第30話|兄の胸中
玉座の間に、報告が届く。
「此度の件の一味である商団主が、脱走しました」
レオンハルトの声は冷静だ。
王は静かに頷く。
「……逃がされたな」
「はい。背後に隣国の影が」
理路整然。
隙のない報告。
だが王は、その奥を見る。
(また、ヴァイスベルク家の令嬢だな……)
あの夜を思い出す。
強制捜索を願い出たときの、あの目。
焦りを押し殺しながらも、決して退かなかった覚悟。
王はゆっくりと問う。
「……私情ではないな?」
ほんのわずかな間。
だがレオンハルトは迷わない。
「国の秩序を乱す者を放置できません」
建前。
だが、嘘ではない。
王は内心で苦笑する。
(不器用なやつだ)
幼い頃からそうだ。
剣も政も一流。
だが女心だけは壊滅的に分からぬ。
閨の作法は叩き込んだ。
王族として必要だからだ。
だがそれだけ。
恋を知らぬ。
欲しいと口にせぬ。
ましてや、自ら想いを認めることなど――。
王は、ほんの少し声音を落とす。
「レオン」
弟が顔を上げる。
「守りたいのなら、守れ」
その瞳が揺れる。
「お前が初めて、自ら手を伸ばしたのだろう」
沈黙。
レオンハルトの喉が動く。
否定はしない。
王は確信する。
(ああ、ようやくか……)
胸の奥に、静かな喜びが広がる。
政略でも義務でもない。
ただの感情で、誰かを想った。
「だが」
王の声は、再び王のものへ戻る。
「王家の男が誰かを望むなら、それ相応の覚悟を持て」
重い言葉。
だがそこに拒絶はない。
むしろ――許可だ。
レオンハルトは深く頭を下げる。
「御意」
退室の音が、玉座の間に響く。
王はひとり、静寂の中で息を吐いた。
「まったく……」
幼い日の弟が脳裏をよぎる。
真面目で、頑なで、そして優しい少年。
「ようやく、人並みか」
小さく笑う。
「あの令嬢なら、悪くない」
気品があり、芯がある。
大公妃としても不足はない。
何より――弟の目が変わった。
「幸せになれよ、レオン」
王ではなく、兄として。
盤は動いている。
だが策よりも厄介なのは――
初めて芽生えた想いかもしれぬ。
そのとき、玉座の間に柔らかな声が響いた。
「レオン様は、随分とお変わりになりましたわね」
振り返れば、王妃が微笑んでいる。
いつからそこにいたのか分からぬほど、静かな足取りで。
「聞いていたのか」
「最後だけですわ」
王妃は穏やかに続ける。
「強制捜索の夜も、今日も。あの目は……恋をした方の目です」
王は肩をすくめた。
「気付いておったか」
「気付かぬのは、ご本人だけでしょう」
くすり、と笑う。
王は玉座にもたれた。
「無骨な弟だ。閨の作法は教えたが、肝心なことは何も教えておらぬ」
「だからこそ、あの方なのでしょう」
王妃の瞳がやわらぐ。
「アマーリエ嬢は、静かで芯が強い方。
あのような方でなければ、レオン様の隣には立てません」
王は深く頷く。
政略としても申し分ない。
だがそれ以上に――
弟の目が変わった。
王妃が静かに問う。
「陛下は、お喜びなのでしょう?」
王は一瞬だけ間を置き、そして笑った。
「……ああ」
王としてではなく、兄として。
「あやつも、ようやく人を愛せるようになった」
王妃は優しく微笑む。
「では、少しだけ背を押して差し上げましょうか」
「やりすぎるなよ」
「心得ております」
二人の視線が重なる。
盤は動いている。
だがその中心で芽吹いた感情を、王と王妃は静かに見守る。
「幸せになってほしいものですね……」
王は頷いた。
「――ああ。必ずな」
それは王命ではなく、ただの――兄としての願いだった。




