本編前 家庭内ストーカー
とても久しぶりに読み返して思った。
うわあ書き直したい。
前世の記憶を持ったままこの世に生まれて早十二年。
どこの世界にもストーカーは存在する。
ルーセリトはそれを身をもって体験していた。
じっとりと纏わり付いてくる視線となんかいるなという気配を感じるようになってかれこれ3日が経つ。
いつまで続けるつもりなのか。目的は何なのか。問い質そうにもあんな真剣な顔で見られては流石に気後れする。
今も自宅内だと言うのにこうして一定の距離を保って付いてきている。
「ウェルファ」
「なんだよ」
いや、それこっちの台詞。
「何か用か?」
「べつに。あんたが俺のまえにたまたまいただけだろ」
このやり取りがもう何回続いていることか。
じっと新緑の瞳を見据える。向こうも視線を逸らさない。
なんだこれ。熊のにらみ合いか?
「…好きにしろ」
これまたお決まりになった返事をして身を翻る。
息抜きに街へ行こうと思っていたのだが、この調子だとそれにも付いてきそうな雰囲気である。
案の定、馬車が二つ用意されていた。
「お前も何処かにいくのか?」
「兄きにはかんけいないだろ」
そう吐き捨てて自身の馬車に乗り込んでも発とうとしないわけで。
「子供って難しい」
特にうちの弟は。
***
天才と褒め称えられるウェルファにも苦手なものがいくつかある。
その最もたる例が実の兄であるルーセリトだ。
ウェルファに冷たく、何を考えているか分からないところがすこぶるイライラする。
何故そんなにも自分は嫌われているのか。能力が優れていることは良いことの筈なのに、持ち腐れだと温度のない目で見下ろされるのはどうしてなのだろう。
何をすれば。どれだけ優秀になったら。
兄に、好かれるのだろうか。
そうして考えた結果、ウェルファはルーセリトの弱点を掴もうという結論に至った。
何故そうなったかは本人にしか分からない。もっと他にあるだろうと指摘してくれる人が誰もいなかったのが非常に残念だ。非常に。
「ついてくるなよ」
「しかし坊ちゃま…」
「くるなってば!」
馬車から降りて兄が消えた書店へ走る。護衛の焦った声など知ったことではない。そもそも、ルーセリトにはいないのに自分にだけ護衛が付いていることだって気に食わない。
随分古びている扉を開けて店の中に入る。墨と紙の独特な香りが鼻を擽り、埃っぽさにくしゃみが出た。
「ウェルファ、静かに」
「ほかに人なんていないじゃん」
「マナーだろ。俺がよく来ることを知ってる店主がこの時間帯だけいつも貸し切ってくれるんだ」
ルーセリトはウェルファを見ない。ずらりと並ぶ本に目を向けたまま、傷つけないようそっと棚から取り出して表紙を撫でるのだ。
ウェルファにはしてくれない癖に、その手でただの紙を撫でたのだ。
別に、悲しくなんてない。がっかりすることなんて何もない。兄が自分に対して素っ気ないのは最初からだ。今に始まったことじゃない。
ふと、綺麗に磨かれた窓へ視線が引き寄せられる。薄暗い店内に浮かぶ自分の顔が写っていた。
ぐちゃぐちゃにすり潰した感情がそのまま表へと出てきた、あまりにも情けない表情だ。
「…きもちわるい」
「具合が悪いのか? なら早めに出よう。匂いに寄ったのかもしれない」
先を行くルーセリトへついて歩く。帰るという選択肢はウェルファにはない。それが分かっていたのか、ルーセリトはそのまま隣の店へ入ると、紅茶を2つ頼んでから先程買ったばかりの本を読み出した。
「ここの喫茶店も顔馴染みなんだ。長居したところで問題ない」
「ふーん」
そう言えば、と机を叩く指の動きが止まる。
何しに来たとか、邪魔だとかはルーセリトから言われていない。ましてや帰れの言葉もない。
一緒にいることを許されている。
「………」
なんとなく、今なら素直に聞ける気がした。
「あんたさあ、弱てんのひとつやふたつないわけ? ほんとつまんねえやつ」
無理だった。
しかし彼は特に気分を害した様子もなく、運ばれてきたアールグレイの紅茶を一口味わうだけだった。
「弱点というか、手を出されたくないものならあるな」
「へえ? いえよ」
カチャリ。置かれた陶器が僅かに音を立てる。
伏せられた蜂蜜色の瞳が揺蕩うかのようにゆっくりと上げられ、長い睫毛が強調するかのように周りを縁取っている
誰かの恍惚としたため息が漏れた。
「ウェルファ」
「だからなん…」
「あとはそうだな、父上と母上もだ」
「……え?」
花が綻ぶようにルーセリトが微笑む。
それはウェルファへ向けられていて。
「っ、」
この込み上げてくるものはなんだ。喉元までせり上がってくるものはなんだ。それが邪魔で言葉を返すことができない。溢れそうになるのを食い止めるのに必死で笑顔を浮かべることすら不可能だった。
うそつき。
本当に嘘だったら1番悲しむのは自分のくせにと、嘲笑う声が聞こえたような気がした。
それからどうやって家に帰ってきたのか、正直よく覚えていない。
気付けば夜になり、寝台へと寝転んだところでやっと我に返ったような感じだ。
ルーセリトの弱点は家族だった。その中に、ちゃんとウェルファも含まれていた。
いつか、もしかしたら。
ウェルファが望んでいる日がくるかもしれないと、重く閉じていく瞼の裏で思うのであった。




