第1話|奪われた日
第1話
アマーリエ・フォン・ヴァイスベルクは、王立学園の教室を出た瞬間、視線の端に目を奪われた。
そこにいたのは――婚約者の侯爵家次男オスカー・フォン・グラーツと、子爵令嬢ローザリア・フォン・ベルク。
柔らかく絡み合う二人、耳元で交わされる秘密めいた囁き。
「昨日は…あなたと一緒に過ごせて、嬉しかったわ」
オスカーも、肩越しに低く返す。
「僕も、君といると安心する。もう誰もいらない…」
二人の距離は、もはやただの仲良しの範囲を超えている。
柔らかな吐息、触れ合う肩、微妙に重なる体の角度…。
アマーリエの目には、言葉以上の意味がくっきりと映った。
その距離の近さ、仕草のひとつひとつが、誰の目にもただならぬ関係を示していた。
――ああ、私は奪われたのだ。
胸の奥に冷たい確信が広がる。
怒りも、悲しみも、まだ生まれていない。
ただ、事実だけが、鋭く静かに刺さった。
放課後、アマーリエは学園の階段を下りていた。
その瞬間、後ろから軽やかな足音が近づく。
振り返る間もなく、肩に小さな衝撃が走った。
「……!」
アマーリエはバランスを崩し、ゆっくりと床へ向かって落ちていく。
落ちていくアマーリエを振り向きざまに、ローザリアが不敵に微笑んでいた。
アマーリエはバランスを崩し、ゆっくりと床へ向かって落ちていく。
視界の端にローザリアとオスカーの姿が映る。
ローザリアが甘く、少し挑発的に呟いた。
「オスカー、早く……」
声は耳元ではなく、距離を隔てて届くものの、その響きには甘さと親密さが混じっている。
落ちていくアマーリエのことなどつゆ知らず、オスカーはローザリアの甘い香りに翻弄され、腰に手を回し寄り添いながら、二人は振り返らずに去っていく――
ゆっくりと流れる時間の中で、脳裏に刻まれていく。
胸の奥に、冷たい確信が広がった。
――私は、完全に奪われたのだ。
落ちる感覚に合わせ、息を整えるように小さく吸って吐く。
遠い意識の中で、誰かが自分の名を呼ぶ声、人を呼ぶ声が聞こえた。
悲痛な叫びと狼狽えた複数の人の声。
そこで、全ての意識が闇に消えた。
意識が揺れる中、アマーリエは前世の記憶を思い出した――50代独身の栄養士として生きていた自分の知識。
次に気が付いた時には、屋敷の自室のベッドの上だった。
そこで、意識を失う前のことが蘇る。
「……あ、私、一人でも全然生きていけるわ」
感情よりも先に、頭の中で状況を整理する。
怒りをぶつける必要も、涙に沈む必要もない。
まずは、現実を見据えること。
これからどう行動するかを、決めるだけだ。
ベッドから身を起こし、部屋のソファへと向かった。
落ち着いた姿勢で腰を下ろすと、アマーリエは静かにこれからの行動を整理し始めた。
まず、手元の机の上から便箋を取り出す。
ペンを握り、思考のままに書き出す――
・婚約者オスカーやローザリアに感情的に反応しないこと
・自分の身の回りの安全と立場を最優先に守ること
・前世の知識を活かして、料理や健康管理で自分と周囲の生活を整えること
・信頼できる人を見極め、無駄な敵対は避けること
・自分の人生を、自分の手で選ぶこと
文字を一つ一つ書きながら、アマーリエの心は静かに整理されていく。
書くことで、漠然とした決意が現実の手触りを持つ形になった。
「感情はあとからでもいい。まずは、自分の生活を、自分の手で作る――それだけ」
書き終えた便箋を机に置き、アマーリエは深く息をつく。
過去に囚われず、奪われたものに振り回されず、自分の力で道を切り開く。
静かに立ち上がり、窓の外の光に顔を向ける。
「よし、まずは生活から整えていこう――今日から、少しずつ。」
一歩ずつ、未来に向けて歩き出す瞬間だった。
登場人物
アマーリエ・フォン・ヴァイスベルク
(17歳)侯爵家令嬢
淡い灰金の髪とセージグリーンの瞳。
端正で控えめな美貌と聡い目つき。
派手さはないが、自然と目を追ってしまう存在。
オスカー・フォン・グラーツ
(17歳)侯爵家次男
濃い金髪、薄いブルーの瞳。
整った顔立ちだが軽薄で、付き合うと頼りない典型的クズ貴族次男。
ローザリア・フォン・ベルク
(17歳)子爵令嬢
艶のある赤褐色の髪、琥珀色の瞳。
華やかで目を引く美貌、距離感の近い振る舞い。
男受け抜群だが同性からは警戒される。




