第27話|保護という名の
地下牢は湿っていた。
灯りが揺れる。
鎖に繋がれた商団主は、血の滲んだ唇で笑っている。
「……私はただの商人ですよ」
レオンハルトは表情を変えない。
机の上に広げられた帳簿を指先でなぞる。
「ただの商人にしては、資金の流れが不可解だな」
特定の口座へ定期的に送金。
だがその先が不自然に途切れる。
偽名、架空商会、消える金。
――“上”がいる。
商団主は黙る。
怯えているのではない。
守っている。
フェリクスが低く告げる。
「子爵邸周辺、すでに探りが入っています」
早いーーあまりにも。
レオンハルトは断じた。
「ベルク子爵邸は安全ではない」
「商団主は捕らえた。だが、背後がいないとは限らない」
レオンハルトの言葉に、重い空気が落ちる。
ローザリアは俯いた。
自分が厄介者であることは理解している。
このまま戻れば、また狙われる。
だが、口を開く資格があるのかも分からない。
沈黙を破ったのはアマーリエだった。
「侯爵家でお預かりいたします」
静かな声。
だが迷いはない。
レオンハルトが視線を向ける。
「ヴァイスベルク侯爵家は、私の家ですもの。責任は取ります」
守ると決めれば、守る。
ローザリアの瞳が揺れる。
だがーー
「……歓迎はされぬだろう」
レオンハルトの声は冷静だった。
「オスカーの件もある。侯爵家は今、静観の立場だ」
“問題を起こした令嬢を囲った”
そう見られれば、火種になる。
アマーリエは一瞬だけ言葉を飲み込む。
それでもーー
「ですが、被害者であることは事実です」
目を逸らさない。
――強いな。
だが強さだけでは守れない。
沈黙が続く。
やがてレオンハルトは息を吐いた。
「……ベルク子爵邸は安全ではない」
決断の声。
「アマーリエ嬢の意志により、ヴァイスベルク侯爵家で保護する!」
そして、冷たく続ける。
「だが、保護は監視でもある」
甘くはない。
ローザリアは頷いた。
「承知しております」
被害者だが、無垢ではない。
「私が責任を持つ」
王弟としての宣言。
その一言で場は定まった。
アマーリエはそっとローザリアの手を握る。
「大丈夫です。きっと」
政治ではない。
人の温度だった。
やがて、王命が下る。
ローザリア・フォン・エーデルシュタインの一時保護。
預かり先は――ヴァイスベルク侯爵家。
馬車が止まる。
重厚な門が開く音は、歓迎というより審問の始まりのようだった。
迎えた使用人たちの視線が刺さる。
整然と、しかし測る目。
広間にはヴァイスベルク侯爵が立っていた。
ローザリアが一礼した瞬間、侯爵の胸に過ったのは怒りだった。
――この令嬢が原因で。
旧友ヴァルターとグラーツ侯爵家との別離。
その息子オスカーとの婚約破棄。
そして娘は攫われ、命の危険に晒された。
すべての発端は、目の前の少女。
だが、侯爵は感情を出さない。
「保護する」
低く、重い声。
「だが――監視でもある」
空気が凍る。
「承知しております」
ローザリアは頭を下げる。
逃げ場ではない。
檻だと理解している。
その時、アマーリエが一歩前へ出た。
「ローザリア嬢は、王弟殿下の命で、我がヴァイスベルク侯爵家でお預かりする事になりました」
静かな宣言。
「ここは、わたくしの家ですもの。
安全ですし、我が侯爵家の騎士団はこのアウレリア王国でも一、二を争うほど優秀です」
誇りを帯びた声音。
続けて、
「前回は、邸内で私自身も隙がありました。
この件の責任は、私が取ります」
侯爵の目が娘を見る。
言い訳ではない。
逃げでもない。
――強くなった。
ローザリアの胸がざわめく。
父の甘言に踊らされた自分。
疑わず、縋り、利用された。
この人は、自分の責任を口にする。
私はどうだったのか
侯爵は短く頷き、即断する。
「騎士団の警備を強化する」
「巡回を倍に。
出入りはすべて記録。
外部との接触は私の許可を得よ!」
そして静かに告げる。
「この家にいる限り、手出しはさせん」
それは娘への誓いでもあった。
ローザリアは深く頭を下げる。
完全な信用ではない。
試されている。
だが守りは、本物だ。
事件後、アマーリエの私室。
香の影響は抜けきっていない。
体が少し重い。
扉が叩かれる。
「……入っても?」
「どうぞ、殿下」
レオンハルトが入室する。
静かな私室。
灯りは柔らかく、空気は密やか。
『来たるべき時が来ましたら――あなたにだけ』
その言葉がまだ二人の間に残っている。
「無理をするな」
「殿下こそ」
視線が絡む。
空気がやわらぐ。
アマーリエが小さく息を吐く。
「……あなたが来てくださると、安心します」
その一言で、理性が揺れる。
距離が、近い。
彼は彼女をまっすぐ見つめ――
低く、静かに呼ぶ。
「……アマーリエ」
敬称が、ない。
たったそれだけで、空気が震える。
彼女の呼吸が止まる。
(今、名前……そのまま……?)
問いかけではない。
確かめるような声音。
レオンハルトの指先が、そっと彼女の髪に触れる。
一瞬だけ。
「それは、光栄だ」
低く、素直な声。
触れたい。
抱き寄せたい。
だが越えない。
越えれば、守る側でいられなくなる。
また、彼の指が髪に触れる。
整えるように。
そして――
額へ、口づけ。
敬意を含んだ、祝福のような口づけ。
静かに、柔らかく。
「……っ」
アマーリエの顔が一瞬で染まる。
前世の知識があるはずなのに。
理屈も、シチュエーション耐性も、あるはず。
だがーー
オタク前世の記憶が暴れる。
(ちょ、待っ……今の何!?額!?公式供給!?)
(名前呼び!?からの額!?なにその王道高貴ムーブ!?)
今世の純真がとどめを刺す。
視線を上げられない。
けれど……。
現実の彼は、理屈を超えてくる。
その笑みは甘いが、どこか満ち足りている。
「顔が赤い」
からかいではない。
低く、柔らかい声。
彼は手を伸ばし――
ぽん、と頭に触れる。
撫でるのではない。
包むように、慈しむように。
「焦らずともよい」
その声音がまた甘い。
アマーリエが限界に達する。
「お前が話すと決めるその時まで、私は待つ」
“お前”。
距離が、確かに縮まっていた。
レオンハルトはそれ以上何もせず、背を向ける。
「今は、ただ……傍にいさせてくれ」
扉へ向かう前、振り返らないまま言う。
「……おやすみ、アマーリエ」
優しい独占。
「はい」
その柔らかさが、彼をさらに揺らす。
彼は背を向ける。
振り返らない。
振り返れば、戻れない。
廊下の影。
フェリクスは壁にもたれ、静かに息を吐いた。
(殿下は完全に落ちたな)
いや。
あれは覚悟を決めた顔だ。
小さく息を吐き、静かにその場を去る。
数刻後ーー
部屋に一人になったアマーリエは、布団に顔を埋めていた。
(名前呼び……おやすみ……焦るなって……)
前世オタク脳が暴れる。
今世の純真が追い打ちをかける。
心臓がうるさい。
だがやがて、呼吸が整う。
胸に残る温もり。
あの声。
(あの人は……奪わない)
急がない。信じて、待つ。
(この人なら)
自分がなぜこの世界にいるのか。
何を為すべきか。
一緒に探してくれるかもしれない。
彼女はそっと胸に手を当てる。
「……ずるい方」
微笑みが零れる。
レオンハルトが廊下に出ると、フェリクスが待っていた。
視線だけで会話を交わす。
(殿下、やりましたね)
(何もしていない)
いや十分だ、とフェリクスは心中で苦笑する。
そして、真顔になり報告をする。
「商団主、口を割りません」
レオンハルトは足を止めない。
「ですが妙です。“誰かを守っている”」
甘い余韻が一瞬で凍る。
資金の流れ。
消えた痕跡。
探りの早さ。
繋がる。
あの時、アマーリエに近づいた男。
名はまだ出ない。
だが確かにいる。
レオンハルトの表情が変わる。
拳がわずかに握られた。
「……まだ、終わっていない」
夜が静かに牙を剥いた。
翌朝ーー
ヴァイスベルク侯爵家の庭は美しい。
だが安らぎはない。
ローザリアは鏡を見る。
弱い顔はしていない。
守られるだけでは駒になる。
アマーリエは強い。
だがどこか異質だ。
知りすぎている。
まるで未来を知っているかのように。
――甘えてはいけない。
背筋を伸ばす。
「守られるだけでは、終わらないわ」
自分も動く。
利用される側ではなく、掴む側へ。
その瞳に、初めて光が宿った。




