前-6(下) 兆し
蓮花の「異変」が、土御門家の中で言葉にされ始めたのは、その少し後のことだった。
もっとも――
誰かが明確に「力がある」と断じたわけではない。
ただ、説明のつかない出来事が、少しずつ重なっていっただけだ。
◆
ある日の夕刻、屋敷の結界が、理由もなく一瞬だけ揺らいだ。
侵入者もいなければ、術の干渉もない。
老朽化と呼ぶには、結界はまだ新しすぎる。
「……今の、何だったんだ?」
当直の退魔士が首をかしげる中、結界の内側――
庭の縁側に座っていた蓮花が、びくりと肩を震わせた。
「……いやな感じ」
小さく、そう呟く。
「どこか、痛いのか?」
俺が尋ねると、蓮花は首を振った。
「ううん……
ただ、空気が、変なふうに引っかかっただけ」
その直後、結界は何事もなかったかのように安定した。
原因は、最後まで分からなかった。
◆
別の日には、符を焦がす事故があった。
本来なら霊力に反応して燃え尽きるはずの簡易符が、途中で消え失せたのだ。
まるで、燃える必要がなくなったかのように。
その場に居合わせたのも、蓮花だった。
「……ごめんなさい」
そう言って、彼女は小さく俯いた。
「私、何か、悪いことした?」
「いや、違う」
父――現当主は、いつもより慎重な声で答えた。
「お前は、何もしていない」
だが、その目は、はっきりと警戒していた。
◆
そして決定的だったのは、夜中のこと。
俺が目を覚ますと、隣で寝ていたはずの蓮花がいなかった。
慌てて探しに出ると、彼女は屋敷の奥、結界柱のそばに立っていた。
「蓮花!」
「……悠真」
彼女は振り返り、困ったように笑った。
「ねえ、ここ……
時々、苦しそうな音がするの」
「音?」
「うん。
壊れてる、っていうより……
無理して、同じ形を保ってる感じ」
子どもの言葉だ。
だが、退魔士なら誰もが知っている現象を、別の角度から言い当てていた。
「私、触ったらだめだよね?」
「……ああ。触らなくていい」
俺はそう答えながら、胸の奥が冷えていくのを感じていた。
蓮花は、術を知らない。
理論も、手順も、何ひとつ教えられていない。
それなのに――
“見えてはいけないもの”に、気づいている。
◆
翌日、大人たちの間で短い話し合いが持たれた。
「測定は?」
「意味がない」
「では、経過観察か」
「……いや」
現当主は、静かに首を振った。
「これ以上、蓮花を前に出すのは危険だ」
その視線が、次に俺へ向く。
「悠真。
お前は、予定を少し早める」
「……?」
「十歳の仕事だ」
それ以上は、何も語られなかった。
◆
その夜、俺は蓮花と並んで布団に入っていた。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「私、変?」
その問いに、迷いはなかった。
「変じゃない」
「……ほんと?」
「ああ」
俺は、そっと彼女の手を握る。
「俺が一緒にいる」
蓮花は、しばらく黙ってから、小さく頷いた。
「……うん」
その時はまだ、知らなかった。
この“予定を早めた判断”が、
酒呑童子と茨木童子という、想定外の存在と出会う引き金になることを。
そしてそれが――
俺の退魔士としての立場を、決定的に変えることになるということを。
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