交差点の向こう側
その交差点は、特別な名前を持っていなかった。
四方向から同じような人波が流れ込み、同じように散っていく。
信号は正確で、誰にも肩入れしない。
僕は仕事帰りに、その交差点をいつも通り渡ろうとしていた。
青になり、人の流れに身を任せた。
向かいから来る人たちの顔は、風景の一部みたいに流れていく。
誰もが自分の行き先だけを見ている。
その中に、彼女がいた。
すれ違った瞬間、何も起きなかった。
心臓も速くならなかったし、時間も止まらなかった。
ただ、少しだけ空気の密度が変わった気がした。
それだけだ。
交差点を渡り切り、歩道に足を下ろしたとき、
僕の中で何かが静かに噛み合った。
――今の、彼女だった。
昔、転校で離れ離れになった恋人。
名前を呼ぶ前に、時間が彼女を連れていってしまった人。
最後に見たのは、まだ制服の似合う年齢だった。
その彼女が、さっき確かに、
見知らぬ大人の顔をして、僕の横を通り過ぎた。
振り返らなかった。
振り返れば、確認してしまう。
確認すれば、何かを始めなければならない。
でも僕たちは、もう始める場所を持っていなかった。
信号は再び赤に変わり、
向こう側に渡った彼女は、人波の中に溶けていった。
彼女もまた、気づかなかったかもしれない。
あるいは、気づいて、気づかなかったふりをしたのかもしれない。
それはもう、確かめようのないことだった。
僕はポケットに手を入れ、
昔、彼女がくれた言葉を思い出そうとした。
でも、言葉は残っていなかった。
残っていたのは、
夏の校舎の匂いと、
夕方の風の感触と、
未完成のまま終わった時間だけだった。
孤高というのは、
誰とも交わらない場所に立つことじゃない。
こうして、かつて確かに交わったはずの誰かと、
同じ交差点を、
別々の人生として通り過ぎてしまうことなのだ。
僕は歩き出した。
彼女とは反対の方向へ。
世界は何事もなかったように進み、
信号はまた青になる。
あの交差点で、
僕たちは確かに再会した。
ただし、再会したことに気づいたのは、僕だけだった。
そしてそれで、たぶん十分だった。




