第38話|背負う者たち
王の執務室ーー
夜の灯りの下、王は静かに考えていた。
弟のことだ。
あの侯爵令嬢を見つめる目は、誰よりも真剣だった。
だが同時に――
王弟という立場は重い。
王は小さく息を吐く。
無茶はしない男だ。
己を抑えることも選べる。
だからこそ、心配だった。
そこへ、扉が叩かれる。
「入れ」
現れた弟を見て、王はわずかに眉を上げる。
目が違う。
迷いではなく――覚悟。
「ご報告がございます」
「申せ」
レオンハルトは膝を折る。
「ヴァイスベルク侯爵家次女、マリアンネ嬢が家督を継ぐ覚悟を示されました」
王の目が細まる。
「……家督を?」
「姉を自由にするため、自ら家を背負うと」
静かな説明。
重い決断だ。
王はしばし沈黙する。
「見事だな」
低く、率直な感想。
レオンハルトは続ける。
「侯爵家は動きます」
そして。
「それでも――」
低く、静かな声。
だが揺らぎはない。
王の視線が、弟を射抜く。
レオンハルトは真っ直ぐ見返した。
逃げない目だ。
「私は、アマーリエ嬢を望みます」
一歩も退かない声音。
王はその瞳を見つめる。
そこに躊躇はない。
言い訳もない。
ただ、決意。
「……打破するつもりか?」
問いではない。
確認だ。
レオンハルトは頷く。
「必ず、打破してみせます」
侯爵家の事情も。
王弟という立場も。
慣習も、しがらみも。
すべて。
王の口元が、わずかに上がる。
ああ。
心配は無用だったな。
「ようやく、王家の男らしい顔をした」
低く笑う。
「望むものを掴みにいけ」
そして王として告げる。
「侯爵家が自ら立つというなら、王家が応える」
レオンハルトは静かに頷く。
「マリアンネ嬢にも、礼を伝えるよう……」
若き決断に、敬意を。
最後に。
兄として。
「背負う覚悟があるなら、最後まで貫け」
「はい」
短く、強い返事。
王は満足げに息を吐いた。
盤は、動いた。
その時だった。
「……良い顔をしていますわね、陛下」
柔らかな声。
振り返ると、執務室の奥の扉から王妃セラフィーナが静かに歩み寄ってくる。
夜着ではない。
公務を終えた後の落ち着いた装い。
彼女は二人を見比べ、すべてを悟った。
「レオンハルト様が……覚悟を決められたのですね?」
王が小さく笑う。
「ああ。ようやくな」
王妃の瞳がやわらぐ。
「それは……本当に、良かったですわ」
レオンハルトは、その言葉に一礼する。
「まだ越えるべきものは多くあります」
「ええ、存じています」
だが、と王妃は微笑んだ。
「それでも、逃げなかった。そのことが何より尊いのです」
王は頷く。
「侯爵家も立つという。ならば王家も応えよう」
王妃は静かに言う。
「強い家と結ばれるのではなく――覚悟ある家と結ばれるのですね」
その言葉に、王は目を細める。
「余は、弟の目を信じる」
王妃は夫を見つめる。
「あなたが信じるのなら、わたくしも」
そして、少しだけ声を弾ませた。
「ふふ……ルーカスが聞いたら、きっと驚きますわ」
王が肩を震わせる。
「あれは……泣くかもしれんな」
夫婦は、顔を見合わせて笑った。
国王と王妃ではなく――
ただの兄と義姉として。
「長かったな」
「ええ、本当に」
静かな祝福が、執務室に満ちる。
数日後、王城の東翼ーー
「……マリアンネ嬢が、家督を継ぐ?」
ルーカスは書面を読み返す。
次女でありながら、自ら侯爵家を背負う。
やはりあの人は、強い。
胸が誇らしくなる――その直後。
「なお、ラインハルト伯爵家嫡男、フェリクス・フォン・ラインハルト卿が侯爵家へ婿入りする形で縁談が進んでいる」
沈黙する。
「……フェリクス卿?」
叔父レオンハルトの最側近。
王城でも名の知れた、沈着な剣士。
第一王子ルーカスはゆっくり息を吐く。
「叔父上の……右腕か」
勝てない、とは言わない。
だがーー
自分はまだ何も差し出していない。
マリアンネは家を背負う覚悟を示した。
フェリクスは後継者でもあるのに、弟に家督を譲り家を出る覚悟を示した。
自分は――?
そこへエリシアが駆け込んで来た。
「お兄様、聞きましたわ! マリアンネ様が……」
言葉が途切れる。
「……お嫁に?」
ルーカスは静かに頷く。
「まだ正式ではない。だが……覚悟は固いだろう」
エリシアはしゅんとする。
「わたくし、あの方とまた、お茶をご一緒していただきたかったのに」
ルーカスは苦笑する。
「侯爵夫人になられても、会えなくなるわけではないよ……」
そう言いながらも、胸の奥は少し痛む。
だがやがて、顔を上げた。
「フェリクス卿なら、きっとマリアンネ嬢支える事が出来る」
叔父が信頼する男だ。
それはつまり――確かな人物。
「……次は、想うだけで終わらせない」
十四歳の、小さな誓い。
エリシアは兄を見上げる。
「お兄様は、きっと素敵な王太子に……立派な王になられます」
その廊下の影で、静かに見守る影があった。
セラフィーナ王妃である。
息子の背中を見つめ、柔らかく微笑む。
「よく、受け止めましたね」
成長の痛み。
それを知ることも、王の器の一つ。
王城の回廊ーー
夕暮れの光が差し込む中、セラフィーナは静かに立っていた。
先ほどの息子の背中を思い出す。
誇りと、悔しさと、未熟さ。
すべてが混じった瞳。
「陛下……」
振り返ると背後に立っていたのは、国王アルフリードだった。
「聞いたか?ルーカスのことを」
「ええ」
王妃は穏やかに頷く。
「……良い失恋でした」
アルフリードは小さく笑う。
「随分と言うな……」
「望みが叶わぬことを知るのは、王には必要です」
優しい声音だが、揺るがない。
「奪えぬものもあると知ること。
そして、祝福できる心を持つこと」
アルフリードは目を細める。
「……お前らしい」
「陛下も、弟君を祝福なさったのでしょう?」
王はわずかに肩をすくめる。
「ようやく、あの男が本気で掴みにいった」
王妃は微笑む。
「王家の男たちは、皆、不器用ですこと……」
だがその瞳は柔らかい。
「フェリクスもな……」
王は頷く。
「あれも覚悟を決めた」
家を出る覚悟。
主君のそばに在りながら、侯爵家に入る道。
「良い縁です」
王妃は静かに断言した。
「強い者同士は、支え合えますから」
その頃、王城の訓練場ーー
剣を振るう音が止む。
「……殿下」
視線の先。
ルーカスが立っていた。
フェリクスはすぐに悟る。
聞いたのだな、と。
「フェリクス卿、おめでとうございます」
王子は、きちんと礼を取る。
その姿に、胸がわずかに痛む。
「まだ正式ではございません」
だが否定はしない。
沈黙が続く。
風が抜ける。
「マリアンネ嬢は、強い方だ」
ルーカスの声は落ち着いている。
「ええ」
迷いなく答える。
「家を背負われる覚悟を持つ御方です」
「……卿も、覚悟を?」
フェリクスは静かに頷く。
「ラインハルトの名を背負って生きてきました。
今度は、それを差し出す覚悟です」
伯爵家の長男としての道を離れ、侯爵家を支える道へ。
ルーカスは目を伏せる。
「……敵わないな」
小さな呟き。
フェリクスは一歩下がる。
「殿下」
声は低く、真摯。
「私が主と仰ぐのはレオンハルト殿下です。
ですが――」
一瞬、視線を上げる。
「未来の王は、あなた様です」
ルーカスの瞳が揺れる。
「いつの日か、守る側に立たれます」
その言葉に、甘さはない。
励ましではなく、事実。
王子はゆっくり頷いた。
「……精進する」
去っていく背中を見送りながら、フェリクスは剣を握り直す。
覚悟を決めた女性、マリアンネ嬢ーー
自分もまた、退かない。
王家とそれを支える男達が、それぞれの道を選ぶ夜だった。




