第28話|守られるだけでは終われない
朝の光が、ヴァイスベルク侯爵家の窓辺を柔らかく照らしていた。
ローザリアは庭を見下ろしていた。
美しい。
整いすぎているほどに。
守られているーー
その実感はある。
だが同時に、それは“何もできない”という意味でもあった。
背後で扉が開く。
「朝のお茶でございます」
侍女が微笑む。
――エルザではない。
エルザは子爵邸にいる、幼い頃からの乳母。
唯一、心から信じられる存在。
(私は、守られるだけでいいの?)
脳裏に浮かぶのはアマーリエの姿。
昨日の広間。
一歩も退かなかった背中。
父親に対しても、王弟殿下に対しても、揺らがなかった声。
あの方は、守られているだけではないーー
守る側に立っている。
ローザリアは机に向かった。
机に添えられた白い紙を広げ、筆を取る。
もう、震えはない。
「エルザへ」
文字は端正だった。
“最近、父が会っていた商人の名を調べてほしい”
“帳簿の出入りに不自然な点がないか確認を”
“屋敷への来客の記録も”
命令ではない。
共に立つための依頼。
封蝋を押す。
深く息を吐く。
(守られるだけでは終わらない)
数日後ーー。
ベルク侯爵家にある、アマーリエの執務室。
アマーリエは書類に目を通していた。
ローザリアはソファに腰掛け、カップをゆっくり傾けながらも視線を上げ、アマーリエを見つめる。
(……私も、少しでもお役に立ちたい)
小さな声で、しかし迷いなく告げる。
「アマーリエ様、もしよろしければ、補佐を……私にもお手伝いさせていただけませんか」
アマーリエは書類から顔を上げ、その瞳がローザリアを捉えた瞬間、わずかに微笑む。
「……では、今日から任せます」
ローザリアは息を呑む。胸が高鳴った。
憧れの人に認められ、役割を与えられる喜び。小さな一歩だが、確かな成長の証だった。
その後、ローザリアはアマーリエの指示のもと、簡単な書類整理や資料確認、来客の応対の準備を始める。
細やかな動きひとつひとつを見て、アマーリエは思わず頬を緩める。
「手際が良いですね、ローザリア」
「いえ、まだまだ……」
微かな緊張と誇らしさが入り混じる声。
紅茶の香りと書類の紙の匂いが交錯する静かな執務室。
二人の距離は近いが、自然な緊張感のある時間。
アマーリエは心の中で呟く。
(この子が傍にいてくれるだけで、心強い)
ローザリアもまた、心の中で決意を新たにする。
(アマーリエ様の力になりたい。この人の役に立てるなら、どんなことでも――)
ソファの横でカップを置き、少し背筋を伸ばすローザリアを見つめながら、アマーリエは柔らかく微笑む。
この瞬間の静けさが、二人にとって、有意義な時間となった。
同じ頃ーー
ベルク子爵邸。
エルザは静かに手紙を読む。
表情は変えない。
読み終えると、丁寧に折りたたみ、胸に抱いた。
「承知いたしました、お嬢様」
その夜、廊下に影が差す。
鍵は音もなく外される。
机の上の手紙が、そっと持ち上げられる。
封は丁寧に解かれ、内容を読み取られる。
薄い笑み。
やがて――
何事もなかったかのように、元の位置へ。
薄暗い室内ーー
報告を受けた男は、静かに頷いた。
「動いたか」
声は穏やかだ。
焦りはない。
だが、その視線の先では、異常なほどの執着を秘めた感情が揺れ動いていた。
「泳がせよう」
小さな駒が自ら歩き出した。
ならば、その進路に道を置く。
真実と嘘を、少しだけ混ぜてーー
彼はまだ名乗らない。
ただ盤を眺めている。
ほくそ笑む彼の計画は、まだ始まったばかりだった。
その夜、王弟レオンハルト執務室ーー
「子爵邸、侍女の部屋へ侵入の形跡あり」
フェリクスの報告は簡潔だった。
レオンハルトは目を細める。
「手紙だな」
「おそらく……」
沈黙。
告げるべきか。
止めるべきか。
やがてーー
「……まだ、伝えるな」
低い声。
「動揺は不要だ。泳がせる」
敵が動くなら、その軌跡を辿る。
静かな対抗。
盤上には、すでに双方の視線が走っている。
翌日の夕刻ーー
ヴァイスベルク侯爵家の回廊を歩く、アマーリエとローザリアの元へ、レオンハルトが訪れる。
口実は状況確認。
だが視線は自然とアマーリエを探している。
「……殿下」
「無理はしていないか」
短い会話。
それだけで空気が和らぐ。
少し離れた位置で見守るローザリアは思う。
(並び立つお二人だわ)
憧れは、確信へーー
その少し後ろを歩くマリアンネが、フェリクスの歩みを阻む。
「ですから、殿下はもう一歩踏み込むべきなのです!」
マリアンネがフェリクスに詰め寄っていた。
「私は護衛で補佐官です。恋愛指南役ではありません」
「鈍感ですわね!」
幼い令嬢の言葉に、フェリクスは珍しく言葉に詰まる。
おませな笑みを浮かべるマリアンネに、少し照れくさそうなフェリクス。
小さな微笑みが零れる瞬間を、アマーリエとレオンハルトは思わず、視線を交わす。
甘い空気に包まれながらも、二人の胸には、まだ解決されていない陰謀の影が残る。
まだ終わっていない。
まだ掴めていない。
それぞれの胸に、同じ願いがある。
――早く、決着を。




