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四十になった朝、目を覚ますと、部屋の空気がどこか遠い国の冬みたいに冷え込んでいた。
特別な理由はなかった。ただ、年齢という数字が静かに肩に置かれた手のように重く感じられた。
仕事は続けている。たぶん、悪くない線で。
だけど「悪くない」という言葉ほど曖昧で頼りないものはない。
成功でも失敗でもない場所に、僕は十年以上も座り続けている。
椅子の脚は少しきしみ始めているのに、立ち上がるきっかけが見つからない。
会社へ向かう電車の窓に映る自分の顔は、若い頃よりよく喋らなくなった。
喋る必要がなくなったのか、喋るべき言葉を失ったのか、自分でもよくわからない。
ただ、静かだ。奇妙なほどに。
四十という歳は、人生の真ん中あたりでふいに立ち止まってしまった旅人みたいだ。
地図を開いても、目的地の文字がどれも色あせている。
かつては欲しかった景色も、いつのまにか「本当に?」という疑問符がつくようになった。
欲望の温度は、気づかぬうちに冷めたり、形を変えたりする。
昼休み、会社の屋上で缶コーヒーを飲む。
薄曇りの空は、まるで答えを持たずにただそこに浮かんでいるようだった。
雲の切れ目から差す光は、どこか頼りない。
それでも、消えてはいない。
そんな感じだった。
友人たちは家庭を持ったり、別れたり、転職したり、海外に行ったりしている。
みんな忙しそうに未来へ進んでいく。
僕だけが、薄い影を引きずるみたいに、同じ場所をゆっくり旋回している。
「孤高」という言葉がある。
かっこいい響きだけど、実際のところは案外地味だ。
人に頼らず、誰にも期待されず、静かに日々を重ねる。
ささやかな誇りと、紛れもない孤独が、同じコートの左右のポケットみたいにぶら下がっている。
夜、部屋の灯りを落とすと、窓の向こうに街の明かりがぽつぽつ浮かぶ。
その光は遠くて、少し滲んでいて、どこを目指しているのか誰にも言わない。
それが、不思議と自分とよく似ていた。
この先どうなるのかはわからない。
おそらく劇的なことは起きないだろう。
革命的なチャンスも、運命の出会いも、派手な成功も、僕の生活とはあまり相性が良くない。
でも、こういう静かな人生にも、ひそやかな光はある。
人知れず灯り続ける電球みたいな、消えそうで消えない光だ。
四十を越えて、先が見えないというのは決して悲劇じゃない。
むしろ、まだ書かれていない空白のページがあるということだ。
その真ん中にぽつんと立つ心細さは、時に風景を鋭く照らす。
孤高の旅は静かだけれど、静かだからこそ、わずかな音にも気づける。
これから先、小さな気配を拾いながら歩くことになるのだろう。
向かう先が見えないなら、せめて足音くらいは確かでありたい。
そしてまた、明日も同じように朝が来る。
たいした変化もなく、でも確かに。
それが続くかぎり、まだ旅は終わっていない。




