表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人生の一コマ  作者: kuroi
7/15

姉と弟

弟の視点


姉さんの背中には、いつも淡い光が揺れていた。

それは台所の蛍光灯にも、夕暮れの影にも、雨の日の窓にも、さりげなく寄り添っていた。

十一歳という年齢差が、その光の輪郭を絶妙に曖昧にしていた。


僕が十七のとき、姉さんは二十八。

大人と子どもの境界線を僕がようやく見つけかけた頃、彼女はもうその線のずっと先を歩いていた。

だけど、時々ふっと振り返り、僕を確かめるように微笑んだ。


その笑顔が、どうしてあんなに胸を締めつけるのか、僕は説明できなかった。


ある夏の夕暮れ、姉さんが僕の部屋に入ってきて、窓の鍵を閉めた。

「今日は湿気が多いわね」

と彼女は言った。

それはただの言葉のはずなのに、僕の世界の中で太い柱のように響いた。


そのとき、僕はふと、彼女の手首に淡い傷のような日焼け跡を見つけた。

それを見ただけで、胸の奥の何かが深く沈んだ。


触れられないものほど、近く感じることがある。

それがその夕方、初めてわかった。



---


姉の視点


弟が十五を過ぎたころ、私は彼を“子どもとして扱うことが難しくなった”。

かといって“大人”として扱うには、まだ危うさが多すぎた。

その中間にある揺らぎが、私の心を予想外の方向へ動かすことがあった。


私はそれを、決して認めてはいけない種類の感情だと理解していた。

だから、胸の奥にある微細な揺れを、日常の雑音で上書きするように暮らしていた。

料理の味見、洗濯物の匂い、コーヒーの湯気。

そういう静かな作業が、私を現実へ引き戻してくれていた。


弟が私を見るまなざしには、ときどき危うい光が宿っていた。

それは若さゆえの無防備な感情かもしれないし、

単なる憧れの一形態かもしれない。

けれど、どちらにせよ “越えてはいけない線” がそこにあることは、私が一番よく知っていた。


夏のある日、彼の部屋の窓を閉めながら、私は気づいてしまった。

彼の視線が、以前よりも確かに私を捉えていることに。

まるで私という存在を丁寧に読み取ろうとしているように。


私の胸の奥で何かが微かに震えた。

その震えがとても危険で、とても優しかった。



---


弟の視点


家を出ると決めた日の朝、姉さんは静かにコーヒーを淹れていた。

湯気が立ちのぼるのを見ているだけで、喉の奥が痛んだ。


「決めたのね」

姉さんはそう言った。

言葉の意味は簡単なのに、その重さはとても軽くはなかった。


僕は頷くしかなかった。

ここに留まれば、越えてはいけないものが、いつか形を持ってしまう気がしたからだ。


玄関に向かうと、背中に視線を感じた。

その視線が、僕の最後の甘さをひとつ残らず剥がしていくようだった。

振り返らなかった。

振り返れば、きっと何かが壊れてしまうと思った。



---


姉の視点


弟が玄関から出ていく音を聞いたあと、私は食器棚にもたれて深呼吸した。

彼が出ていく背中を止めなかったのは、私が正しい大人でありたかったからだ。

それでも、胸の奥で何かがそっと折れた。


あの子はこれから自分の世界を見つけていく。

私の知らない人を愛し、私の知らない場所で笑う。

それが正しいことだ。

正しくて、痛いことだ。


私は窓を開け、夏の風を吸い込んだ。

風の匂いの中に、彼の成長と、失われた何かの余韻があった。


「行ってらっしゃい」

声には出さなかった。

出せば、涙と混ざってしまうと思った。



---


エピローグ:ふたりの視点が重なるところ


互いに越えられなかった線は、

ふたりの間に痛みを残したけれど、

同時に

“壊さなかったことの美しさ”

という静かな価値も残した。


恋ではない。

愛でもない。

それでも確かに胸の奥に残り続け、

どこかでふたりの人生の形を少しだけ変えたもの。


世界には、言葉にはできない関係がある。

そしてその関係こそ、

最も長く胸に残るのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ