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婚約者を奪われましたが、前世の知識で幸せを取り戻します  作者: 絵宮 芳緒


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第10話|虚飾の迷宮の夜、歯車は進む

夜の帳が街を包み込むころ、街外れの小さな宿の一室には、淡いランプの灯りが揺れていた。


宝石箱の蓋をゆっくりと開け、指先で中の輝きを確かめるオスカー。


「君のためか……本当に、君のためなのか……」


繰り返す声に、自らの心が少しずつ解けていく感覚が混じる。


部屋を満たす甘い香りが衣にほのかに染み、頬に触れた指先の温もりが理性をくすぐる。


ローザリアは微笑みを絶やさず、目を閉じたまま静かに近づき、頬や肩、指先に触れる距離を絶妙に保つ。


その所作の一つひとつが、オスカーの心に甘美な錯覚を刻む。


「……君のためか……君のために、俺は――」


言葉が途切れる。

宝石箱を手に取り、触れながら、香りに酔い、微かな昂ぶりを覚える。


それは愛情ではない。


だが、オスカーはそれに気づかない。


彼の心はすでに、ローザリアの手の中で揺れていた。


卓上には、封筒、宝石の購入記録、そして小さなメモ。


彼女の計算はすべて、視覚・嗅覚・触覚を刺激する巧妙な仕掛け。

目に見えぬ罠が、静かに彼を取り囲む。


「……形式上の婚約者は、ただの形式か」


オスカーの声には、少しの動揺も迷いもない。


しかしその無邪気さが、ローザリアの笑みを深める。

彼女の内心では、次の手がもう用意されていた。





一方、遠く王城の一室。


重厚なカーテンが揺れる中、レオンハルトは机に置かれた宝石の目録を指でなぞる。

微かな光が宝石を反射し、壁に淡い模様を落としている。


「……若さは、罪だな」


口元に微笑を浮かべつつも、瞳は冷たく光る。


椅子に深く腰を下ろし、指先で机の端を軽く叩く。

側近フェリクスが控えめに問う。


「いかがなさいますか、殿下」


「あと少し、様子を見てみよう」


低く、静かな声。


「だが、証は集めておけ。焦ることはない。駒は自ら進む」


王弟の手元で、目録のページがゆっくりとめくられる。

指先が止まった瞬間、ふと壁の時計を見やる。


夜の帳の中、城は静寂に包まれ、だがその静けさの裏で、小さな歯車は確実に回り続けていた。


レオンハルトは立ち上がり、窓辺に寄る。

外の街を見下ろす視線は、夜の明かりに揺れる宿や通りの影を追う。


「まだ、知らぬ者も多い……だが、次の一手はすでに準備されている」


その声は、誰にも届かぬほど低く、冷たい。




再び宿の一室。

ランプの光が揺れる中、オスカーは宝石箱を弄び、何度も小さく呟く。


「君のためか……君のためか……」


ローザリアの指が、そっと彼の手を胸元へ導く。

香水の甘い香りと、衣に仕込まれた微かな香の匂いが、意識の隙間に入り込む。


胸に顔を埋めると、心地よい熱と陶酔が全身を満たした。


「……私だけのもの、ですね」


囁きと笑みの裏に潜む計算。

オスカーはそれに気づかず、ただ溺れていく。


宝石箱の光、紅の淡い跡、香水と香――全てが絡み合い、甘美な鎖となって彼を縛った。


微かに理性の端が揺れる。


「……これは、ただの夜の戯れか……」


胸の奥で疑問が生まれる。


だがその疑問は、ローザリアの指先に触れられるたび、溶けるように消えていった。


彼の手は自然とローザリアの腰や肩に触れ、胸に寄せられる。


心臓が跳ねる感覚、呼吸の熱、身体の温もり。

理性はすでに遠く、甘い悦びだけが支配する。


彼は繰り返し、囁く。


「君のためか……君のためか……」


今やそれは、祈りにも近く、完全な降伏の証。


オスカーの意識は、彼女の掌の中で蕩け、堕落していった。

ローザリアの胸に顔を埋め、自らを預ける。


ローザリアは満足げに微笑み、オスカーの額に軽く唇を触れる。

その笑みには甘美さと、冷徹な狡猾さが同居していた。


オスカーの鼓動は高鳴り、理性はもう遠く、甘い夜の深みに沈むばかり。


甘い夜の裏で、迷宮の夜は静かに進む。


駒は動き、影は落ち、虚飾の世界でひそやかに罠が噛み合っていく――。


ランプの影の中、チェスの駒が静かに次のマスへと進む。

その音は小さく、だが確実に、夜の静寂に刻まれた。




宿の奥、宝石箱の光に映るオスカーの瞳は揺れ、理性はすでに手の届かぬ彼方。


ローザリアの笑みが、甘く、そして冷たく彼を捕らえる。




遠く王城の一室。

レオンハルトは窓辺から街を見下ろす。

夜の明かりに揺れる宿や通りの影を指先で追いながら、微かに笑む。


「駒は進む……次の一手も、整っている」


微かに動く指先。

宝石の目録に沿って、計算された盤面がさらに広がる。


誰も気づかぬうちに、すべての歯車は噛み合い、次の夜を待つ。


オスカーの甘美な陶酔と、城で冷静に盤面を読むレオンハルトの視線。


その間に、迷宮の夜は深まり、駒はさらに進む――。


夜はまだ、終わらない。

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