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リュウと海底都市の物語  作者: 松本遊心


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2/7

—2

 アカデミーまでは徒歩十分。 床下を循環する水流の音が、遠い鼓動のように響いている。

「ねぇ、リュウ。今日の講義は“浮上理論”だね。予習はできてるの?」ミーナが彼を取り巻くようにちょんちょんと跳ね回りながらいった。

「浮上理論?またか。予習なんかしてるやつ誰もいないよ。実際に誰も浮上したことのない理論を、よく毎週やるな」

「希望という名のカリキュラムー」

 通路の突き当たりに、アカデミーの訓練ドームが見えた。それの外壁越しに、ぼんやりと青い海の光が揺らめいている。

「ミーナ、あれ……」リュウは足を止めて光を指差した。

「うん、ちょっと待って、いま確認中。……OK!水流センサー異常じゃなく、実際の光の反射だね」

「光源は?」

「不明」

 人工光に照らされた長い通路を、出勤や通学の人々が歩いていく。だが誰もその微かな光の揺らめきには気づかなかったようだ。いや、そもそも関心がないだけかもしれない。

 最近、彼は地上がどういうものなのか、その生活はどうだったのかに非常に関心を寄せていた。だが、それを調べようにも、ドーム内に生きる彼らがこの海底都市ネレイド九区に住みはじめる以前のデータはどこを探しても見つからなかった。

 この四百年余りで、地上は現在どうなっているのか。果たして人間は、いやその前に生命体はいるのだろうか。一区に官僚が住んでいるはずだが、地上からの派遣とは何を指しているのだろうか。その人物もまたネレイドで生まれていて、役職上、何かを知っているはずだ。だが、官僚とリュウを結ぶ接点はなにもない。仮にあったとしても極秘機密情報を十六歳の少年に話して聞かせることはないだろう。いくら考えても答えは出ずに彼の頭の中でループするだけだった。

 リュウは一息ついて頭を切り替えると、駆け足になった。

「急ごう。もうすぐ講義がはじまる」

「了解。浮上理論の単位は残り二だったね」ミーナが浮遊して彼の横に並ぶ。

「単位の話はいいよ」

 いうと、彼はさらに速度を上げて走った。


 アカデミー講義棟に着くと、ミーナを校舎のネットワークノード内に待機させ、格納した。棟内は通信制限がかかっている。

ーーアカデミー第六講義棟。

 教室は半円形に組まれた階段席で、中央にはホログラム投影装置が浮かんでいる。空中に映し出されたのは、巨大な潜航艇の断面図だった。

 講師のエルド教授が、のんびりとした声で説明を続けている。彼は百十八歳と高齢だが、まだ矍鑠(かくしゃく)としていて元気に現役をつづけている。

「――理論上、深度一万を超える環境では、水分子の密度は通常の一.三倍に達する。ゆえに音は遅く、しかし途切れない。これが“音の海”理論の基礎だ。我々の都市ネレイドが、この深度で安定して存在できるのは、この音圧層が外殻を保護しているためだ。みんな、理解してるな」

 彼はすでに裸眼での視力は限りなくゼロに等しかったが、かけた多焦点レンズにより、生徒の顔は認識できているようだった。教授の話は、概ねすでに何度も聞いた内容だったが、"音が遅く、途切れない"という表現が妙にリュウの脳内に残った。

 隣の席で、ケインが欠伸を噛み殺している。そして逆隣のリーサが端末をいじりながら小声で呟いた。

「ねぇ、今日の外壁観測、行く?」

「うーん……。そうだな」リュウはホログラムを観たまま同様にささやく。

「昨日、光が見えたって話。訓練班の子がいってた」

 リュウはその言葉に、思わず顔をリーサの方へ向けた。

「どうせお前、幽霊魚の噂信じてるんだろ?」ケインが話に入ってきた。

「信じてないよ。ただ……なんか気になるんだよね」

 リュウの脳裏に、朝のあの“光”が蘇る。

「……おい、リュウ?」ケインが肘で突いた。「どうしたんだ?」

「ん、ああ……。なんでもない、ちょっと考えごとしてた」

 エルド教授の話は続いている。耳が遠いので、多少のひそひそ話もバレることはない。階段席の最上段に三人は座っていたが、上から見ていると、誰一人まともに教授の話を聞いていなかった。みんな、ただ単位が欲しいだけだ。

「浮上とは、技術的挑戦ではなく倫理的問題である――。人間は深海に適応した結果、上を失ったのだ。君たちの使命は、生きて子孫を残し、このネレイド九区をよりよく発展させるということだ」

 

 講義が終わり、ミーナを格納しているノードへ行こうとリュウは部屋を出た。

「リュウ!どこ行くんだよ」

 後ろからケインの声が響く。リーサも小走りで追いついてくる。

「この後、外壁行くでしょ? ちょうど観測ドームの照明が落ちる時間だし」

「……あぁ。少しだけな。先にノードに格納してるミーナを拾いに行くよ」後ろを振り返っていった。

「いっつも連れて歩いてるな」

 ケインとリーサが彼に並んで歩く。


 ミーナを連れて、三人はゆるやかな螺旋通路を降りていった。彼女はリュウ以外の人がいるときはおとなしくしている。まるで借りてきた子猫のように。

 アカデミーから観測ドームへ続く通路は透明な圧力ガラスで覆われ、外には海が広がっている。青でも黒でもない、深海特有の色。無数の微生物が光を放ち、まるで星空のように瞬いていた。

「これ、何回見ても飽きないね」

 リーサが手のひらをガラスに当てる。彼女の指先の向こうで、小さな魚影がすうっと消えた。ケインが首を鳴らした。「でもよ、俺らがこうして見てる光って、だいたい死んだやつらの発光だろ?」

「縁起でもないこといわないでよ」

「いやいや、事実だって。深海で光るってのは、生き延びるためか、喰われる寸前かのどっちかだろ」

 観測ドームに着くと、照明は落とされ、外の暗闇だけが残っていた。壁際に設置された古いモニターのひとつが、微かに点滅している。

 リーサがそれに気づいて首をかしげた。「これ、使われてないやつだよね?」

「保安局の監視ルートとは別系統みたいだな」リュウは身をかがめて、配線に触れる。薄い静電気のような感覚が指先を走った。

「データ波が、外壁の端末から漏れているようです。観測区域の、さらに外から――」ミーナが静かにいった。

「外、って……?」

 ケインが怪訝な顔をして浮遊するミーナを見つめた。

「外壁の外に人なんていないでしょ。どういうこと、ミーナ」リーサも同様の疑問を口にする。

 リュウがミーナに声をかける前に彼女は外の闇を見ながらいった。

「なんらかの音が近づいています。その正体は現在不明」 

 三人は交互に顔を見合わせた。



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