9話
魔術の訓練を見るのは、初めてだった。
要塞北棟の裏手にある訓練場。石壁で囲まれた広場で、魔術師団の面々が魔術を撃っている。
炎が宙を走る。氷柱が地面から突き出す。風が渦を巻いて的を砕く。
——すげえ。
純粋に感動した。これがRTSなら最上位の特殊ユニットだ。
「元帥殿、何を嬉しそうにしてるんですか」
リーゼが横に立っていた。左腕の包帯はまだ取れていないが、表情は元気だ。怪我を理由に休む気はまったくないらしい。
「いや、魔術って本当にすごいなと思って」
「当然です」
リーゼが胸を張った。誇りが滲んでいる。
「ちょっと質問していい?」
「……何ですか」
「魔術の詠唱って、省略できる? 戦場で長い詠唱してる暇ないでしょ」
「できますが、威力が落ちます。私の場合は二節まで省略可能です」
「発動までの最短時間は」
「無詠唱で約一秒。ただし威力は通常の三分の一」
「射程の限界は」
「属性によりますが、火属性の場合——」
「有効射程と最大射程の両方教えて」
「有効射程百五十メートル。最大射程三百メートル。ただし三百では精度が——」
「面制圧なら精度は要らない。三百メートルから面制圧を撃てるなら、弓兵の有効射程の外から一方的に攻撃できる。これ、今まで使ってなかったの?」
リーゼが口を開いて、閉じた。
「……使っていませんでした。従来の運用では、魔術師は歩兵の直後に配置されて、前線の火力支援を行うのが常でした」
「前線の火力支援。つまり敵と直接接触する距離で」
「はい」
「それで犠牲が出てたのか」
リーゼの表情が硬くなった。
「……はい」
前任の上官の作戦。魔術師を前線に貼りつけて、火力の壁として使い潰す。
損耗率が高いのは当たり前だ。射程の優位を活かさず、歩兵と同じ距離で戦わせていたら、魔術師の価値は半減する。
「リーゼ」
「はい」
「魔術師団をもっと前線に出す、なんて言うつもりはない」
リーゼが俺を見た。
「俺が考えてるのはその逆。魔術師団が最大効果を出せる位置を、歩兵側が作る」
「……最大効果を出せる位置」
「射程三百メートルから面制圧ができるなら、魔術師団は前線から三百メートル後方に配置できる。敵の白兵攻撃を受けない。歩兵が前で受け止めて、魔術師が後ろから焼く。前の夜襲と同じ構造だけど、もっとシステマチックにやれる」
リーゼが考え込んでいる。
「さらに——機動運用。魔術師団は重装甲の歩兵より足が速い。局面に応じて移動して、必要な場所に火力を集中させる。攻撃ヘリ的な使い方だ」
「攻撃ヘリ?」
「えーと、この世界にはないか。空から攻撃する乗り物で——まあいいや。要するに、固定砲台じゃなくて、動く大砲として使う」
リーゼの目が光った。
怒りでも警戒でもない。興味だ。
「それなら——魔術師の生存率は大幅に上がります」
「だろ。火力を落とさずに損耗を減らせる。これが正しい運用だと俺は思う」
リーゼが黙った。
長い沈黙の後、小さく息を吐いた。
「……元帥殿。一つ聞いてもいいですか」
「何?」
「なぜそこまで魔術師の犠牲を気にするんですか。あなたは——戦場経験もないのに」
「経験がないからだよ。死んだ人を見慣れてないから、一人でも多く生かしたいと思う。それじゃダメか」
リーゼの唇が微かに動いた。
何か言おうとして、飲み込んで。
「……ダメじゃ、ないです」
声が小さかった。
* * *
訓練の後、ヘルガの執務室に呼ばれた。
「あら、坊や。さっき訓練場にいたわね」
「見学させてもらいました」
「リーゼに質問攻めにしてたそうね。あの子、困ってたわよ」
「困って……ました?」
「あの子は質問されるのに慣れていないの。将官たちは魔術の中身なんて聞かないから」
ヘルガが紅茶を差し出す。蜂蜜入り。もう好みを覚えてくれたらしい。
「それで、坊や。魔術師団の運用を変えたいのね」
「変えたいです。ヘルガさんの許可が要る」
「許可、ね」
ヘルガが紅茶を一口含んだ。
「許可なら、あげるわ」
「え、もういいの?」
「あなたの提案は理にかなっている。それに——リーゼが納得した顔をしていた。あの子が納得するなら、私が反対する理由はないわ」
ヘルガが微笑んだ。
「ただし、元帥殿」
初めて「坊や」じゃなく呼ばれた。
「魔術師団を壊すようなことがあったら——私が凍らせるわよ」
笑顔だった。笑顔なのに、背筋が凍った。
「肝に銘じます」
「よろしい。——あ、もう一つ」
「何ですか」
「リーゼをよろしくね。あの子、不器用だけど、認めた相手にはまっすぐよ」
「……はい」
何を「よろしく」なのか。戦場の話なのか、それ以外の話なのか。
ヘルガの微笑からは、何も読み取れなかった。
* * *
夜。
廊下を歩いていると、窓の外に人影が見えた。
北棟の屋上テラス。月明かりの中で、リーゼが一人で立っていた。
風にマントがはためいている。銀髪が月光を受けて光っている。
綺麗だな、と思った。
戦場で炎をぶっ放している時とは別人みたいだ。
声をかけようか迷って、やめた。一人になりたい時もあるだろう。
踵を返しかけた時、リーゼの呟きが聞こえた。
「……認めたくないけど」
風に混じって、かすかに。
それ以上は聞こえなかった。
聞くべきじゃない。
俺は音を立てずにその場を離れた。
——認めたくない、何だろう。
聞かなかった振りをして、自室に戻る。
でも耳の奥に、あの声が残っていた。




