4話
角笛が夜を裂いた。
要塞中に警報が響き渡る。兵士たちが飛び起き、松明が次々に灯される。鎧の擦れる音、剣を抜く音、号令の声が重なって、夜の静寂が一瞬で戦場に変わった。
俺は作戦卓の前に立っていた。
目を閉じる。
——来い。
俯瞰が開く。
フェルゼン要塞を中心に、戦場が広がった。
味方は青い点。兵士たちが城壁に駆け上がり、弓兵が射撃位置につく。南門と東門に歩兵が集結している。
敵は赤い点。
東の闇の中から、波のように押し寄せてきていた。
数は——千五百。いや、二千に近い。さっきより増えてる。後続部隊が合流したのか。
ノイズが走る。個々の魔族の能力は読めない。だが配置と移動方向は分かる。
「東門に主力。南門は陽動。北側は——空」
目を開ける。
「ガリウスさん、聞いてた?」
「確かに。東門主力、南門陽動」
「北側に敵がいない。回り込んでくる可能性はあるけど、今のところは空だ。北の守備兵を東門に回して」
「御意」
ガリウスが伝令を走らせる。
ヴァレンティン伯が作戦卓に駆け込んできた。甲冑を着込んでいるが、顔は真っ青だ。
「何が起きている! 奇襲だと?」
「魔族の夜襲です。東門に主力が来ます」
「東門だと? 南門の方が音が——」
「南は陽動。本隊は東から来る」
ヴァレンティン伯が俺を睨んだ。
「何を根拠に——」
「見えてるんです。説明は後。今は時間がない」
遮った。失礼なのは分かってる。でも戦場で政治をやってる暇はない。
ヴァレンティン伯が何か言いかけたが、ガリウスの「東門より敵接近の報告であります」という声に遮られた。
俺の言った通りだ。
伯の顔がさらに白くなった。
* * *
城壁の上に出た。
ガリウスが止めようとしたが、聞かなかった。作戦卓で地図を睨んでるだけじゃ、現場の空気が分からない。俯瞰能力で全体は見えても、「兵士がどれだけ怖がっているか」は見えないんだ。
東門の城壁。
弓兵が並んでいる。手が震えている者がいる。当たり前だ。夜の闇から化け物が押し寄せてくるんだ。
松明の光が届く範囲は百メートルほど。その先は暗闘。
だが俺には見える。
目を閉じる。俯瞰を起動する。
——来た。東門まであと三百メートル。正面に約八百。側面から回り込もうとしているのが二百。
「第二弓兵隊、射角を右に十度。側面から来る」
隣にいた伝令兵が、驚いた顔で俺を見た。
「早く!」
「はっ、は、はい!」
伝令が走る。
目を開ける。暗闇の向こうから、地鳴りのような足音が近づいてくる。
そして——
闇の中から、それは現れた。
人型。だが人じゃない。
灰色の肌。赤い目。筋肉の鎧のような体。身長は人間より一回り大きく、手には粗野だが頑丈そうな武器を握っている。
魔族。
初めて見た。
——うわ。マジでモンスターじゃん。
心臓がドカドカ鳴っている。手が冷たい。口の中が乾く。
ゲームで敵キャラを何万体倒してきた。画面の向こうの敵は怖くない。
だが、目の前のこいつらは——本物だ。
殺しに来てる。
「弓兵、射て!」
城壁の上から一斉に矢が放たれた。
闇の中に着弾する。悲鳴が上がる。だが——
立ち上がってくる。
矢が刺さったまま、走ってくる。
「再生力……マジか」
報告書で読んだ。魔族は再生力がある。致命傷でなければ回復する。
知識として知っているのと、目の前で見るのは別次元だ。
——落ち着け。
深呼吸する。
考えろ。軍オタの知識を総動員しろ。
再生力がある敵には、殲滅型の攻撃が効く。個体を一つずつ削るんじゃなく、面で制圧する。つまり——
「魔術師団は?」
ガリウスが城壁まで上がってきていた。
「配置についております。ただ——」
「リーゼは?」
「リーゼロッテ殿の第三中隊は東門に向かっているとのことであります」
来た。
やっぱり来る。あの人は、部下が危険な場所にいるなら絶対に来る。
「よし。魔術師団に伝えてくれ。城壁前方五十メートルの範囲に、面制圧を頼む。弓兵は魔術の間は射撃停止。タイミングは俺が指示する」
「……閣下がタイミングを?」
「俺にしか見えないから。敵の密集地点が分かる。そこに魔術を叩き込む」
ガリウスが一瞬だけ俺を見つめた。
それから「御意」と言った。
短い。だが、重い。
* * *
三十秒後、魔術師団が城壁の内側に展開した。
先頭にいたのは——リーゼだった。
銀髪がたなびく。赤いマントの下で、両手に炎が渦巻いていた。
目が合った。
リーゼの表情は厳しい。だが、恐怖はない。戦場に立ち慣れた人間の目だ。
「元帥殿。指示を」
声が硬い。だが、従う意思がある。
敵が来ているから。部下を守るために、今は命令に従う。
それでいい。
「リーゼ、東門正面、五十メートル地点に敵が密集してる。そこに全力で」
「五十メートル? 暗くて見えませんが」
「俺には見えてる。信じてくれ——今だけでいい」
リーゼが俺を見た。
一瞬の沈黙。
「……了解」
リーゼが両手を掲げた。
炎が膨れ上がる。
背後の魔術師たちも、それぞれの属性の魔術を展開する。氷の槍。風の刃。雷の矢。
壮観だった。
こんなの、どのゲームでも見たことない。
「今だ!」
魔術が一斉に放たれた。
夜空が昼間のように明るくなる。
炎が闇を焼き、氷が地面を砕き、風が敵を薙ぎ、雷が地面を穿つ。
俯瞰で見る。赤い点が一気に消えていく。密集地点を直撃した。百以上を一瞬で。
——効いてる。
だが、全部じゃない。外側にいた魔族が散開する。学習が早い。密集を避けて、散兵戦術に切り替えてきた。
組織的すぎる。ただの蛮族じゃない。
「散開した! 弓兵、個別射撃に切り替え! 魔術師団は——側面から回り込んでくる二百に備えて北へ移動!」
俺が見ている戦場は、兵士たちには見えない。
だから俺が目になる。俺が全体を見て、全体を動かす。
リーゼが俺の指示を聞いて、中隊を北へ走らせた。迷いがなかった。
——すげえ。この人、判断が速い。
十分後。
側面から回り込んだ魔族の部隊を、リーゼの中隊が迎え撃った。火属性の面制圧で敵を焼き払い、歩兵が残党を掃討する。
連携が噛み合い始めた。
俺が見て、指示を出して、兵が動く。リーゼが魔術で制圧し、歩兵がとどめを刺す。
FPSのコマンダーモードみたいだ。上空視点でチームに指示を出す、あれ。
——いや、ゲームじゃない。
赤い点が消えるたびに、命が失われている。敵の命も。そして——
俯瞰の中で、青い点がいくつか消えた。
味方だ。
城壁を突破された箇所がある。歩兵が三人、やられた。
胃の底が冷たくなる。
——止めるな。考え続けろ。
「東門左翼、突破されてる! 予備兵力を投入! ガリウスさん、頼む!」
「承知」
ガリウスが自ら予備兵を率いて突破口に向かった。
あの巨体が剣を抜いて駆けていく姿は、味方にとって最高の士気向上だった。
* * *
戦いは、夜明け前に終わった。
魔族は撤退した。千五百以上で襲来して、四百以上の死傷を出して引いていった。
味方の損害は、死者十七名。負傷者五十三名。
十七人。
俺の初陣で、十七人が死んだ。
城壁の上で朝焼けを見ている。
手が震えていた。さっきからずっと。
頭の奥がずきずき痛い。俯瞰能力を長時間使いすぎた。視界の端がぼやけている。
——十七人。
ゲームだったら、リスタートすればいい。セーブデータをロードして、もっとうまくやり直せる。
でもここにはセーブがない。ロードもない。
死んだ十七人は、もう戻ってこない。
「元帥閣下」
ガリウスの声が後ろから聞こえた。
「……ん」
「初陣としては、見事な防衛でありました。千五百の夜襲に対し、損害を十七名に抑えたのは——」
「十七人は多いよ、ガリウスさん」
自分の声がかすれていた。
ガリウスが何か言いかけて、止めた。
長い沈黙の後。
「……御意」
そうとだけ言った。
朝の光が、戦場の跡を照らし始めている。
城壁の下には、まだ煙が立ち上っていた。




