前-5 蓮花の力の片鱗と、周囲の動揺
それは、何かが「起きた」と言えるほど明確な出来事ではなかった。
だが、土御門家の大人たちは、確かに気付いてしまった。
――この少女は、ただの退魔士の血筋ではない。
◆
最初の異変は、朝の清めの儀だった。
当主と数名の術者が中庭に結界を張り、屋敷全体の穢れを祓う、定例の儀式。
本来、子どもは立ち入らせない。
だがその日、蓮花はどうしても俺のそばを離れようとしなかった。
「大丈夫だよ。怖くない」
「ううん……ユーちゃんが一緒なら、平気」
手を握ったまま、少し離れた回廊から儀式を見守っていた。
祝詞が唱えられ、
霊符が風に舞い、
清浄な霊力が屋敷を満たしていく。
――その、はずだった。
「……?」
詠唱していた術者の一人が、声を詰まらせた。
霊符の動きが、微妙に乱れている。
風の流れではない。
術式の誤りでもない。
何かが、上書きしている。
「当主……これは……」
「静かに」
当主の目が、俺たちの方へ向けられた。
正確には――
俺の隣に立つ、蓮花へ。
彼女は、何もしていない。
ただ、少し不思議そうに、空を見上げていただけだ。
「……きれい」
その一言と同時に。
結界の光が、一瞬だけ、色を変えた。
白でも、青でもない。
言葉にしがたい、柔らかな輝き。
まるで、祝詞そのものが、別の“意味”を帯びたかのようだった。
術式は、成功した。
いや――
成功しすぎた。
穢れは完全に消え、結界は通常よりもはるかに安定していた。
だが、その場にいた全員が、沈黙していた。
◆
儀式の後、俺と蓮花は別室に通された。
当主、師、そして数名の古参術者。
空気は重いが、敵意はない。
「蓮花嬢」
当主が、穏やかな声で呼びかけた。
「先ほど、何か感じましたか?」
「……?」
蓮花は首を傾げた。
「なんだか……
“こうしたほうが、きれい”って思っただけです」
術者の一人が、息を呑む。
「……それだけ、ですか?」
「はい。それだけ」
嘘はない。
本人も、本当に分かっていない。
当主は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「悠真」
「はい」
「お前は、何か感じたか?」
「……霊力が、勝手に整った感じはしました」
「だろうな」
沈黙。
やがて、年かさの術者が口を開いた。
「当主。
この力は……退魔ではありません」
「分かっている」
「では――」
「だが、排する理由もない」
その言葉に、空気が少し和らいだ。
当主は、蓮花に視線を戻す。
「蓮花嬢。
恐れることはない」
「……はい」
「ただし、しばらくは力の自覚を促すため、
悠馬と共に、基礎から学んでもらう」
蓮花は、俺の手をぎゅっと握った。
「一緒なら、頑張れる」
「ああ。一緒だ」
その様子を見て、誰かが小さく呟いた。
「……やはり、対なのか」
◆
その日の夜。
蓮花は、珍しく眠る前に口を開いた。
「ねえ、ユーちゃん」
「どうした?」
「私ね……
誰かを傷つける力なら、いらない」
「うん」
「でも……
守れる力なら、欲しい」
俺は、彼女の額にそっと手を当てた。
「それなら、十分すぎるほど持ってるよ」
「……ほんと?」
「ああ。
少なくとも、俺はもう守られてる」
蓮花は、少し考えてから、微笑んだ。
「じゃあ、いいや」
その言葉に、俺はなぜか、胸の奥が少しだけ冷えた。
――この力は、“守る”だけで済むのだろうか。
屋敷の外では、風が鳴っていた。
それは、嵐の前触れのようにも、あるいは、運命が動き出す音のようにも聞こえた。
大人たちは、確信していた。
この婚約は、政略ではない。
偶然でもない。
何か大きな流れが、すでに始まっている。
そして、その中心には――
まだ幼い、二人の子どもがいた。
静かに、確実に。
世界は、次の段階へ進もうとしていた。
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