3話
「坊やが新しい元帥?」
第一声がそれだった。
魔術師団の本部は要塞の北棟にある。石壁には防火の魔術陣が刻まれ、空気が微かに焦げた匂いを帯びていた。
俺の正面に座っているのは、白金色の長い髪をした女性。切れ長の目に、余裕のある微笑。紅茶のカップを片手に、足を組んで椅子に深く腰掛けている。
ヘルガ・ブリュンヒルデ。
王国魔術師団の団長。通称「氷の魔女」。
「坊やは少し失礼だと思うんですけど」
「あら、ごめんなさい。じゃあ——元帥坊や、にしましょうか」
改善されてない。
ガリウスが隣で石像と化している。助けてくれる気はなさそうだ。
「ヘルガ団長。魔術師団との連携について相談したくて来ました」
「せっかちね。着任して一日でしょう?」
「一日で分かることもあるんで。たとえば——」
俺は、昨夜ガリウスからもらった報告書の内容をもとに話した。
魔術師団の配置。前線での運用状況。損耗率。触媒の在庫。
ヘルガの微笑が、少しだけ変わった。面白そうな目に。
「詳しいわね。将官たちは魔術師団の消耗率なんて気にしたこともないのに」
「気にしないのはおかしいでしょ。最大火力が魔術師団なのに、消耗率を管理しなかったら——」
「あなたの部下を壊れるまで使っていいですか、と聞かれているようなもの、でしょう?」
ヘルガの声がわずかに冷えた。
微笑はそのままだが、目の奥が笑ってない。
「……そういうことです」
「嬉しいわ。分かってくれる元帥は初めてよ。でもね、坊や」
カップを置く。
「信頼は言葉じゃ買えないの。見せて?」
試されている。
それは分かる。だが——
「ヘルガ団長。あなたの部下の中に、火属性の中隊長がいますよね。リーゼロッテ・フォン・エーデルシュタインという人」
名前を出した瞬間、ヘルガの眉が上がった。
「リーゼのことを知っているの?」
「報告書に名前があったので。第三中隊長。火力支援の成績が群を抜いてる。でも、前回の作戦で中隊が大損害を受けてる」
「……よく読んでるわね」
「彼女に会えますか」
ヘルガが少し考え、それから小さく笑った。意味深な笑みだ。
「いいわよ。呼んであげる。——ただし、覚悟はしておいてね」
* * *
覚悟の意味は、すぐに分かった。
「失礼ですが、元帥殿」
銀髪をポニーテールにまとめた女性が、俺の目の前に立っている。赤いマントを羽織り、軍服をきっちりと着込んでいる。背筋がまっすぐで、姿勢がいい。
リーゼロッテ・フォン・エーデルシュタイン。
二十歳。
——で、今にも俺を焼き殺しそうな目をしてる。
「あなたに私の部下は任せられません」
開幕宣戦布告だった。
「おっ」
「戦場の経験もなく、この世界のことも知らず、神託などという曖昧な根拠で元帥の椅子に座った方に、三百人の命を預けることはできません」
一気にまくし立てた。
声は硬いが震えてない。怒りじゃない。本気だ。
ヘルガが後ろで紅茶を飲んでいる。止める気がないらしい。
ガリウスが一歩前に出ようとした。俺は手で制する。
「リーゼさん、だっけ」
「リーゼロッテです。馴れ馴れしく呼ばないでください」
「じゃあリーゼ」
「——聞いていましたか今の話」
聞いてた。聞いた上で呼んでる。
「リーゼの言い分は、もっともだと思う」
「……は?」
「俺は戦場経験ゼロ。この世界のことも一週間前に知ったばかり。元帥の資格があるかどうかは、自分でも分かってない」
リーゼの目が、わずかに揺れた。反論を用意していたのに、肯定されて戸惑っている。
「でも、一つだけ約束できることがある」
「……何ですか」
「俺は部下を無駄に死なせない。それだけは、全力で」
リーゼの表情が固まった。
何か——何かが、彼女の中で引っかかったみたいだった。一瞬だけ、あの怒りの鎧に亀裂が入った。
けれど、すぐに元に戻る。
「言葉だけなら誰でも言えます」
「だろうね。だから——」
俺はリーゼの目を見た。
「見せてやるよ。口じゃなくて、結果で」
リーゼが唇を噛んだ。何か言いかけて、飲み込んで、踵を返した。
「失礼します」
マントの裾が翻る。扉が閉まる。
……嵐みたいな人だ。
「あらあら」
ヘルガが紅茶を一口含んだ。
「逃げなかったわね、坊や。少し見直したわ」
「いや、正直めちゃくちゃ怖かったんですけど」
「ふふ。リーゼは優秀よ。味方にできれば、これ以上ない戦力」
「分かってます。だからまず——彼女に認めてもらわないと」
ヘルガの目が、少しだけ柔らかくなった。
「期待してもいいのかしら」
返事の代わりに、俺は頭を下げた。
「協力をお願いします。魔術師団なしに、この戦争は勝てない」
「……まあ、誠意は受け取っておくわ。でも、本当の答えは戦場で見せてね」
全員に同じことを言われてる気がする。
* * *
夜。
執務室で一人、地図を広げていた。
昼間の出来事を反芻しながら、目を閉じる。
——来い。
あの感覚を、意図的に呼び出す。
王宮で偶発的に発動した、あの俯瞰の視界。
集中する。
こめかみの奥がじわりと温かくなる。
——来た。
視界が反転する。
フェルゼン要塞の全景が、上空から広がった。
石壁の輪郭。塔の位置。兵舎に灯る明かり。見張り台に立つ兵の数。北棟の魔術師団本部。南の馬場。東門の前に築かれた塹壕線。
全部、見える。
これが俺の能力だ。
——バトルフィールド・オーバービュー。
自分で勝手にそう名づけた。だって、RTSゲームのマップ画面にそっくりなんだ。
視界を東に広げる。
要塞の外。荒野。遠くに見える平原。
そして——
赤い点。
大量の赤い点が、東の闇の中に蠢いていた。
敵だ。
魔族の兵力が、平原の向こうに集結している。
数を読む。千……いや、それ以上だ。正確な数は分からない。個体のデータがぼやけて、ノイズが走っている。やっぱり魔族の情報は不完全だ。
だが、位置は分かる。
そして——動いている。
ゆっくりと、だが確実に、西へ。
フェルゼン要塞に向かって。
目を開ける。頭がずきりと痛む。
「ガリウスさん」
執務室の隅で控えていたガリウスが、即座に立ち上がる。
「何でありますか」
「敵が来る。東から。たぶん夜襲だ」
「……何を根拠に」
「見えた」
ガリウスの眉がかすかに動く。
だが、この人は問い詰めない。一呼吸おいて、聞いた。
「規模は」
「千以上。正確な数は分からないけど、要塞への直進コースを取ってる」
ガリウスが地図を見た。
「……夜襲であれば、到達は明朝か」
「いや、もっと早い。魔族は夜間の移動速度が速いって聞いた。今夜中に来るかもしれない」
ガリウスが立ち上がった。
その巨体が、初めて戦闘態勢の空気を纏った。
「迎撃の準備を指示いたしますか」
「頼む。全軍警戒態勢。それと——」
俺は地図を叩いた。
「魔術師団にも出動要請を出してくれ」
「リーゼロッテ殿は応じますか」
「応じるよ。戦闘が始まれば、あの人は来る」
なぜか、確信があった。
あの目は——部下を守るために戦う人間の目だ。




