7話
鉦の音が平原に響いた。
魔族が動いた。
六千の大軍が、地鳴りを立てて前進してくる。灰色の波だ。地平線を埋め尽くすように広がり、歩兵の前面に押し寄せてくる。
俺は丘の上から俯瞰を開く。
全体が見える。味方の青い点が横一線に展開し、敵の赤い点がそれに向かって突進している。
「接触まであと二分」
ガリウスに告げる。
「第一線の歩兵に伝えてくれ。接触したら三分だけ持ちこたえて、それから計画通りに後退する。慌てなくていい。ゆっくり下がれ」
「御意」
伝令が走る。
敵との距離が縮まっていく。
正面の歩兵たちが盾を構え、槍を前に出す。弓兵が最後の一射を放つ。
そして——衝突。
金属と金属が噛み合う音が、平原中に響いた。
魔族の突撃は凄まじかった。人間より一回り大きい体が、盾列にぶつかる。兵士たちが押される。踏みとどまる。叫び声と怒号が入り混じる。
——ここで崩れるな。三分だけ耐えろ。
俯瞰で見守る。正面の戦線は曲がっているが、切れてはいない。持ちこたえてる。
「三分経過。後退開始」
角笛が鳴る。
歩兵が後退を始めた。計画通り、ゆっくりと、秩序を保ちながら下がっていく。
敵はそれを追撃してくる。予想通りだ。「後退する敵を追え」は、どの軍隊でも本能的にやってしまう行動だ。
魔族も例外じゃなかった。
正面の主力が前に出てくる。側面の意識が薄くなる。陣形が前に伸びる。
——今だ。
「北翼騎兵、突撃開始!」
伝令が走る。
北の丘陵の陰から、騎兵六百が飛び出した。土煙を上げて、魔族の右翼に突っ込む。
同時に南からも。伏兵を片付けた南翼の騎兵が、敵の左翼に突進する。
二重包囲の完成。
俯瞰で見ると、赤い点の群れが青い点に左右から挟まれていく。
——よし。ここまでは教科書通り。
だが、教科書通りにいかなかったのは、ここからだった。
* * *
異変は、包囲が閉じ始めた瞬間に起きた。
敵後方のノイズの塊——あの正体不明の存在が、動いた。
俯瞰のノイズが一気に激しくなる。視界が歪む。頭が痛い。
「っ——」
こめかみを押さえる。
ノイズの向こうに、何かが見えた。
魔族の中に——人型だが、他の魔族とは明らかに違う個体がいる。小柄で、腕を広げている。その周囲から、黒い靄のようなものが広がっていく。
術師だ。
魔族の術師が何かをしている。
靄が戦場全体に広がっていく。
その瞬間——
「なっ——」
俯瞰の中で、倒れたはずの魔族が立ち上がった。
矢が刺さったまま。剣で斬られたまま。死んでいるはずの魔族が、次々に起き上がる。
再生力じゃない。これは——
「死者が動いてる……!?」
死んだ魔族が起き上がって、再び戦い始めている。
包囲していた歩兵たちが混乱する。さっき倒した敵が背後から襲いかかってくるのだ。
「閣下! 前線より緊急報告! 倒した魔族が——」
「知ってる!」
伝令の言葉を遮った。
俯瞰で状態を確認する。起き上がった魔族は——完全な生者ではない。動きが鈍い。だが、数が多い。百以上の死体が動いている。
包囲の内側が混乱している。歩兵の陣形が乱れ始めた。
——やばい。このままだと包囲が内側から崩れる。
頭がフル回転する。
考えろ。考えろ。何がある。
死者操作。ネクロマンシーに近い術。術師の魔術で動いている。なら——術師を倒せば止まるはずだ。
術師の位置。俯瞰で見る。ノイズが酷いが——あそこだ。敵後方、右寄り。黒い靄の中心。
「リーゼ! リーゼに伝えろ!」
伝令が駆けてくる。
「敵後方、右寄りに術師がいる! 黒い靄の発生源だ! そこを焼いてくれ!」
伝令が走る。
待つ時間が長い。前線では兵が死んでいく。包囲が崩れかけている。
——頼む。リーゼ。
俯瞰で南翼を見る。
リーゼの中隊が動いていた。赤いマントが先頭で駆けている。
速い。判断が速い。伝令を受けてから三十秒と経たずに動き出している。
南翼から敵の背面に回り込む。術師の位置まで——あと五百メートル。
四百。
三百。
敵に気づかれた。魔族の一団がリーゼの部隊に向かって突進してくる。
「護衛の歩兵を——!」
だがリーゼは止まらなかった。
走りながら、両手に炎を集束させている。
百メートル。
リーゼが叫んだ——声は聞こえない。だが俯瞰で、炎が放たれるのが見えた。
紅蓮の炎が、一直線に黒い靄の中心を貫いた。
爆発。
黒い靄が四散する。
俯瞰の中で、起き上がっていた魔族の死体が、糸が切れたように崩れ落ちた。一体残らず。
「……やった」
術師を倒した。
戦場が変わる。混乱していた歩兵が立て直す。包囲が再び閉じ始める。
騎兵が突撃を続ける。魔術師団が火力支援を再開する。
敵の陣形が崩壊していく。
* * *
だが、勝利は安くなかった。
術師の術が暴れた数分間で、包囲内の味方が大きな損害を受けた。
俯瞰で確認する。青い点が——消えすぎてる。
戦闘は夕方まで続いた。
魔族は最終的に撤退した。六千のうち、二千以上を失って東へ退いていく。
味方の損害。
死者百三十八名。負傷者四百二十名。
リーデル平原の会戦は、王国軍の勝利に終わった。
——百三十八人。
丘の上で、俺は座り込んでいた。
頭が割れるように痛い。俯瞰を使いすぎた。視界の端が暗い。何回かまばたきをしても、視界の隅にちらつくノイズが消えない。
手が震えている。寒いわけじゃない。
百三十八人。
名前も顔も知らない人たちだ。でも、俺の指揮で戦って、俺の作戦の中で死んだ。
「閣下」
ガリウスが隣に立っていた。
「敵の撤退を確認しました。追撃は——」
「しない。追うな。深追いは敵の思壺だ」
「御意」
ガリウスが少し間を置いた。
「閣下。戦は、勝ちました」
「……ああ」
「リーゼロッテ殿の中隊は、術師を撃破した際に反撃を受けました。負傷者が出ております」
心臓が跳ねた。
「リーゼは」
「軽傷とのこと。ご本人は戦闘続行を主張されておりますが」
「医務室に行かせてくれ。命令だって言えば聞くだろ」
「……恐らく。聞くでしょうな」
ガリウスの口元がわずかに動いた。
笑ったのか。この人が。
夕焼けが、血に染まった平原を照らしている。
勝った。
勝ったはずなのに、手の震えが止まらなかった。




