第41話|操れぬ未来—終焉の策略
馬車の揺れに合わせ、外の景色が窓越しにゆらりと流れる。
夕暮れの光が淡く、北の空へ沈みゆく太陽の色だけを残す。
護衛の足音や馬の蹄の音が響くが、アマーリエの心にはほのかな孤独が混じる。
今回のヴァイスベルク侯爵家の後継者交代を経て、レオンハルトとの婚姻に向けて、一緒に王への拝謁をする事になっている。
馬車の中、アマーリエは窓の外に視線を向ける。
王宮へ向かう道のり。
護衛に囲まれていても、過去に数度に渡る襲撃を思うと油断はできない。
これまでの事件、香による薬物中毒、湖での誘拐未遂、そして暗躍する影……。
護衛たちの張り詰めた気配が、彼女の背筋を強張らせる。
一方、王宮でアマーリエの到着を待つレオンハルトは、支度を終えて出迎え場にいた。
念の為、フェリクスには影の者に警戒させるよう指示を出してあるがーー
馬車の出発時刻から既に到着が遅れている。
レオンハルトは不安を覚え、途中まで迎えに出る事にした。
あの男、アルヴィンが関わっているなら、何が起きてもおかしくない――。
もう、失いたくないーー
そう約束したばかりだ。
「馬の準備が整いました!」
フェリクスが知らせに来ると、足早に厩舎へ向かった。
馬車の進む道には、既に一つの策略が静かに動き始めていた。
自らの計略で未来を操れると信じ、思い通りに進められるはずだと錯覚する男、アルヴィン。
しかし、この夜、彼が触れようとしているのは――操れぬ未来だった。
暮れ行く空の下を、レオンハルトはアマーリエの無事を願いながら、馬を走らせていた。
その時、馬車の進行方向に黒い影が現れた。
北風に煽られながらも、瞳には冷徹な執着と、計算された威圧感。
「やはり、あなたは来てくださると思っていました、アマーリエ」
低く、穏やかな声音。
だがその瞳には、冷えた執着が揺れている。
嫌悪を感じさせる、冷たくも狡猾な声音。
アマーリエは視線を引き締める。
(……まだ諦めていないの)
護衛が馬車の周囲を固める中、彼女は動じず、毅然とした姿勢で座していた。
北の空は茜色に沈み、夕暮れの光が馬車を薄く染める。
その光の中、操ろうとする者と、未来を選ぶ者――静かに、しかし確実に対峙が始まろうとしていた。
しかしその瞬間――
「止まれ!」
護衛の鋭い声と同時に、馬がいななく。
左右の茂みから黒衣の影が飛び出した。
馬車が大きく揺れる。
アマーリエは身を低くしながらも、視線を逸らさない。
(……来たわね)
恐怖ではない。
予測していた事態。
護衛が剣を抜き、金属音が夕暮れを裂く。
アルヴィンは一歩も動かない。
戦場の外側に立つ者の余裕で、その様子を眺めている。
「安心してください。あなたに傷を負わせるつもりはありません」
丁寧な言葉。
だが状況との落差が、異様だった。
(少し手荒になりましたね……ですが)
アルヴィンは目を細める。
彼の計算は正確だ。
護衛は分断され、馬車は止まり、逃げ場はない。
本来なら、ここで未来は確定するはずだった。
彼が選び、彼が動かし、彼が収束させる。
アマーリエは“守られる駒”となり、レオンハルトは間に合わない。
そのはずだった。
(王弟殿下……あなたは間に合いません)
冷静な確信。
だがその胸の奥に、わずかな違和感が走る。
なぜだろう。
風向きが、違う……。
次の瞬間、地を打つ蹄の音が響いた。
鋭く、速い。
アルヴィンの視線がわずかに動く。
「……ほう」
暮れゆく空を背に、レオンハルトが馬を止める。
風を受けながらも、その姿は揺るがない。
「そこまでだ、アルヴィン」
低く、はっきりとした声。
アルヴィンは静かに微笑む。
アルヴィンは一瞬だけ視線を流し、鼻で笑う。
「……来たのか、王弟」
先ほどまでの柔らかな声音は消えている。
「あんたはいつも邪魔だな」
露骨な敵意。
敬意も体裁もない。
だがその直後、彼は再び馬車へと視線を戻す。
「ご安心ください、アマーリエ。あなたに危害は加えません」
声音は再び穏やかに整う。
まるで、別人。
レオンハルトの視線が冷える。
「貴様の“安心”ほど信用できぬものはない」
アルヴィンは肩をすくめる。
「はっ!……王弟様はいつもそうだ。力で押さえつければ守れるとでも思っているのか?」
その言葉に、わずかな劣等感と歪んだ対抗心が滲む。
だがレオンハルトは動じない。
「守るべきものがある者は、迷わぬ」
その一言が、空気を変えた。
アルヴィンの瞳の奥で、何かが軋む。
彼は未来を操るつもりでいた。
だが今、この場で対峙しているのは――
操られない者たちだった。
アルヴィンの視線が、再び馬車へと戻る。
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、理性が揺らいだ。
(……連れて行けばいい)
計算は崩れ始めている。
ならば、最後は自分の手で確定させる。
彼は素早く馬車へ踏み込もうとする。
「アマーリエ、こちらへ」
その声は丁寧だった。
だがその動きは、強引。
護衛が立ちはだかる。
刃が閃き、火花が散る。
レオンハルトの声が響いた。
「アルヴィン!」
鋭い一喝。
だがアルヴィンは止まらない。
「あなたを守れるのは私だけだ!」
その瞬間、丁寧さが崩れた。
初めて、声に焦燥が滲む。
アマーリエは立ち上がる。
恐れてはいない。
「私は、自分の意思で選びます」
静かな宣言。
その言葉が、刃より深くアルヴィンを裂いた。
次の瞬間――
レオンハルトの剣が、アルヴィンの手元を弾く。
体勢が崩れる。
背後から影の者が押さえ込み、腕をねじ伏せる。
地面に膝をついたアルヴィンは、なおもアマーリエを見上げる。
「……あなたは、間違えている」
執着は消えない。
だがもう、届かない。
レオンハルトが静かに告げる。
「終わりだ」
拘束具が嵌められる。
北風が吹き抜ける。
アルヴィンは理解する。
未来は操れなかった。
自ら握ろうとした運命は、彼の掌からすり抜けていた。
そして夕暮れの空の下、
一つの策略が、静かに終焉を迎えた。
拘束され、地に膝をつかされながらも、アルヴィンは微笑む。
その瞳は、まだ揺らがない。
「……大丈夫です、アマーリエ」
息が乱れているのに、声だけは優しい。
「今は、あの方を選ばれても構いません」
周囲の空気が凍る。
「ですが――」
視線が、ゆっくりとレオンハルトを通り過ぎる。
“存在しないもの”を見るように。
「あなたの心は、必ず疲れます」
穏やかに、断言する。
「王宮の生活も、責務も、期待も……あなたを縛るでしょう」
まるで未来を知っているかのように。
「その時、思い出してください」
口元が、わずかに歪む。
「あなたを理解しているのは、私だけだということを」
護衛が腕を引き上げる。
それでも彼は続ける。
「私は逃げません。どこにいても、あなたを見ています」
ぞっとするほど柔らかい声音。
「あなたが涙を流す日を、私は知っています」
アマーリエを見つめたまま、囁く。
「その涙を拭うのは、私です」
そして最後に――
「あなたは、まだご自分の運命を理解していないだけです」
微笑む。
「いずれ分かります。あなたは、最初から私のものだったのですから」
空気が凍りつく。
レオンハルトの声が低く落ちる。
「連れて行け」
アルヴィンは引かれていく。
それでも視線だけは絡みつく。
まるで、影のように。
――消えない影のように。
登場人物
アマーリエ・フォン・ヴァイスベルク
(17歳)
侯爵家ヴァイスベルク家の長女で、正式な跡継ぎ。
婿入り前提で婚約していたが、婚約破棄をきっかけに前世の記憶を思い出す。
前世は50代独身の栄養士。
感情に流されず、現実的で観察眼が鋭い。
料理と体調管理の知識を活かし、領地と人を立て直していく。
見た目は落ち着いた美貌だが、内面はかなり肝が据わっている。
レオンハルト・アルベルト・フォン・アウレリア
(26歳)
現国王の弟で、国内外から一目置かれる存在。王位継承権第三位。
武勇と知略を兼ね備えた人物だが、私生活は驚くほど質素。
必要以上に己を飾らず、物事の本質を見る目を持つ。
アルヴィン・フォン・リヒター(26歳)
隣国リヒター公爵家の婚外子。
公式には“遠縁の養子”。
目的はただ一つ――公爵家当主の座。
ヴァイスベルク侯爵家とグラーツ侯爵家を足場に、政治の盤を動かす策士。
商団主と利害で結びつき、未来図を描くのは彼。
冷静沈着に盤面を読む男だが、
アマーリエに対してのみ理性を逸した執着を見せる。
レオンハルトと同い年。
光と影、対をなす存在。




