる
「………ああ」
ルマダラは予想外の衝撃を浴びると言葉数が少なくなるタイプの人間であった。
「後継者のこと、少し考え直した方がいいのでは?」
「いいや。それは変わらない。ルーセリトもウェルファをと願っている」
勿体ないという気持ちを抑え、ルマダラはそうかとだけ呟いた。
「あの子はうちのとっておきだからな」
「そうか」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた旧友に、ルマダラは一切の感情を殺した無感動な声で答えたのであった。




