07.運命後に知ること
「すみません。お恥ずかしいところををお見せしてしまいました」
ひとしきり泣いた後、落ち着きを取り戻したアーネストが、赤くなった目で謝罪する。
顔立ちの整った彼は、目を赤くしていても麗しい。
「いいえ。紅茶を淹れ直したのでどうぞ。香りが良くて私のお気に入りなんですよ」
「フローラ嬢の……。ありがとうございます。いただきます」
「本当に美味しいですね。僕も好きな味です」
お茶を飲み、ふっとアーネストが微笑むアーネストに、フローラは尋ねた。
「アーネスト様、ひとつお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「なんでも聞いてください」
「アーネスト様も、愛の女神ララーの運命は切れてますよね?私を見ても何も感じないのではないですか?」
フローラは、涙を流すアーネストを見ながら感じていた疑問を口にすると、アーネストはじっとフローラを見つめた。
「……そうですね。確かに愛の女神ララーの運命は、僕も切れている……というより薄れてはいるのでしょう。あの息をするのも苦しいほどの想いはもうありませんから。
だけどあの祝祭日まで、僕はずっとフローラ嬢と結ばれる事を信じて心待ちにしていたのです。
フローラ嬢からの手紙が届いたのは最初の一通だけでしたが、そこに綴られている愛の言葉は、覚えるくらいに読み返していましたし、フローラ嬢の肖像画も部屋に―」
「待って!」
一通目の手紙。
待って。なんて書いたっけ?
確か最初の手紙は浮かれ過ぎて、心に浮かぶ想いをそのまま書き連ねまくっていたはずだ。アーネストの手紙以上に分厚い手紙になった気がする。
そこから届かない返事に、『浮かれ過ぎたわ』と反省して、もう少し冷静で簡潔な手紙を送るようにしていたが。
一通目の手紙はまずい。読み流していたどころか、読み返されていたとは。しかも覚えてしまうくらいに。
まさかこんな所にも自分の黒歴史が潜んでいたとは。
「あの!その手紙は―」
「分かっていますよ。今はもう消えてしまった想いですよね。……それでもあの手紙は、私の人生に差した光のようでした」
アーネストが寂しげに微笑む。
「愛の女神ララーから運命の相手の存在を知らされた時――「桃色の髪と翡翠色の瞳」と分かった瞬間、フローラ嬢だと気づきました。フローラ嬢の美しさは皆の知るものですしね。
僕なんかが名乗り出ていいのだろうかと悩む間に、フローラ嬢からの最初の手紙を受け取ったのです。
届いたのはたった一通の手紙でしたが、それだけでもう天にも昇る心地で、自分の永遠の幸せを疑いもしませんでした。
祝祭日まで会うことが出来なくても、勝手に安心していたのです。
フローラ嬢を想う日々が幸せ過ぎて、愛の女神ララーの祝福が切れた今でも、貴女が僕の心に深く刻まれてしまったようです。…………すみません」
アーネストはもう取り繕う事を止めたのだろう。
余裕を感じさせる穏やかな表情を崩し、疲れた表情で語る彼は、本音で話しているようだった。
彼は自分を探そうとしなかったわけではなく、運命の相手が「桃色の髪と翡翠色の瞳」だと知ってすぐにフローラだと気づいたようだ。探す必要もなかったらしい。
今さらな過去に、『過去の自分がそれだけでも知っていれば、あれだけ苦しむ事は無かったかもしれないのに』と思わないでもないが、どこか他人事のようにも感じてしまう。
「あ、いいえ。謝る必要などありませんが、アーネスト様は婚約者のキャロル様を愛していたのではないのですか?その想いは戻らなかったのですか?」
「……元々キャロルに愛情があったわけではありません。もちろん幼馴染としての情はありましたけど、キャロルは浮気性でしたしね。
愛の女神ララーの祝福を受けた時点では、正式な書面までは交わしていませんでしたが――多くの男と関係を持っている事を理由に、キャロルとは婚約解消の方向で話を詰めているところだったのですよ」
「えっ!」
フローラの驚いた声に、アーネストが力無く微笑みを返した。
「ヒルストン公爵様から我が家ヘイマー家に、祝福の受け入れを尋ねられた時は、まだケイズ伯爵家との話し合いの途中だったのです。
家同士の事業が絡んだ婚約話だったので、正式に婚約解消の書面を交わすまでは、ヒルストン公爵様にも何もお話し出来なくて。
僕としては、祝福があったから婚約解消するのではなく、すでに婚約解消は決まっていると公言したかったのですが……」
そこまで話すと、アーネストは思わずといった感じで深いため息を落とし、また言葉を続けた。
「父がキャロルの素行に激怒しておりまして。「女神の祝福を、キャロルとの婚約解消理由にするつもりはない」とヘイズ伯爵家に通達していたのです。
だけどキャロルは、僕が女神の祝福を受けた事を、良いタイミングだと思ったんでしょうね。
キャロルが噂話を流したのは、「フローラ嬢に虐められての婚約解消」と世間に思われたかったのでしょう。「多くの男と関係を持った故の婚約解消」より世間体がいいですから」
「えっ!!」
フローラはまた驚きの声をあげる。
色々と知らなかった事が多すぎる。
キャロルが浮気性なのは、調査段階で分かっていた。なのでそこに驚きはない。
以前は、キャロルの本性を知らないアーネストを、『キャロル様への愛に盲目になっているのね』と悲しく思っていたのだ。
あれだけ思い悩んでいたキャロルとは、すでに破局していたとは。さらにキャロルが噂を流した本当の理由がえげつない。
アーネストの話は、驚きしかない話だった。
そしてさらに驚いたのは、そんな状況の中でアーネストがフローラの噂を信じていたことだ。
「キャロル様とそんな関係でありながらも、私の噂話を信じていたのですね……」
アーネストの残念感が半端ない。
どれだけ間の抜けた男なのだろう。
「あ!いえ!フローラ嬢の噂話は、手紙を隠していたうちの使用人から聞いた話で!その者は古くからうちに仕える者で、愚かにも信用していた者だったのです。――ああ、いや。これは先ほどもお話ししていましたね。
いえ、でも――本当は……。
僕は彼を信じていたというより―――信じたかったのです。フローラ嬢はそれほどまでに私を想ってくれているのかと。
あの祝祭日、「これ以上キャロルに危害を加えない事を誓ってもらえませんか?」と声をかけたのは、キャロルを害する事でフローラ嬢に良くない噂が立つのを避けたかったからなのです。「私が愛しているのはフローラ嬢ですから、キャロルなど気にしないでほしい」と伝えたつもりでしたが………あんな噂に浮かれてしまったせいで……」
「………」
言葉が出なかった。
「キャロルに脅迫の手紙を送るくらい嫉妬してくれたのかと、「僕がフローラ嬢のものだ」とフローラ嬢が街中で言い放ってくれたのかと、卑しくも喜んでしまったせいで……」
「………」
フローラは返す言葉が見つからなかった。
アーネストは確かにフローラの悪い噂を信じていたが、悪い噂を聞いて浮かれていたらしい。
――キャロルに脅迫の手紙を送りつけたり、「アーネストは私のものよ!」と悪女フローラが言い放ったという噂を聞いて。
「何とも情けない男だ!」と、フローラの両親が聞いたら怒り出しそうなものだ。
友人のティナとオードリーだって、そんな事実を知ったらアーネストを蔑んだ目で見るだろう。
だけどフローラは思わず笑ってしまった。
だっておかし過ぎるだろう。
そんな後ろ暗い話は、正直に人に話すようなものではない。しかもカミングアウトしているのは、その本人にだ。
正直すぎて好感を持ってしまったくらいだ。
『いや貴族としては失格だけど』――そう思ったらもう笑いが止まらなかった。
両親の怒る顔と、友人の呆れ顔までも思い浮かべてしまうと、笑いを我慢することが出来なくなった。
ふふふふふふと抑えながら笑っていたけど、耐え切れずにあははははと笑ってしまう。
もう私だって淑女失格だ。
笑いすぎてお腹が痛い。
驚いて目が丸くなったアーネストの整った顔立ちが、もうおかし過ぎた。
その顔止めて。もう本当にやだ。
そう言いたいが、笑いすぎて言葉が出ない。
涙を流しながら笑い転げるフローラを、驚いた顔のままでアーネストが見つめていた。