2話
馬の背中は、思っていた以上に腰に来る。
ゲームじゃ馬なんて移動アイコンをクリックするだけだった。現実の馬は揺れるし、匂うし、時々勝手に草を食い始める。
「ガリウスさん」
「何でありますか」
「馬って、こんなに尻が痛くなるもの?」
「二日もすれば慣れます」
慣れるのか。本当か。
ヴァルトハイムを出て三日目。護衛の騎兵小隊に囲まれて、東へ向かっている。
道は石畳の街道から土の道に変わり、さらに轍だけの道になった。景色も変わる。豊かな農村地帯から、徐々に荒れた土地に。畑が減り、放棄された家屋がちらほら見え始める。
「戦争の影響か」
「左様であります。東部の農民は多くが西へ避難しております。残っている者は、逃げる余裕もなかった者が大半です」
ガリウスの声は淡々としている。だが、事実の重さは隠せない。
俺は黙って周囲を見た。
遠くの丘に見張りの兵が立っている。街道の脇に簡易の柵が設けられ、所々に検問所がある。前線に近づいているのが分かる。
「ガリウスさん、ちょっと聞いていい?」
「どうぞ」
「この街道の補給輸送って、一日何往復してる?」
「現在は荷馬車で片道二日。一日あたり、往路で十二台が基本であります」
「十二台か。……少なくない? 兵站表で見た数字だと、フェルゼン要塞の駐留兵力は歩兵八千に騎兵千二百。それに魔術師団が——三百?」
「約三百二十名であります」
「その兵力を維持するのに、一日十二台は明らかに足りない。食料はいいとして、矢と魔術触媒の消耗が追いつかないでしょ。特に魔術触媒」
ガリウスの馬が半歩遅れた。
振り返ると、ガリウスがこちらを見ている。あの鉄面皮に、かすかな動揺——いや、驚きが浮かんでいた。
「……閣下。それは、報告書を読んだだけで?」
「数字を見れば分かるよ。消費量と補給量の比率が合ってない。現場は在庫を切り崩してるはずだ。あと三ヶ月もしないうちに魔術触媒が枯渇する」
沈黙。
ガリウスの視線が、評価する目に変わった。
「その通りであります。前任の元帥も同じ問題を認識しておられましたが、対策の前に——」
「戦死した」
「……左様であります」
重い話だ。
だが、今の俺が感傷に浸っている場合じゃない。
「中継補給拠点を設けよう。街道の中間地点にもう一つ倉庫を作って、そこまではシャトル輸送、そこからフェルゼンまではリレー式に切り替える。馬車の稼働率が上がるから、実質的な輸送量は倍近くになる」
「中継拠点でありますか」
「うん。後方兵站の基本だよ。兵站線が長くなったら中間に拠点を置くのは——まあ、古今東西の常識っていうか」
ガリウスが何か言いかけて、止めた。
「……どの戦史書でお学びになったのですか」
「いろいろ。ナポレオン戦争とか、普仏戦争とか。あ、この世界の名前じゃないか。えーと、元の世界の戦争の記録です」
「異界にも戦争があるのでありますか」
「たくさんある。嫌になるくらい」
俺はため息をついた。
人類は、どの世界でも戦争をやってるらしい。
* * *
フェルゼン要塞が見えたのは、出発から五日目の昼だった。
山の斜面に張り付くように築かれた巨大な城塞。石壁は厚く、見張り塔がいくつも突き出ている。頑丈だが、古い。所々に修理の跡がある。
「でかいな」
「グランデル王国最大の要塞であります。築城は三百年前。幾度かの改修を経て現在に至ります」
三百年。この世界にも歴史がある。当たり前だが、それを実感すると不思議な気持ちになる。
要塞の正門をくぐると、中は思った以上に活気があった。兵士が行き交い、鍛冶場からは金属を叩く音が響く。馬のいななき、号令の声、荷車の軋み。
そして——視線。
門を入った瞬間から、周囲の兵士たちがこちらを見ていた。
好奇、懐疑、不信。
「あれが新しい元帥か」
「若いな。本当に異世界人なのか」
「また上が無茶をする……」
ひそひそ声は聞こえないふりをした。聞こえてるけど。全部聞こえてるけど。
——あー、これ完全にアウェーじゃん。
敵地に乗り込む感覚だ。味方のはずの要塞なのに、完全に敵陣。
「元帥閣下。司令部へご案内いたします」
ガリウスの声が、ここではさらに堅くなっている。副官としての顔だ。
司令部は要塞の中央塔にあった。
大きな作戦卓を囲んで、すでに数名の将官が待っている。
全員、歳上。
全員、不機嫌。
先頭に立っている男が一歩前に出た。五十代。銀髪を撫でつけ、仕立ての良い軍服を着ている。腰の剣は装飾過多で、実戦向きには見えない。
「ヴァレンティン伯爵であります。東部方面の指揮を預かっております」
名乗りの口調は丁寧だが、目が笑ってない。完全に値踏みしてる。
「桐谷タケルです。元帥に任命されました。よろしくお願いします」
「……ほう。お若い」
「はい。自覚してます」
「戦場の経験は?」
「ないです」
正直に答えた。嘘をついても一瞬で見抜かれる。
ヴァレンティン伯の口元が歪む。
「神託とやらを信じておられるのか、陛下は」
嫌味だ。だが、この程度は想定内。
「神託を信じるかどうかは、俺が戦果を出せるかどうかで決まると思います」
ヴァレンティン伯の目が細くなった。
「……大きく出たな、若造」
若造。
そう来たか。
まあいい。言葉で認めてもらおうとは思ってない。結果を出すしかない。
他の将官たちも、似たような空気だった。敵意まではいかないが、歓迎もされていない。
完全にアウェー。
——よし。じゃあ、ここからがゲーム開始だ。
「すみません、さっそくですけど、現在の戦況を教えてもらえますか。あと、この地図——もう少し詳しいやつないですか。地形の等高線が入ってるやつ」
「等高線?」
「あ、高さの差を表す線です。えーと、この世界にはないのか。じゃあ、高低差が分かる地図——」
ヴァレンティン伯が手を振って遮った。
「元帥殿。まずは着任の手続きを——」
「それ後でいいですか。先に戦況を把握したいんで」
場が凍った。
ガリウスが微動だにしない。だが、口元がわずかに動いた気がした。
笑った……のか?
いや、気のせいだろう。この人が笑うところ、想像つかないし。
好評なら続きます




