第25話|揺らぐ理性と、差し伸べる刃
王城、執務室――
扉が荒々しく開いた。
「殿下!」
フェリクスの声は、抑えているが切迫している。
レオンハルトは机から顔を上げた。
その表情は、すでに結果を悟っている。
「……言え」
「ヴァイスベルク侯爵令嬢が」
一拍おいて、続ける。
「連れ去られました」
時間が止まる。
音が消える。
呼吸だけが、やけに大きく響いた。
「……いつだ」
声は低い。
だが、わずかに掠れている。
「殿下が屋敷を発たれた、直後です」
静寂の後、レオンハルトはゆっくりと立ち上がった。
拳が白くなるほど、強く握られている。
(私が、離れたからか)
胸の奥が冷える。
ローザリアを守れなかった。
そして――
アマーリエまでも。
「警備は」
「突破されています。
内部に手引きの痕跡は見当たりません」
外部からの侵入。
計画的な。
用意周到。
「……狙いは、最初から彼女か」
低く落ちる声。
フェリクスは答えない。
答えは、明らかだった。
レオンハルトは目を閉じる。
浮かぶのは、あの庭での微笑み。
『そなただけは、無事でいてくれ』
その言葉が、今になって胸を刺す。
(私は……)
守りたいのは、国か。
それとも――
彼女か。
喉の奥が、焼けるように痛む。
「……探せ」
かすれた声。
だが次の瞬間、瞳が鋭く開く。
「王都全域を封鎖!
主要街道、裏路地、港、すべてだ」
「はっ」
「商団主の関係者を一斉拘束。
圧力をかけろ。口を割らせろ」
怒りではない。
これは、決意。
その時、執務室の扉が再び叩かれる。
「失礼いたします!」
ヴァイスベルク侯爵家の家臣が、血相を変えて跪いた。
「侯爵家より報告がございます!」
「申せ」
「王都外れ、旧グラーフ邸に出入りする不審な馬車が確認されました。
数日前より、夜間のみ灯りがともっているとのこと」
フェリクスの視線が鋭くなる。
「所有者は?」
「名義上は商人のもの。
しかし資金の流れが、例の商団と一致しております」
静寂。
空気が、変わる。
レオンハルトはゆっくりと歩き出した。
「確証は」
「八割、以上かと」
十分だ。
「兵を出す」
即断。
だがフェリクスが一歩踏み出す。
「殿下、王都内での強制捜索には国王陛下の裁可が必要です」
わかっている。
レオンハルトは立ち止まる。
「兄上は、謁見中か」
「まもなく執務に戻られます」
数秒の沈黙。
「……通せ」
決意の声。
マントを翻す。
王弟としてではない。
一人の男として。
守るために。
玉座の間へと向かう廊下は、やけに長く感じられた。
(待っていろ、アマーリエ)
今度こそ。
必ず。
重厚な扉が開かれる。
王が、静かに弟を見下ろしていた。
「……どうした、レオン」
その問いに、王弟は膝をつく。
「陛下。
王都外れの旧グラーフ邸への強制捜索の許可を賜りたい」
玉座の間に、緊張が走る。
「理由は」
「攫われた令嬢が、そこにいる可能性が高い」
王の瞳が細められる。
「確証はあるのか」
「十分です」
わずかな沈黙。
王は、弟を見つめる。
そして気付く。
その目に宿る、焦りと――
覚悟を。
「……私情ではないな?」
一瞬。
レオンハルトの喉が動く。
だが、目は逸らさない。
「国の秩序を乱す者を放置できません」
それは建前。
だが、嘘ではない。
王は静かに息を吐いた。
「よかろう。
王弟レオンハルトに、強制捜索の全権を委ねる」
空気が震える。
「感謝いたします、陛下」
立ち上がる。
瞳には、もはや迷いはない。
剣は抜かれた。
向かう先は、王都外れの屋敷。
そこにいるのが――
ただの駒ではないと、もう知っている。
――救い出せなければ、私は王弟である資格を失う。
次の夜は、血を見ることになる。
そしてその血が、国のためか、己のためか――
彼自身にも、まだ分からなかった。




