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Angels 〜1〜

作者: cocoa

「一番難しいのはね、まず今の状況を受け入れさせる事なんだよ」

 と、その、人間で言うと初老に見える天使は言った。

 空とつながっているように見える輪郭のぼやけたシルバーグレーの髪が、ゆっくりと風になびき、見上げるぼくの目に美しくまぶしい。彼らが一目でそれとわかる一番のポイントは、神さまがつくった世界と、自然とどこかで溶け合っているところだと思う。人間は、地上で生きる年数が長いほど、神聖さとは隔絶され、黒くてはっきりとした境界線をもつようになる。もっとも、そのバリアは、必ずしも悪い働きばかりではないけれど、その辺は、またおいおい話すとして。

「受け入れさせるって?」

 ぼくは、キリンレモンをぐいっと一気に流しこんでから訊いた。

「つまり、突然命を絶たれた人間は、なかなか自分の死を受け入れないものなんだよ。自分は生きていると言いはってきかない。まぁ、思考も肉体的感覚も、生前と変わらないんだから無理もないがね。だからしばらくの間はそれまでとまったく同じ生活をしようとする。仕事人間だった者は、いつも通りに会社へ出かけていくし、朝になるとシャワーを浴びたり、新聞を読んだり、テレビを見てはあれこれ文句を言っている者もいる。あくまでも普通のふりをして、自分は何も変わってませんよ、といった顔をしてね」

 天使も、ぼくを見習って、キリンレモンを一気に飲み干す。

「おいしい?」

「ああ」

 天使はさも満足そうにうなずく。

「地上へ降りるたびにこうやってこの世界のものをいただくのも実はちょっとした楽しみでね」

「あの世にはないの?こういうものって」

「飲もうと思えばないことはないが、不思議と向こうへ帰るとこういうものにあまり関心がなくなってね。まぁ、食べなくても生きていける世界だから特に支障もない」

「支障がなくても淋しいよ」

 ぼくが心から同情して言うと、天使はとても愉快そうに笑った。


 ぼくは、生まれつき不思議な力を持っている。二つの世界が、オーバーラップするように同時に見えるんだ。死んだはずのおばあちゃんが居間で普通にお茶をすすっていたり、お葬式の遺影の横で、本人が困った顔をして立っていたり。それが幽霊という特別な存在で、ぼくにしか見えないものだということも、だいぶ大きくなってから知ったことだった。でも彼らは、ぼくたちの世界へ、わざわざ人を驚かせようとしたり不幸にしたりするために現れるんじゃないってこともわかる。もちろん、そういう意図を持っている者もいるにはいるけれど、大部分は、彼らもただ生きているんだ。その場所で、魂となってもなお。

 だから、学校の帰りにいきなり天使に話しかけられたからといって、驚いたりはしなかった。それどころか、

「どうしたんだい?」

 なんて声をかけられて、正直うれしかったくらいだった。その日ぼくは一日中体調が悪くて外で遊べなかったし、友だちともあまり話せなくて少し暗い気分になっていたから。

 それでも一応知らない人(天使?)なので、べつに、ととりあえず無愛想に応えたんだけど、彼はそれでも気分を害するふうもなくくっついてきて、

「退屈だったのかい?」

 ときた。図星だ。

「まぁそんなとこ」

 このあたりで、かなり気分は無防備になっていた。話し相手に飢えていたのかも知れない。

「よくわかるよ」

 と言った天使の言葉には、あまりにも優しさがこもっていた。不覚にもぼくはじんと胸があつくなり、すっかりそのまま話しこんでしまっているのだ。

 人気のあまりない駐車場のすみで。

 だって、周りの人には、ぼくが独りごとを言っているようにしか見えないんだから、あまり人の多い場所だとちょっとね。

 彼は、お迎えという役目を与えられている天使で、あの世へ帰る魂を導くのが仕事なんだそうだ。初老に見せているのも、年をとった人を説得するには、この方が都合がいいらしい。

 確かに、いきなり現れたどこの馬の骨ともわからない若造に意味のわからない事を言われても、訊く人なんていないのかも知れない。

「生きている時に頑固だった者は死んでもやっぱり頑固でね」

 苦笑しながら天使が言う。大変そうだな、ってぼんやりと思った。

「あそこにもいるだろう?」

 天使が指さしたのは、古い平屋の前で植木の世話をしているおじいさんだ。2年前に亡くなっていた。

「私の友人がさんざん説得したんだが、まだここに残るといってきかなくてね。仕方がないから奥さんが亡くなった時に一緒に連れて行くとか言ってたな」

 ぼくもその人が今もここで暮らしていることは知っていた。誰かが家の前を通ると、こんにちは、とか、今日も暑いね、とか普通に話しかけている。

 相手が自分に気がつかなくても、返事が返ってこなくても、気にする様子はみじんもなくて、鼻歌なんかを歌ったりして。

 とても上品そうな奥さんがいて、出かける時には、いつも側で並んで歩いている。

 一人、話し続けながら。

 そんな姿はとても自然で、生きていた時と、本当に何も変わっていないように見える。だからぼくは天使に言った。

「きっとぼくもそうすると思うよ」

「きみはとてもいい人だね。きっと大丈夫だ」

 天使の笑顔は、少し淋しそうに見えた。


 雨が降りはじめたので、ぼくたちは、近くの児童公園にある金魚の形をしたすべり台のトンネルの中へと移動した。さっきの天使の言葉がどうしてか胸にひっかかっていたぼくは、何が大丈夫なのか訊いてみた。

 天使は、顔をぼくに向けながら、瞳だけはぼくを通り越して、金魚の口の向こうで筋となっておちていく雨を見つめている。優しいのにどこか切な気に、静にそこに宿る光は、なぜかとてもぼくを悲しくさせた。

 天使は、ぼくの問いには応えずに続けた。

「私だって愛しい者をおいていかなくてはいけない悲しさはわかっているつもりだよ。これでも人間として生きたことは何度もあるからね。それに慣れ親しんだ場所から離れるのは誰だって恐い。いつまでもこの場所にとどまっていたいと思うのは当然の感情だからね、でもね」

 今度はしっかりとぼくに瞳を向けて彼は言った。

「生みの苦しみなんだよ」

「生みの苦しみ?」

「新しい世界へと飛び込む前の一時の試練とでもいうかな」

「一時の」

「ああ、ほんの一時だ」

「そう」

 静かな雨が、ぼくの中にも降りだしていた。やみくもにうずまいていたものを連れて地球の底へと沈んでゆく。


 雨があがるのを待って、ぼくたちは家の方へ向かって歩きだした。

 おじいさんが、ぼくに向かって、おかえり、と声をかける。今日は遅かったな、と笑う。

「ちょっとね」

 たったひと言返しただけで、とびきりのプレゼントでももらったような顔をしている。話せる相手がいるということは、何より幸せなことなんだとぼくにはわかる。ぼくを見送ったあと、あのおじいさんは、きっと奥さんにぼくのことを話すだろう。

 寄り道して悪いやつだとか、知らない男とキリンレモンを飲んでいたとか、一緒に晴れ上がった空を見たとか、何でもないことを話し続けるだろう。

 応えない奥さん向かって、それでもとても幸せそうに。


 道すがら、ぼくはいろんなことを天使に話した。男ばかりの三人兄弟の末っ子だということ。上の二人はすごく足が早いのにぼくはうまく走れなくて転んでばかりだったこと。それでもぼくの家にはぼくの写真が一番多いってこと。家のふすまにはいっぱい穴があいていて、あちこちにシールが貼ってあって、落書きもいっぱいで、それでも父さんも母さんもぼくをあまり叱らずに、男の子は元気が一番だっていつも笑ってくれたこと。

 ぼくが何かすると、二人はとても楽しそうに笑う。とても優しい顔して笑う。なのにどこか淋しそうな顔をする。その顔は、どこか天使のまなざしと重なった。

 優しさと悲しみは、いつもどこかで手をつないでいるのかも知れない。


 家の前で足を止める。

「どうだい?」

 天使がぼくをのぞきこむ。

「生みの苦しみって言ったよね」

「それってそれを乗り越えたらまた幸せな世界へいけるってこと?たとえば、一時離ればなれになった人たちともまたどこかでめぐり逢えたりもするってこと?」

 そうだったら、本当にそうだったら。

「もちろんだよ」

 その言葉には、やっぱりとても優しさがあふれていて、ぼくは心から安心できた。ぼくはずっとそれが欲しかったんだ。

 もう一度家に入ろうかとも思ったけれど、心がいうことをきくうちに、歩き出した方がいいような気がする。

 きっと大丈夫。

 今なら言える。この人になら。

 ぼくは素直に天使に言う。

「来てくれたこと、ありがとう」

                                     cocoa

 

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