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未来がある意味

作者: くるたる

朝起きると、カーテンの隙間の光に当たる。何度も日を繰り返しても同じだ。将来の夢がない。現在高校三年生である小林未来(こばやしさき)はそう感じた。


   ◇


面白い話でいつも人を盛り上げる中川立(なかがわりつ)は教師になるとか、絵が好きな吉村咲良(よしむらさくら)はイラストレーターになるとか、みんなそれぞれの夢を持ち、未来があるのだ。それなのに、夢の分野の中ではまるで飛べない雛鳥のように取り残されてしまっている。──まあ、嫌っているから当然か。私の名前の中に未来という字があるのにも関わらず矛盾している。

まだ冬の肌寒さが少しだけ残っている三月の初旬の春休み。皆受験が終わり、それぞれ大学に向けての準備が始まっている。私はとりあえず偏差値が六十五程度の高い大学に合格したのでそこに行こうと思っている。世の中の『良い大学』に行くことで、夢がなくとも取り残されることはないだろうと思っている次第だ。私はベッドの毛布を握りしめ、力を緩めた時に元の形に戻る毛布を眺めていた。


朝食を食べるために、部屋からリビングに移動した。木目の味が出ている時計を見ると8時に針を刺している。

するとちょうど母がとても眠そうに目を擦りながら両親の部屋から出てきた。一人っ子だから一人部屋で気楽だ。リビングのカーテンから目を瞑るほど眩しい太陽光が差し込む。


「おはよう。未来(さき)


「おはよう、母さん」


「さて、パンを焼きましょうか。って、あの人はいつも食器を片付けずに……」


溜息と同時に母が呟いた。私は食器を片付けている母の姿を背中に添えて思い切りカーテンを開けた。


   ◇


父は昔から食器を片付けず、いつも私か母が洗面所に持っていく。夕食前に母がなぜ片付けないのかを問うと「忘れていた!俺は本当に忘れん坊だな!」と答える。忘れん坊の自覚はあるらしいが、どうしても治らない。会社の持ち物や予定の把握は忘れにくいのに、これだけは忘れてしまうのが父の課題だ。

そして稀だが食器が片付けられていた時は、夜に父が「珍しいから褒めてくれ!」と誇らしげに言う。母が「珍しいと自覚してるならメモしなさいよ……」と苦笑いをする。私は呆れて言葉も出ない。でも母は「まあよく片付けたわね」と半分投げやり気味で父を褒める。ここまでが家族間の一日の始まりであり、終わりである。


   ◇


「先にパン焼いておくよ。一枚?」


「そうね。お願い」


指で『一』を作って聞くと、母が頷いた。私は自分の分を含めて二枚をトースターに入れ、タイマーをかけた。キッチンに居る間、冷蔵庫からイチゴジャムとスプーンを取り出す。

トースターがパンを焼き終わり、香ばしい匂いを放った。そして焼きあがったパンをトースターから出し、お皿に分けて母に渡して椅子に座った。


「ありがとね。よかった、今日はイチゴジャムの気分なの。未来(さき)も?」


「うん。昨日はわさびご飯で辛いものだったから、甘いの食べたいと思って」


眠気が交じった声で母がイチゴジャムの蓋を開けながらお礼を言った。やっぱり、私と同じイチゴジャムらしい。

母と私は似た者同士で、大人しい言動に好きなものはお菓子、その時に変わる気分もほとんどの場合一緒である。これがいわゆる遺伝というものだろう。しかし性格は少し違って、母は優しく穏やかで、私は悪い意味で真面目、そして面倒くさい性格だ。だから気遣いができなかったり、正論を振りかざしてしまうひたすら不器用な人になってしまったのである。


「少しだけ気になることがあるんだけど、いい?」


「うん。なにかしら」


さっそく私は不器用をちらつかせて話題の導入を置いた。母がお茶を飲んでいる間に、私もイチゴジャムが乗ったパンをかじった。イチゴジャムの表面が、まるでルビーのように朝日に反射して輝いている。


「私の名前の話なんだけど、なんで未来(さき)って名前を付けたの?なんでというか……名前の意味は?」


パンの後味が現れると同時に私が話し始めた。母は驚きながらも瞬く間に表情を治した。


「名前の意味ね」


私が口を閉じてうなづいた。意味というか、将来が決まらないのになぜ未来という名前を付けたのか、というただの他責だ。しかし、伝えたとしてもこの未来の暗闇は照らされないだろう。なぜなら答えはもうわかっているからだ。


「名前の意味は未来に進めるように、という意味なの」


──ああ、やっぱりか。

この予想は当たってほしくなかった。母の『未来に進めるように』が一瞬で何百回も再生される。この質問のせいで、じわじわと暗闇が広がっていくのがわかる。予想できていたのなら、言わなければよかったのに。


「でも、将来の道が決まっていてよかった。大学も合格したし、あとは将来の夢に──」


ダン──とテーブルから音がした。目がぼやけた視界を調節し、開けた視界になる。いつの間にか目線も上がっており、母が驚いた顔をしている。下を向くと私が両手で手をついている。手首が熱くて痛い。怒り混じりの拒否反応。どうやら、やってしまったらしい。


「えっ、どうしたの……?(あかり)、何か変なこと言ったみたいね」


母が俯き目を逸らした。

(あかり)とは、母の名前だ。家族間など、プライベートの間では自分の名前が一人称である。ちょっと子供みたいで母に似合わないが、もう十八年近く聞いているから慣れた。


「本当に、ごめんなさい」


「いや、大丈夫」


『謝らなくてもいいよ。ごめん』と言おうとしたがこれ以上は言葉を発したくなかった。夢という単語を聞きたくなかったから、と言い出しそうで怖かったから。


「ちょっと勉強してくる」


「勉強?もう受験は終わったじゃない」


母は手を伸ばし何か言いたげだったが、私の体が話を聞くことを許さない。勉強を言い分に、自分の部屋へ逃げた。

────やっぱり、感情からあふれ出した行動はろくな方向に行かない。だから、やりたいとかの夢も感情に嫌悪感を抱いて避けていたのだ。しかし、なんて最悪な朝を迎えてしまったのか。気まずくてリビングに戻れない。私は自分がした行動をなすりつけるように壁に背中を当てた。




母の言う通り受験が終わったため、特に勉強するものがなかった。だがリビングに戻ったとしても顔もあまり見たくないし、自分の顔も見せたくない。せめて日が落ちたころじゃないと、まともに顔も合わせられない。

今日の母は仕事がなかったはずなので買い出しは……九時頃だろうか。それまで暇な時間を潰したいと考えた結果夕方から無理やり誘われた卒業パーティーの準備をすることにした。準備をし始めると幼馴染の咲良(さくら)と待ち合わせをしていたことに思い出した。

そろそろ高校三年生が終わろうとしていたため、クラス全員で卒業パーティーをして盛り上がろうという意見が出ていた。私はまったく行きたくなく、実際何人か出ない人がいる。だが幼稚園の頃からの幼馴染である咲良(さくら)が一緒に行きたいとか言い出したからである。そして、断ったらいじけて苔のようにまとわりついてきたため結局行くことになってしまった。まるで子供のわがままだ。

昔から使っている肩掛けバッグに荷物を入れようとした。考えることが面倒くさくなったため机にある文房具やノートなどをすべて鞄に入れたが、これ以上勉強のことを思い出したくなかったため、全て出して財布とポケットティッシュだけ入れた。感情は本当に無駄なことしかしないらしい。




しばらくするとドアをノックする音が聞こえた。私はすかさず部屋のドアに背中を付けて耳を澄ませた。


(あかり)、お買い物に行ってくるね」


「いってらっしゃい。じゃあ、私も卒業パーティーに行ってくるから」


やはりいつも通り九時に買い物に行くらしい。しかし卒業パーティーの行ってくるとは言ったものの、待ち合わせ時間は四時なので早いどころの話ではない。しかし買い物に帰った後おそらく出かけないのでここしかない。


「昨日言っていたあれね。いってらっしゃい。気を付けてね」


詳しく教えてなくて助かった。母が外に出た音を聞くと少しだけ緊張をほぐした。その時も、後ろにある部屋のドアが私を支えた。

肩掛けバッグに荷物が入っていることを確認すると、肩にぶら下げた。中身はほとんどないので軽い。部屋に出ると食べ損ねたパンを無理やり口に入れた。母が忘れ物を取りに帰ってくるかもしれないと最悪の状況を考え、すぐ家を飛び出し膝を上げて走った。さっきまで落ち着いていた呼吸が荒くなる。テーブルを叩いた反動で手首がまだ熱かったが、それをすぐに体をすり抜ける冬の風が冷やした。

駅から近いので二分ほどですぐ咲良(さくら)との待ち合わせ場所である駅前の歩道橋に着いたが、当然咲良(さくら)はいない。走った反動で息を切らし上を見上げ、視界は青一色の快晴で染まった。

人通りの少ないところに移動するとベンチに座った。背中が冷たく鳥肌が立つ。背もたれが体温で段々温まるのがわかる。体温を冷やして朝に残った眠気が睡眠を誘う。卒業パーティーに行きたくないからこのまま一日、二日と眠りたいものだ。


   ◇


「どうしたの。未来(さき)


靄がかかった視界の先にはロングヘアの女性が立っていた。毎日家で聞いている声に優しい目元。この人は母だ。体は動かせず前を見ることしかできない。しかし、見慣れた家具や壁はここがリビングであることを教えてくれた。


「見て……この国語の評価。学校からもらったんだけど、低いんだって。私の将来は真っ暗なんだね……」


喉の奥から、今にも消えそうな細い声がこぼれた。涙が靄と重なっていて視界がほとんど見えない。しかも感情で言ってしまったので背筋が凍る。しかし今の私にしては高い声だ。視線の高さも低い。


「大丈夫よ。だってまだ小学生になったばかりでしょう?」


母の言葉で思い出した。これは回想で、しかも小学生まで遡っているらしい。たしかに、小学校二年生ほどで言われたような気がするが、全くもって覚えていない。記憶の底ではは覚えていたということだろう。

ただ一つ、この頃から分かってしまったことは評価は人を壊すということだ。小学生であった私は言語化がまだ出来ずともそれを感覚的に感じ取っていたのだ。評価はまるで水のようだ。確かに明るい側面もあり、なくてはならない存在だが嘘偽りもなく透き通っていて、冷たい。そして多すぎると息ができなくなる。負の連鎖に溺れてしまうのだ。


「じゃあお母さんともう一度見直してみよう?次はきっといい評価が取れるから」


「うん」


涙で溺れていた目の視界が少し良くなった。そしてそこには一緒に国語を見直している母の笑顔があった。そうか。ここは感情の言動でも上手くいったのか。


「さっちゃん」


運がよかったと安心した間にいきなり母が謎にあだ名を呼び出した。いや、この声は母ではない。


   ◇


「さっちゃーん。おーい。あれ?起きた?」


単調で明るい声で夢から覚ましたのは幼稚園から幼馴染の咲良(さくら)だ。本当はあだ名はあまり好きではないが、ずっと言ってくるので母の一人称のように慣れた。そもそもクラスの人たち全員にあだ名をつけているらしい。そのため止めることもしなかった。今考えてみると外では咲良(さくら)に、家では母に振り回されてばかりなのだろう。


「ん……あ、咲良(さくら)


「手の届く範囲に見つかってよかった!待ち合わせ場所に着いたけど見当たらなくて。人通りの少ないベンチで待とうとしたの!そしたら偶然!」


どうやら、いつの間にか待ち合わせの時間になったらしい。寝たのが九時頃だから……今は四時頃か。五時間程寝ていたらしい。警察とかに通報されなくてよかった。


「さっそく行こ!卒業パーティー!」


「……はいはい」


私はやる気のない声で挨拶を返す。咲良(さくら)は期待を膨らませている背中を見せて歩きだして、私はその背中を追った。

三駅先のパーティー会場へ向かう電車に乗るため駅の改札に向かうと、さっきのベンチでの景色とは一転して人の波が押し寄せていた。基本、この駅は私を含めて通勤通学に使われることが多いので人通りが多い。

ホームに立つと広告の看板が目に入る。見慣れた風景だが、卒業パーティーという言葉を頭に巡らせているため、まるで初めてきたような感覚で落ち着かなかった。右を見ると隣で咲良(さくら)が微笑みながら電車を待っていた。光で反射した横顔の目が輝かしい。その時、電車のアナウンスが流れ黄色いラインの電車が来た。電車から吹き出した風が少しだけ肌寒い。

ドアが開き、乗客が降りるのを確認するとすぐに乗車した。車内は座席が埋まっている程の混み具合なので座ることはできなかった。


「楽しみだね!卒業パーティー!」


天真爛漫の笑顔で放たれた卒業パーティーという単語で眠気が完全に覚める。そういえば今、会場に向かっている最中だ。


「どうしたの?楽しみじゃない?」


一回目の無邪気な楽しみ具合とは別に、抑揚が取り除かれた声で私に質問した。私がこれだけ首を下げているからテンションが下がっても当然か。


「まあ、断ってたもんね。強要してごめん」


咲良(さくら)が完全に明るい雰囲気が消えた状態で謝った。俯いた顔が電車の走行音と合わさって虚しく感じる。


「大丈夫だよ。ただ卒業パーティーのために断った用事のことを思い出して。でも、そこまで重要ではないから安心して。」


私が顔と口角を上げて話した。しかし話した内容は真っ赤な嘘である。窓を見ると今日の空は透き通った青いなのに、薄汚れた紫になってしまいそうだ。本当はパーティーとか嫌いで、何でもかんでも行きたくないのに。

目的の駅に着いた。あまり降りたことのない駅なので見慣れない景色が広がっている。比較的最近に舗装されたのか道路の白線がまだ汚れていない。辺りを見回してもあまり人がいない。せいぜい視界には一人から二人程度である。これだけいないのならば店が混んでなさそうで安心した。

そうして、予約している会場である『イエロービーンズ』まで来た。移動の間の記憶が全くもってない。


「始まる時間の十分前!ちょうどいいね!」


咲良(さくら)がそう言うとお店のドアを開けた。中は至って普通のファミレス店の雰囲気だ。ただ、逆に普通が落ち着くのでそれが良い。


「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」


「はい!中川(なかがわ)という名前で予約しています!」


律儀そうな店員に咲良(さくら)が予約の申告をした。

この卒業パーティーの主催は中川(なかがわ)で、提案者でもある。いつもクラス全員の中心になって雑談や企画を進めている。ただ企画に関しては少し抜けているところがあったりするが、全員からまあまあな好感があるので許されている。


「かしこまりました。ではご案内させていただきます」


店員がそういうとクラスメイトのいるところまで案内した。


「こちらの奥三つの扉です。では、ごゆっくりどうぞ」


「ありがとうございます!」


咲良(さくら)がお礼を言った後私は個室の扉を開けた。重たく開く扉の隙間から、喧騒が漏れ出した。


「やあ!来てくれてありがとう!二人とも!」


「来たよー!大分そろったんじゃない?」


咲良(さくら)が陽気に手を振るとをすると、中川(なかがわ)も手を振り返しそれに続いて周りの数人も手を振った。よく見ると、大抵のクラスメイトが集まっている。二十人程だろうか。


「さて、メンバーが揃う前にドリンク飲もう!咲良(さくら)たちの分も入れてきたぞ!レモンサイダーだ!全員に配っていてな!」


「た、炭酸……」


咲良(さくら)が苦笑いした。おそらく私と同じく炭酸嫌いだろう。中川(なかがわ)はその笑いを喜んでいると捉えたのかとても嬉しそうだった。少し断りづらい。

中川(なかがわ)とは不仲という訳ではなく、悪くはない程度だ。ただ、地声がとてもうるさいので不要不急の用では近寄らない。そもそも、私がまともに話しているのは咲良(さくら)ぐらいだろう。幼馴染ということもあるが、ほとんどは咲良(さくら)が勝手に寄ってくるからだ。だから、互いが互いのことを知っている。


「りっつん、ちょっと炭酸は苦手だから取り替えてほしいな。水で大丈夫だから!」


「わ、わかった……ごめんな。んで未来(さき)もか?」


「うん。取り替えて」


咲良(さくら)が丁寧に断ったので一緒に取り替えることができた。助かった。

中川(なかがわ)は水を取ってくると、私たちに渡した。私と咲良(さくら)は手に取って、後ろの席に座ると肩掛けバッグを横に置いた。


未来(さき)も炭酸嫌いだったんだ」


「うん」


続々とクラスメイトが入ってくる中で私は頷いた。ただ不味いと思った幼少期以来、飲んだことがないから今好きになれるかはよくわからない。むしろまた嫌いになりそうだ。


「さて、来るって言ってた人たち全員そろったかな!じゃあ、卒業パーティー!始め!乾杯!」


咲良(さくら)は透明な水が入ったグラスを掲げた。それに続いて私も掲げた。天井の照明が眩しい。

クラスメイトはメニュー表を見て、皆それぞれ頼みたいものを頼んだ。昼食すら食べていないがタブレット端末で私は唐揚げだけを頼んだ。


「うーん……どうしよう……一旦、お腹空かせたいから今はいいかな」


私はしゃいでいるクラスメイトを背景に水を一杯飲むと、一口サイズの唐揚げ三つが待つ間もなく提供された。おそらく事前に準備をしていたのだろう。テーブルに出されると私はすぐに唐揚げを口に入れた。味は特別でもなんでもないただの唐揚げである。しかも場所が場所だから美味しいとは感じなかった。


「では!カラオケ始めるよー!」


中川(なかがわ)が威勢の良い大声を出した時、私はすぐに二つの唐揚げを口に入れ肩掛けバッグを持って席を立った。


「ちょっと電話だから外に行ってくる」


「えっ?まぁ……行ってらっしゃい」


咲良(さくら)はまだ何か言いたげだったが、早くこの場を出たいので聞く耳を持たずに外へ出た。大体、他人のカラオケなんて聞きたくない。こうなるから卒業パーティーは。

店から外に出ると、ちょうど月が上っているのが見えた。逆側の夕焼けが眩しい。カラオケが終わるまで外に居たいが、いつ終わるのだろう。


「いやー空、飛びたいなー」


子供二人が隣で話をしている。五歳くらいだろうか。いや、そんなことはどうだっていい。今は時間を潰す方法だけを考えよう。


「空?飛行機に乗りたいのか?」


そもそも公共の場でカラオケなんてわけがわからない。確かに個室で、声量を下げていたからよいだろうという考えもあるだろう。しかしそれにしたってだ。


「違う違う!そんなんじゃなくて……」


少し混乱しているみたいだ。私は落ち着かせるためにとりあえずそこら辺を散歩しようとして歩き出した。


「俺の夢!ヒーローになって空を飛ぶんだ!」


背景だった子供の声が最前面に出た。鮮明に出た夢の言葉で歩き出した私の足が止まってしまった。私は振り払おうとした。しかし頭の中にある『夢』の文字を消そうとしても余計に足が動かない。膝の関節がくっついているように動かない。私を足を止めるという役目を終えたように子供の声がまた遠くなった。

咲良(さくら)の声が遠い。


咲良(さくら)の……声?」


「さっちゃーん!おーい!起きてる?よかった……三回ぐらい呼びかけたのに立ったまま反応せずにびっくりしちゃった。今日何回名前読んだんだろう」


頭の中にある「夢」の文字が咲良(さくら)の声でかき消される。自然と膝の関節も動く。


咲良(さくら)。なんでここに……」


「『咲良(さくら)。なんでここに……!?』じゃなくて、嘘ついたでしょ!」


「嘘……?」


「そう!本当はカラオケが聞きたくなかったんでしょ!」


確かにそうだ。当然そんな話をした記憶もない。ということは、また見抜かれたのか。昔から自分に都合のよい嘘を言って大抵咲良(さくら)に見抜かれる。ただ、今日だけは何か違う。そう思っていたのに。


「当たり前でしょ!幼馴染なんだから!今日の四時すぎに卒業パーティーのために断った用事って言ってたのも嘘でしょ。元々そんなものはない……っていうか、嘘下手すぎ!」


咲良(さくら)は私に自慢げな顔をして指摘を入れた。『ぜんぶ知っています』みたいな誇らしげな話しぶりに私は眉をひそめた。


「とりあえず、あっちのベンチで話そ!ほら、子供たちが座ってたとこ開いたから!」


私は咲良(さくら)に言われるがまま子供たちが座っていたところに座った。正面には隠れつつある夕日があった。


「さっちゃんはなんで嘘つくのさ!ていうか、いつもそうだったよね?」


普段の話し方と変わらない咲良(さくら)の質問に私は目を逸らして足元を見た。会話の最中にずいぶん使い古したスニーカーの新しい傷を見つけて買い換えたいと感じた。

確かに、昔からの幼馴染に嘘をつくことは我ながら最低だと思う。しかし、感情が漏れないようにするための防衛であるから仕方がないのだ。感情が起こす行動はろくなことにならないなんていう意見はバレないように死守しなければいけないのだ。多分。


「実は……元々混乱しやすい」


「はい嘘」


想像よりも早い見抜きに驚き、つい話を止めてしまった。それに呆れたのか私のことを疑いの睨みを始めた。


「じゃあ、生まれつき言いやすい」


「これもでしょ」


頭の中では完璧だった回答も見抜かれた。さっきより睨み具合が強くなった。推測かつ虱潰しに言うつもりなのだろうか。もしそうだとしたら、本当のことを言っても嘘と言われて流されるだろう。であればこの次は真実を言った方がよい。


「嘘を言ってたものは感情が漏れないようにするための防衛。『カラオケを聞きたくない』とかそういうのは感情そのものだ。感情が起こす行動はろくなことにならないんだから」


「これは本当!いや、でも嘘かもしれないし……」


一瞬本当に選別していると思ったが、やっぱり虱潰しみたいだ。私は安心で一つ息を吐いた。


「じゃあ、全部本当で!そっちの方が疑わずに済むから!」


咲良(さくら)は手を合わせて笑顔で言った。予想もしない答えに、私は吐いた息を戻すかのように吸った。


「本当だとしたら、全部治さないと今後大変だろうし協力する!じゃあ、まずは混乱しやすいマインドはどう解決しよう――」


「わかったよ……感情が漏れないための防衛以外嘘だから……」


悪気のない言葉に鬱陶しさを覚えつつ、嘘を諦めた。咲良(さくら)は納得行った顔を見せて頷いた。


「なるほど……」


「これでいい?」


「うん!いいわけない!まだ感情嫌ってるでしょ!」


話を終わらせようとする私を真っすぐ指さした。気のせいか変わらなかった声も少し大きくなった気がする。


「納得いかない顔だね。じゃあ、試しにちょっと思ったこと言ってみて。さっちゃんは、多分勘違いしてるだけだから些細なきっかけでも変わると思う!」


「え……言うの?それに変わろうなんて言ってないけど……」


「私が変えるの!わかった!一回言ってみて、もし何にも変わらなかったら言わなくていい!これでいい?」


私は嫌々混じりに小さく頷いた。言おうとすると、声が何かにせき止められて出せず、一回目は言えなかった。二回目は塞がれていた喉が少し開いたが、まるで死に際のように弱弱しい声だった。


「なんで……そこまでして私のことを考えるの……?」


三回目の声はようやく通り、その反動のせいか震えを帯びた声がかろうじて響いた。この質問に咲良(さくら)は満面の笑みを見せて答えた。


「当然でしょ!友達だし、あと特別待遇!」


「どういうこと?」


続けて質問すると、待ってましたと言わんばかりにすぐ言い始めた。しかしこの声は今までと違い、真剣に、ゆっくりと語るように話した。


「私はこんな性格だから、いろんな人と関わってきたの。明るい人は明るくて、暗い人は暗い。そしてあんまり言えないけど私は暗い人にいつも狂わされてた側面もあった。でも、さっちゃんは見た目は暗そうだけど……あっ、悪口じゃないよ。心はいつも私の話をぜんぶ受け止めてくれる優しい人だって。そういう人は見た目だけじゃないことを教えてくれたのはさっちゃんだからだよ」


「うん。咲良(さくら)らしい。ありがとう」


心で留めるつもりが、いつの間にか声になっていた。私は思わず口を塞ぐ。隣で咲良(さくら)が微笑み、おそらく赤面しているであろう顔を夕日の方に向けて誤魔化した。

確かに、感情から出た言葉はろくなことにならなかった。でも、本当の気持ちを伝えられることも分かった。


「じゃ、そろそろパーティーに――」


咲良(さくら)が言いかけた時、私のポケットから着信音がなった。スマートフォンの画面を見ると、『母』と表示されていた。


「電話出ていいよ!私は先行って連絡してるって言ってくる!」


咲良(さくら)はパーティー会場であるイエロービーンズに走っていった。

私が電話に出ると、母の優しく穏やかな声がスピーカーを通じて聞こえた。


未来(さき)


「母さん?どうしたの?」


「さっきはごめんなさい。多分、将来の夢に触れちゃったからよね」


「いや、大丈夫。こっちこそいきなりテーブルを叩いたり、ずっと黙ったりしてごめん」


少しの間沈黙が続いた。スピーカーから聞こえるノイズがはっきりと聞こえた。私と一体に母も言葉を考えていることがわかる。


「あの時何も言わなかったのは(あかり)だったら放っておいてほしいかなと思って。(あかり)未来(さき)のことだから」


母の何もしないという行動は恐らく正解だった。身勝手な私には咲良(さくら)との会話と一人の時間がなければしばらく家出もあり得た。


「うん。ありがとう」


咲良(さくら)の時とほとんど変わらない声で感謝を伝えた。ただ違ったのは、トラブルから解放されたという安心を置けた上での発言だったということだろう。


「そうそう。電話をかけたのは謝るためにっていうのもあるけど、あの時あなたの名前の由来を言えなかったから、それを言いたいと思って。」


「うん……教えてほしい」


(あかり)は母の名前で、あなたの名前は未来(さき)でしょ?だからあなたの名前と私の名前を合わせて未来に進めるだけじゃなくて『未来が明るくなるように』という意味があるの。」


私は理解して母に見えることのない頷きをした。今度は体も納得してくれたらしい。


「そんな風に考えてくれてたんだ……ありがとう。母さん」


「いえ、この名前をつけたのは未来(さき)のお父さんなの」


「えっ?」


頭で理解するより先に言葉が口をついて出た。驚いたまま、口元は開いたまま丸く固まっていた。


「実は生まれた時に、目つきとか口元が似てるって言われて……その時に(あかり)のいい所を引き継げるようにという提案だったの」


「でも……そしたら父さんの名前が……」


「うん。(あかり)も提案されたころ、同じことを言ったの。でも、『(はる)って名前繋げても、意味が繋がらないし!それに俺より二人と仲良くなってほしいから!』って言って聞かなかったの」


私は相づちを打つことしかできなかったが、心の底では純粋に嬉しい限りだった。まるで父がそこにいて励ましてくれるようだ。


「父さんらしいね」


「でしょう?」


母との関係を修復できた安心感から同じように父にも仲良くしてみたいと、十分にお礼をしようと思えた瞬間だった。


「じゃあパーティーに戻るけど、私からも一ついい?」


「なあに?」


「夢を抱く感覚ってどんな感じなの?」


朝聞いた質問とは違い回答の予測が不透明だった。ただ何を言われたとしても受け止められる自信があった。


「それは……人それぞれだよ。私の場合はワクワクしたかな」


「ワクワク?」


「うん。小学生のときはパティシエで、中学生の時は看護師で、高校生のときは今の職業であるシステムエンジニアかしら。小中のころは人のためだったけど、高校生からは生活の安定と自分の長所を生かすための職業を選択したの。全部の選択は曖昧だったけど、夢を描いたその瞬間が一番楽しかったわ。結局、この職業は人のためになったから万々歳ってわけ!」


母は現在までの変わってきた夢を説明した。驚いたのは、とんでもなく楽しそうな口ぶりだったことだ。こんなに楽しそうな母はほとんど見たことがない。しかし、一つ気になることがあった。


「でもさ、そしたら本当にやりたいものを見失っちゃうんじゃないの?」


そうだ。計画もなくずっとまっすぐ進んで振り返ってみると、経路が大きく外れるのが見えてしまう。ともなれば夢を抱く気力も失ってしまうのではないか。


「確かに、曖昧だといつの間にか絶望……もあり得るかもね。ただ、それは最初に立てた目標を捨てているからよ。いわゆる『初心』ってやつね。初心は単調な目標で恥ずかしいかもしれないけど、それが骨組みとなって大きな目標を築き上げていくのよ。」


そうか。だからみんな好きとかで夢が始まるのか。要は感情も使い方ってわけだ。


「こういう初心を忘れてはいけないって言葉あったわよね。なんだったかしら……」


「初心忘るべからず?」


「そうだった」


私と母は合わせてふっと笑った。この笑い声は少しでも気を抜いたら聞き逃してしまいそうな小さい声だった気がする。


「じゃあ、まずは初心を作るところからだね」


「うん。(あかり)も全力でサポートする」


「ありがとう」


私と母の『じゃあね』が、まるで似た者同士であることを証明するかのように重なり合い、そのまま電話は切れた。その時の日暮れは、私が初めて少しだけ前を向けた瞬間だった。

私はパーティー会場に戻ると同時に、春の訪れを告げる暖かい風に吹かれた。

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