第17話|揺れる熱、影の支配
学園の温室。
人目の少ない静かな場所。
「しばらく会えないなんて、寂しいわ」
ローザリアはわざと視線を伏せる。
その様子に、オスカーの呼吸が浅くなる。
「俺もだ」
即答だった。
以前なら、こんな即断はしなかった。
彼は理性で距離を測る男だった。
ローザリアは内心でほくそ笑む。
(効いている…)
「でも……私のせいなら、ごめんなさい…」
触れそうで触れない距離。
オスカーの指先が微かに震える。
「違う!」
強い否定。
その声に、甘美と危うさが混じる。
「君がいないと……落ち着かないんだ…」
ローザリアは一瞬だけ戸惑う。
(ここまでなの…?)
依存。
甘く、陶酔的。
だが扱いを誤れば、重く、危険。
けれど彼女は引かない。
「それなら…私を守って」
甘い声。
軽い挑発のつもりだった。
「私のために強くなって」
恋愛の常套句。
だがオスカーの目の奥で、何かが揺れる。
“守る”
その言葉が異様に頭の中で響いた。
謹慎中、交流制限。
一人の部屋で、オスカーは落ち着かなかった。
本を開いても文字が頭に入らない。
ローザリアの声が耳に残る。
「私を守って」
胸がざわつく。
会わなければならない。
確かめなければ…。
指先が冷え、呼吸が浅くなる。
(なぜ、こんなに…?)
理屈が追いつかない。
自分はこんな男ではなかったはずだ。
その夜、邸の廊下。
オスカーは静かに部屋を抜け出した。
廊下の冷たい石が、足音を拾わないかと神経を尖らせる。
手がドアノブに触れると、わずかに震えた。
胸の高鳴りが、理性を揺さぶる。
(……行かねば)
窓から見える月明かり。
深呼吸をする。
理性が「待て」と囁く。
しかし、衝動がそれを押しのける。
「……ローザリア」
呟くように名前を呼ぶ。
その声に、自分でも驚く。
抑えきれない熱。
廊下を曲がった瞬間、影が動いた。
月明かりに映る黒い人影。
兄のカールではない。
誰か別の影が、オスカーの行動を静かに見つめていた。
オスカーは立ち止まる。
振り返ることもできず、ただ前へ進むしかない。
胸の奥が、冷たく熱く交錯する。
(……見られている…)
影が一歩近づく。
風が廊下を通り、かすかに衣擦れの音。
そして、影の手が一瞬、ドアノブに触れる。
オスカーの鼓動が跳ね、全身が緊張する。
「……甘く見すぎるな、オスカー」
低く響く声。
しかしそれ以上は言わず、影は闇に消えた。
オスカーは理解する。
この感情は、単なる恋ではない。
それは甘美な依存――
操られるのではなく、知らぬうちに心を縛られている感覚だった。
学園外れの古い礼拝堂――
蝋燭の火が揺れる中、レオンハルトとフェリクス。
壁に二人の影が踊る。
「最近、妙な香が流れております」
フェリクスは低く、しかし臣下らしく丁寧な声で報告した。
「学生の間で?」
レオンハルトは、淡く冷たい声で問いかけた。
「はい。特定の者に強い執着を生じさせる類いでございます」
レオンハルトは目を細める。
「依存を煽るものか…」
「完全な支配ではございません。
ですが、感情を増幅させるものでございます」
フェリクスは蝋燭の炎を見つめつつ、慎重に付け加えた。
「入手経路は、市井の薬師では扱えぬ品でございます。
裏から流れているようです」
「なるほど」
レオンハルトは静かに息を吐く。
「侯爵家次男の動向を、引き続き監視せよ」
「承知いたしました」
フェリクスは一歩前に進み、丁寧に頭を下げる。
「使用者が誰か判明する前に、手を打つ必要がございます」
フェリクスが報告を終え去った後、レオンハルトは蝋燭の炎を見つめながら、低くつぶやく。
「恋で済めばよかったがな……」
その瞳に、冷たくも決意を帯びた光が宿る。
蝋燭の火が揺れるたび、影も揺れる。
もはや単なる横恋慕ではない。
誰かが“感情”を計算して操ろうとしている。
影は、学園の未来をも揺さぶり始めていた。
暗闇の中、オスカーは一人、ローザリアの邸へ向かっていた。
胸の奥で、理性が必死に「待て」と囁く。
だが衝動はそれを無視し、熱く、暴力的に心を揺さぶる――。
体は自然にローザリアの方へ向かい、足は止まることを拒む。
理性と衝動がぶつかり合うたび、胸のざわめきは増し、冷静だった自分が徐々に崩れていくのを感じた。
――その先に、何が待つのかも知らずに。




