第39話|選ぶ覚悟
ヴァイスベルク侯爵邸、アマーリエの執務室ーー
窓から差す光が、重厚な机と、向かい合う二人の間に細い線を引いている。
部屋は静寂に包まれていた。
レオンハルトは逃げずに、真っ直ぐな気持ちで、アマーリエと対面した。
視線も、言葉もーー
「私は、打破する覚悟を決めました」
その声は低く、迷いがない。
「国王陛下の了承は得ています。ヴァイスベルク侯爵家も……覚悟を示しました。
マリアンネ嬢も、自らの意思で決断した」
一つずつ、積み上げるように告げる。
「すべて整えた上で、改めてあなたに伝えています」
真正面からーー
「アマーリエ…私は、あなたを大公妃として望んでいる」
空気が張りつめる。
けれど彼女は、すぐに頷かなかった。
瞳を伏せ、静かに息を吸う。
「……大公妃になるということは、軽い覚悟ではありません」
落ち着いた声だった。
「侯爵家の長女としての責任もあります。私は……妹に多くを背負わせました」
自嘲ではない。
ただ、事実を見つめる声音。
「その上で、さらに重みを受け取る。……それがどれほどの覚悟か、私は理解しているつもりです」
彼女も、背負っている。
守られる側ではない。
レオンハルトは一歩、距離を縮めた。
「あなたを自由にするために言っているのではない」
静かな断言。
「あなたが、あなたの意志で立つのなら――」
ゆっくりと手を伸ばす。
指先が、彼女の頬に触れる。
逃げ道を塞ぐためではなく、確かめるように。
「私は隣に立ち、共に歩みたい」
救う、ではない。
導く、でもない。
並び立つ。
アマーリエの睫毛が、わずかに震える。
胸の奥が熱い。
嬉しさではない。
甘さでもない。
──対等であろうとする覚悟に、心が震えた。
彼の額がそっと触れる。
近すぎる距離。
息が混ざる。
逃げ場はない。
けれど、逃げたいとは思わない。
彼の手が下がり、指が絡む。
掌の温度が、現実を伝える。
こんなにも強く、こんなにも静かに求められるなんて。
私は――。
アマーリエは目を開いた。
「私は逃げません」
凛とした声。
「王弟殿下の隣に立つ覚悟を、今ここで決めます」
涙はない。
震えもない。
ただ、選ぶ意志だけがある。
レオンハルトの指に、彼女の指が返される。
握り返す力は、同じ強さ。
彼は微笑んだ。
甘さは、控えめに。
けれど確かに、二人の間に灯るものがある。
もう誰かに決められる未来ではない。
自分で選んだ未来だ。
その夜、ヴァイスベルク侯爵邸の灯りが穏やかに揺れる頃ーー
王都の外れの宿、人気のない一室で、男は静かに書簡を閉じた。
「……ようやく、動いたか」
低く落ちる声。
薄く笑う。
怒りではない。焦りでもない。
計算通り、という静けさ。
窓の外では風がない。
空も澄んでいる。
それでも、どこか重い。
机の上に広げられた地図。
指先が、ある一点をなぞる。
「選んだのなら――」
呟きは、誰にも届かない。
「その選択が、正しかったと証明できるといい」
燭台の火が揺れる。
その影は、やけに長く伸びた。
外は、静かだ。
あまりにも静かだった。




