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四つ葉さがし

作者: 七水 樹



「凛花」


 ブランコに座って、丸まった背中に呼びかけても、反応はない。仕方なく俺は立ち上がり、彼女の側まで言って再び声をかけた。


「……何やってんの」


 草むらに手を突っ込んで懸命に何かを探す彼女の姿に浮かぶのはそんな言葉だった。彼女は顔を上げると、声の主である俺に向かってへらりと笑いかけた。


「四つ葉のクローバーを探してるの」

「四つ葉?」


 怪訝な顔で復唱すると「英太、知らない?」と彼女は小首を傾げた。


「四つ葉のクローバーにはね、人を幸せにする力があるんだってさ」


 すごいねー、と彼女はころころと笑い声をあげた。俺は相変わらず眉を寄せて、いまいち理解し難い、と言う顔をした。

 俺は彼女のすぐ前のクローバーの群を挟んだ向かいにしゃがみこむと、再び彼女に問うた。


「そんなものを見つけてどうすんだよ」


 彼女は一瞬きょとんと幼い表情を見せてから、すぐにまた笑顔に戻った。



「幸せになりたいじゃん。二人で、一緒に」




 *  *  *





 爪に入ってしまった土をしきりに気にして、指先をいじっていると前方から「ちゃんとつかまってろよ」と注意された。私は生返事をしてゆるゆると彼の背に抱きつく。

 あの後も帰宅を促す彼を引きとめて、私はしばらくクローバーの群を撫で回していたが、結局四つ葉のクローバーは見つからなかった。そんなの本当にあんのかよ、と彼は呆れた様子で渋々諦めた私に問いかけた。私は多分、としか答えられなくて、また更に彼を呆れさせてしまった。


 高校に入学してから、二人とも同じ日に部活も講座もない休みになることなんて滅多になくて、今日の存在を知った時から私たちは二人で出かける約束をしていた。自転車を飛ばして、私たちの住んでいる町の中央のショッピングモールまで来て、映画を観て、買い物をして、昼食を摂って、散歩をして、本屋を巡って、アイスを食べながら公園で大人げもなくブランコを占領した。

 二年前、中三の時から続いている、遠距離恋愛中の恋人との久しぶりのデート。別の高校に入学してからは、めっきり会うことが無くなっていた。お互いにマメな方でもなくてメールだって、あまりしない。電話なんて、もっとしない。携帯電話世代の現代っ子には珍しいと周りの人には良い意味でも悪い意味でも色々とからかわれていた。


 そんな彼とは、幼い頃からの付き合いで、ほとんど姉弟の関係に近かった。だから、久しぶりに会ってもそんなに緊張と言う緊張はしなかった。中学の時と変わらぬ、色気のないカップルとして、私たちは相変わらずに今日ものんびりとマイペースなデートをして、私はそれがとても充実していたと思った。きっと、彼もそうだと思う。


 ただその日は買い物をしたと言ってもほとんどが冷やかしで、形に残る物なんてなくて、本屋でも立ち読みだけで済ませてしまっていた。だから私は何か彼と一日を過ごしたことの証のような形づいた物が欲しかった。最大限の女らしさというか、何というか。私だって、彼のことをちゃんと恋人だと思っているのだ。


 そうして、知り得る情報をこねくり回して、思いついたのが四つ葉のクローバーだった。


 昔どこかで聞いた、幸運を招くと言う植物。噂でしか知らなくて、本当にあるかどうかは分からなかったが、見つけてみたいと思った。

 今日見つけることが出来なければ、またしばらくこうして出かけることが出来ない日が続くんだろうなぁ、と思った。でも仕方がないとそこは割り切る。お互いにもう、そう言う時期なんだ。遊んでばかりいられなくなった。少しだけ大人に近づいた証拠で、少しだけ子どもから遠ざかった証拠で。しかし、だからこそ諦めてしまうのが酷く惜しく感じられた。私はまだ四つ葉のクローバーに未練を残していた。

 けれど、もうこれ以上彼を付き合わせるのはあまりに申し訳ない。彼女との久しぶりのデートの締めくくりが四つ葉のクローバー探しなんて、さすがにげんなりするだろう。

 今日一日を過ごした証がなくたって、思い出があるじゃないと前向きに思考の転換をしている時になって私はようやく自分の乗っている自転車が家路についていないことに気付いた。

 私は慌てて彼に尋ねる。


「どこに行くの?」


 彼は少し間を置いてから、「ちょっと、用があるんだ。付き合ってもらっていい?」と返答とともに私に問うた。私は二つ返事でいいよ、と答えた。今まで散々彼を付き合わせたのだから、彼の用に付き合うのは当然だ。


 静かに黙って彼の背に身を委ねていると、自転車を漕ぐしゃこしゃこと言う音が徐々に遠のいていった。久しぶりに人混みにのまれ、疲れてしまったのかもしれない。そのままうつらうつらしていると、私は彼の背に抱きついたまま眠ってしまった。心地良い振動と彼の体温に包まれて、幸福な瞬間であった。




 *  *  *




「おーい、起きろよ」


 小さな子どもにかけるような彼の言葉で私の意識は引き戻された。彼の背は変わらずにそこにあったが、自転車は止まっていた。私は目をこすりながら唸って、彼から上体を離した。伸びをしていると、彼が自転車から降りて、サイドスタンドを立てた。その振動に、私は、着いたんだ、と気付いた。

 眠気で自転車の上でとろとろとしていると「ほら」と彼が手を差し出してきた。紳士的な振る舞いに寝ぼけながらも気分をよくして私はその手を取った。


「しっかりしろって」


 彼は苦笑混じりの声でそう言うと、私の手を取って歩き始めた。私はよろけながら彼の後についていく。


「……あれ、英太の用事って私も関係するの?」


 彼は私の歩調に合わせて、ゆっくりと歩きながら頷いた。首をめぐらせると、空は茜色に染まり、大きな夕日が出ていた。私たちを挟むようにして左手には小さくなったショッピングモールが見えた。上空を夕日に照らされて少し褪せたような色合いのアドバルーンが飾る。そして右手には低い場所に川が流れていた。周りには橙色に光を反射させる草花が背丈もまばらに生えている。風が吹くたびに独特の色合いを持った草花が揺れた。私の手を引く、少しだけ身長の高くなった彼の向こうには川をまたぐ橋が見えた。

 ふと視線をさげると、私たちのすぐ横を少し明るめの影が手を繋いで歩いていた。それはとても素敵な恋人同士に見えて、私の頬は少し紅潮した。握られた手が心地よい温度で、私はそっと彼の手を握り返した。


 いつからかは覚えていない。だけど、気がついたら、泣き虫だった子どもは立派な男の子になって、私の想い人になっていた。小さな頃は、私よりずっと背が低くて、弟分として可愛がっていた。よく喧嘩をしては一緒になって叱られて、泣いて、喚いて。だけどどんな時でも謝るのは彼からだった。


 彼は、気がついたら私よりずっとずっと、大人になっていた。


 気付かされる度に、ああ、もう子どもではいられないんだって、複雑な気持ちにさせられる。喜びとか悲しみとか、嬉しさとか寂しさとかが混ぜこぜになった気持ち。それはきっと、私がまだ子どもでいたいからだ。まだ、責任とか、そんな重たいものから逃げていたいからだ。彼と、まだずっと馬鹿なことをして笑っていたいからだ。

 でも人の時なんて本当にあっと言う間で、もう高校生なんて言う片足を大人の枠に突っ込んだような不恰好な体勢をとる所まで来てしまっていた。

 春に、十六歳になって、結婚できる年になったんだよね、と友だちと騒いだ。そんなことを思い出しながら、彼の後ろ姿を見ているとさらに頬が照ってきて、私は目を伏せた。


 ――何考えてんの、私。





 私の足と彼の足が交互進んでいくのをぼんやりと見つめながら、どこにいくんだろう、と考える。足元はアスファルトから小さな草花に変わり、硬い感触がやや弾力のある土のものに変わった。彼は私を川の方へと導く。橋のすぐ下まで来て、ようやく彼はその歩を止めた。手を離して、体を横に避けると彼は「着いたよ」と私を振り返った。

 視線を前に戻して、周囲を見回す。特にこれと言って目立ったものはない、普通の土手がそこには広がっていた。私が困惑した表情で彼に答えを視線で求めると、彼は橋のすぐ下の影の部分を指差した。


「あ……」


 私は、思わず声をあげる。彼が指差したその先にはクローバーの群があったのだ。橋の影になる部分に、密集して咲いている。その中にいくつか白い花も見えた。シロツメクサ。それを取り囲むようにしてクローバーが広がっている。


「これ……、え、あの」


 すっかり動揺している私を見て、彼は得意気に笑った。


「別にサプライズにするつもりじゃなかったんだけど、お前途中で寝ちゃったからさ。

 ……ここなら見つかるかもしれないじゃん。四つ葉のクローバー」


 そう言って彼はクローバー群に近づき、躊躇なくその中へ手を突っこむ。どれも三つ葉ばっかりだなと呟く彼を、私は呆然と見つめていた。その視線に気付いたらしい彼は顔をあげ、「どうかした?」と首を傾げる。


「えと、その……。ちょっと、ビックリしちゃって」


 てっきり呆れられているんだと思っていた四つ葉のクローバー探しに、まさかの彼の参加で、私はぎこちない動きのまま彼とともに四つ葉探しを始めた。驚いて、でも嬉しくて、恥ずかしくて、頭の中がいっぱいになった私は全身が熱くなった。ただでさえ、私の中にはうまく言えないモヤモヤとした何かが渦巻いているというのに。ちっとも四つ葉探しに集中できない。こんなの私らしくない、と心の中で呟いた。私たちらしくない。私たちの恋はもっと淡白で、単純で、薄っぺらいものだと思っていたのに。


 私、今、すごいどきどきしちゃってるよ。


 ちらりと盗み見た彼の顔は真剣そのもので、ゆでだこの私になんてちっとも気付いていない。それが救いなようで、少し残念な気もする。私の為に一生懸命四つ葉を探してくれているのに、今の私に気付いてない。それは何だかあべこべで、にやにやと口角が上がりそうになるのを、私は必死で堪えていた。





 黙々と探し続けて、どれくらい経っただろうか。いくら陽が長くなったとはいえ、こんな私たちにいつまでも付き合ってくれるほど、太陽も暇ではない。辺りは少しずつ薄暗くなり始めていた。


 やっぱりそう簡単には見つからないか、と半ば私が諦めかけていると彼がぴたりと動きを止めて「あった!」と叫んだ。


「えっ」


 私は驚いて、喜々として駆け寄ってくる彼の手に握られているものを見た。掌を広げた彼は、興奮した様子で「これ、そうだよな。四つ葉のクローバーだよな」と捲くし立てた。

 確かにそれには四枚の葉が付いていた。緑色で小さなハート型の葉がついている。


「あ、これ……」


 口を開きかけた私に気付かない様子で、彼は饒舌に語り始めた。


「単なる迷信だって思ってたけど、あるもんなんだな。すごいな、これ。本当に四枚付いてるんだぜ。あと、他の三つ葉には白いラインがあるんだけど、これにはないよな。これも四つ葉の特徴なのかな?」


 彼は指先でくるくると四つ葉を回すと、ちらりと何度か私に視線を送ってきた。私は言葉を返すタイミングを失ってしまって、「あ」とか「う」とか、先ほどから言葉らしきものが出せていない。


 彼は、視線を私に送りながらもそれを何度か彷徨わせて、覚悟を決めたのか真正面から私の顔を見つめた。ばっちりと目があって、私は数度瞬く。彼は、上ずった声で「やるよ、これ」と言って、ずいと私の前に四つ葉を突きつけた。


「し、幸せになるんだろ。四つ葉のクローバーの力とか、何とかで」


 照れているのか、彼の言葉は段々と尻すぼみになっていく。そんな様子を見せられると嫌でもこっちも照れて、恥ずかしくなる。うん、と頷いてみせたが、彼に突き出されたその可愛い葉っぱが、何であるか私はもう気付いていた。


「あのね、気持ちはすごい嬉しいんだけど」


 私はちょい、と葉っぱを指差して言った。


「これは〝カタバミ〟って言って、四つ葉のクローバーによく似た植物なの。ハート型の葉っぱの形で、白いラインがないのが特徴なんだけど……」


 もそもそと言葉を濁す私を見て、彼の目は点になった。それから空気が抜けたかのように、しゅるしゅると落ち込んでしまった。


「いや、でも実際そんな違いなんてないし、もうこれが四つ葉のクローバーって言っても過言じゃないよ! 大丈夫、大丈夫」


 何がどう大丈夫なのか、自分でもわからないが、私は慌てて薄っぺらな慰めの言葉を並べた。しかし彼はぽいとカタバミを投げてしまった。


「本物じゃなきゃ、意味ないだろ。もう一回探しなおす」


 口を尖らせて、クローバー群へすごすごと戻っていく彼の姿は、まるでへそを曲げた小さな子どものようで、申し訳ないが思わずくすくすと笑い声をたててしまった。


「いいよ、これだって立派なクローバーだもん」


 眉根を寄せて、彼は振り返る。


「私にとっては、英太が一生懸命探してくれたこれが、大事な四つ葉のクローバーだよ」


 噛みしめるようにそう言って、側に落とされたカタバミを拾い上げる。そっと、祈るように両手で包みこんだ。私のどうでも良い独りよがりに付き合って、必死になって四つ葉のクローバーを一緒に探してくれた彼の気持ちが嬉しい。だから、彼の見つけてくれたこのカタバミこそが、私の、私だけの四つ葉のクローバーなのだ。


「ありがと。嬉しい」


 そう言って笑うと、彼は明後日の方向を向いて頬をかいた。しばしの間があってから「そっか。それなら、いいんだけど」と小さく呟くのが聞こえてきて、私は笑みを深くした。




  *  *  *




 太陽はまた更に沈んで、空には星が瞬き始めていた。自転車を漕ぐ音を、彼の心音と重ねて聞きながら私たちは家路へ就く。帰り始めには「お前、本当にそれでいいのか?」と尋ねていた彼だったが、私がにこにこと頷くのを見て、納得してくれたらしかった。妥協しているわけじゃない。こういう私たちでいたいのだ。


 たとえ、メールもしなくて、電話もしない薄情なカップルだと言われても、私たちはこのままで。こうして二人でゆっくり踏み出せればそれでいい。

 きっと四つ葉のクローバーも、こんな私たちを祝福して姿を隠しているのだろう。


                                   END




高校文芸で植物をテーマにして書いた作品です。

■2017.11.17日 加筆修正

 当時「すっごい、らしくないのできた!」と思っていましたが、久々に読み返すと「やっぱり、らしくないな」と思いました。恥ずかしい!


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