10話
偵察報告は、最悪の知らせを運んできた。
「北東ネーベル森林方面。魔族の大部隊が森林内を移動中。推定三千から四千」
ガリウスが報告書を読み上げる声は、いつも通り平坦だ。だが内容は平坦じゃない。
ネーベル森林。
あの深い森は、俺の俯瞰能力にとって最悪の地形だ。
木々の密度が高すぎて、上空から見ても個体の識別ができない。ノイズが通常の三倍。位置は大まかにしか分からず、数の精度も落ちる。
「試してみるか」
目を閉じて、俯瞰を起動する。
視界が広がる。フェルゼン要塞から北東方面へ。
——うわ。
ネーベル森林に差しかかった途端、俯瞰が靄がかかったようにぼやけた。赤い点がちらちら見えるが、位置が安定しない。数えようとしても、すぐにノイズで消える。
三千から四千——その偵察報告が正しいかどうかも、確認できない。
目を開ける。じんわりと頭が痛い。
「ダメだ。森の中はほとんど見えない」
ガリウスが頷いた。想定内、という顔だ。
「ヴァレンティン伯は森林内での待ち伏せを提案しておられます」
「却下。森の中に入ったら、こっちの方が不利だ。魔族は夜間視力がある。森林戦は向こうの得意分野だ」
「では、いかがなさいますか」
俺は地図を見た。
ネーベル森林は南北に長い。東から来た魔族が西へ抜けるなら、出口は限られている。森の西端に三つの谷間がある。
「森に入らない。森から出てくるところを叩く」
ガリウスの目が動いた。
「森の出口は三箇所。ここと、ここと、ここ」
地図を指でなぞる。
「この三箇所を俯瞰で監視する。森の外なら精度は戻る。敵がどの出口から出てくるか、リアルタイムで分かる」
「出口で迎え撃つ、と」
「そう。歩兵を三分割して、各出口に配置する。敵の出てくる出口が分かった時点で、他の二箇所から兵力を集中する。——敵は、こっちが出口を知ってるとは思わない」
ガリウスが地図を見つめた。
「妥当であります。ただし、一つ問題が」
「何?」
「森林内に魔族の術師がいた場合、出てくる前に何をされるか分かりません。前回の屍操術のような奇策を、森の中で使われたら——」
「それだ」
俺は椅子の背に体重を預けた。
「術師。あいつが一番の問題だ。森の外で待ってるだけだと、術師に好き勝手やられる可能性がある」
「先手を打つ、ということでありますか」
「うん。森の中の術師を、先に潰す」
誰が。
どうやって。
森の中は俯瞰が効かない。歩兵を大量に送り込んだら、森林戦で魔族に食い散らかされる。
必要なのは——少数精鋭で、森の中を突破できる火力。
「……リーゼに頼むしかないか」
口に出してから、自分の判断を問い直す。
リーゼの中隊を森に送る。少数精鋭。魔術の火力で術師を焼く。前回と同じだ。
だが前回は平原だった。今回は森。地形が違いすぎる。
リスクが高い。
「ガリウスさん」
「何でありますか」
「リーゼを呼んでくれ」
* * *
リーゼは十分後に来た。包帯は外れていたが、左腕をわずかにかばう動きがある。
「お呼びですか、元帥殿」
「うん。座って」
リーゼが椅子に座った。姿勢がいい。
「ネーベル森林の件、聞いてるだろ」
「はい。魔族が森林を通って奇襲を図っていると」
「俺の俯瞰は森の中じゃ使えない。森の外から出口を監視するのが基本戦略だ。でも一つ、先にやっておきたいことがある」
「術師の排除ですね」
リーゼが即座に言い当てた。
「……よく分かったな」
「あなたの考え方は、少し分かってきました。最大の脅威を先に潰す。合理的です」
褒められた——のか? 表情は硬いままだが、声のトーンが以前とは違う。
「リーゼ。森の中に入って、術師を見つけて、焼いてくれないか」
直球で頼んだ。
リーゼが黙った。
「無理なら無理だと言ってくれ。別の方法を考える」
「……いえ。可能です」
即答ではなかった。考えた上での返事だ。
「第三中隊の精鋭十五名を選抜します。森林内の索敵は魔術探知で補います。術師の魔力は大きいので、近づけば探知できるはずです」
「森の中での戦闘は」
「得意ではありませんが——私が先頭を切ります」
「リーゼ。まだ怪我が——」
「治りました」
嘘だ。左腕をかばってるのが見えてるぞ。
でも言わなかった。この人の覚悟を否定する権利は、俺にはない。
「分かった。ただし、条件がある」
「何ですか」
「森の端まで俺も行く。外側から俯瞰で、できる限りサポートする。森の中は見えなくても、周辺の魔族の動きは分かるから」
リーゼの目が見開かれた。
「元帥殿が——前線まで?」
「前も行ったろ」
「あれは丘の上でした。今回は森の端です。万が一——」
「ガリウスさんがいるから大丈夫。あの人が護ってくれる限り、俺が死ぬ確率は限りなく低い」
後ろでガリウスが「御意」と言った。迷いのない声だった。
リーゼが俺を見ている。
何を考えているか、読めない。
やがて、小さく頷いた。
「……了解しました。信頼します——今回も」
今回も。
初めて、「信頼」という言葉がリーゼの口から出た。
「ああ。任せろ」
軽く答えた。
軽く答えたが——心臓がドカドカ言ってた。
信頼されるのは、嬉しいが重い。
期待に応えなきゃいけない。
失敗したら、この人の部下が死ぬ。
——だから、絶対に失敗しない。
地図を広げた。
「作戦を詰めよう。三人で」
俺と、リーゼと、ガリウス。
夜が更けるまで、作戦卓の前で頭を突き合わせた。
リーゼの戦場経験と、ガリウスの地形知識と、俺のゲーム脳的戦術理論。
噛み合い始めている。
このチーム、悪くないかもしれない。




