10.それぞれの運命
来訪したアーネストに、突然のお客様の参加がある事を伝えると、アーネストは快く頷いてくれた。
女神ララーに愛を誓ったご夫婦の話は、アーネストも興味があるらしい。
いつだってアーネストは、フローラと同じ感覚で物事を受け入れてくれる。
フローラは、アーネストのこういうところも好ましく思っていた。
やってきたお客様は、とても幸せそうな夫婦だった。
さすが女神ララーの前で愛を誓って、永遠の幸せを約束された二人だ。
結婚八年目にもなるというその夫婦は、そんな年月を感じさせないほどに初々しさを見せている。
お互いを心から思い遣っているのが伝わって、『これが女神ララーのもたらす幸せか』と思うと、微笑ましい二人に羨ましささえ感じてしまうほどだ。
「それではマシュー様とサンディ様は、愛の女神ララーからの運命を知らされた時は、お互いがとても離れた場所で暮らしていたのですね」
夫婦が祝福を、いつどこにいた時に受けたかという話になった時、二人が話すそれぞれの地名を聞いて、フローラはなるほどと頷く。
愛の女神ララーからマシューとサンディに落とされた困難は、「とても離れた距離」だったようだ。
「ええ。マシューが最北端の地に住んでいて、私が最南端の地に住んでいましたから。遠くに運命の人を感じてすぐに旅に出たのですが、会えるまで十日もかかりました。……あんなに長く感じた時間はありませんわ。
不思議と髪と瞳の色だけは分かるのですが、顔も名前も知らない運命の人に恋焦がれていましたの」
「私も祝福を受けてすぐに旅に出たのですよ。運命の人に早く会いたいと急かされる想いに、胸が苦しくて夜も眠れないほどでした。
あれは祝福がもたらすものだと分かっていても、あんな苦しみはもう味わいたくないですね。胸が締め付けられて、息をするのも難しいくらいでしたから」
マシューの語る言葉にサンディも「本当にそうね」と頷く。
「日に日に募る想いが重すぎて……。愛の女神ララーの祝福は子供の頃から憧れてましたけど、運命を知らされる事があんなに苦しい事だったなんて知りませんでした」
永遠の幸せを掴んだ二人でさえそう話すのだ。重い想いに相当思い悩んだのだろう。
『同じだ』とフローラは思う。
アーネストを想う日々。
苦しいほどの想い。
息もするのも難しいくらいだった。
「運命の人に幼い頃からの婚約者がいる」という困難だからこそ、耐えられないほどの苦しさがあるのだと思っていたが、「物理的な距離」の困難の二人も同じ想いを抱えていたようだ。
あれは運命の人に早く会いたいと強く願う苦しさだったのか。
「それがマシューと実際に会ったら、あの苦しいまでの愛おしさが急に消えてしまうんですもの。いきなりマシューの事を忘れたかのように何も感じなくなって、「運命が切れてしまったのかしら?」とすごく驚きましたのよ」
ふふふふとおかしそうに笑うサンディに、マシューも微笑む。
「私も戸惑いました。あれほど募らせた想いだったのに、私もサンディに会った途端に、初対面の人に会ったかのように突然に冷静になりましたからね。
あれほどの強い想いが、全てストンとどこかに落としてしまったような感じでしたよ。
初対面となったサンディも、とても好ましく思いましたけどね」
当時の事を思い出したのか、マシューは懐かしそうな目で語っている。
二人の話にフローラは言葉を失くした。
『出会うまでは苦しいまでの想いに囚われていたけど、出会った時にそれまでの強い想いは消えてしまったの?』
それはあまりにもフローラのケースと似ている。
似ているどころじゃない。全く同じだ。
祝福を辞退したから、気持ちが消えたのではないのか。
思ってもみなかった話を聞いて、フローラは混乱して言葉が出ない。
「お二人はそれまでの想いを失くして、それからどうやって以前の想いを取り返したのですか?」
黙り込むフローラの代わりに、アーネストに食い気味に質問されて、マシューが彼の勢いに押されたのか身を引きながら答えた。
「想いを取り返すなんて……そんな事は考えた事もなかったですね。ただ私達は、引き寄せられるように出会って、そして初対面に戻ってから、また惹かれ合ったんです。
失くした想いは、また重ねていったんですよ。
私はこの二人で過ごす時間の中で築いた愛が、運命のもたらす幸せだと思っています」
「マシュー、私もそう思うわ。それまでの想いは一度は消えたけれど、またすぐにマシューに惹かれていったんだもの。確かにあなたは運命の人よ。
二人で穏やかに過ごせる今を、とても幸せに思ってるわ」
少し恥ずかしそうに想いを伝え合う二人は、やはりとても微笑ましい夫婦だ。
「マシュー様とサンディ様は、とても素敵なご夫婦ですね。
お二人は祝祭日に、女神ララー像に愛を誓ったのですよね?そのお幸せは永遠のものなんでしょうね」
フローラが少し羨ましそうに夫婦に声をかけると、サンディが嬉しそうな笑顔を見せた。
「ありがとうございます。でも私は女神ララー像に愛を誓ったというより……感謝を伝えました。
「こんなに素敵な人と出会わせてくれてありがとうございます」って。
だって、私達はとても離れた場所にいた二人なんですもの。あの苦しいほどの想いがあったからこそ、旅に出てまでマシューに会いに行こうという決心がつきましたからね。
あの焦燥感こそが愛の女神ララーの祝福だと思っているのですよ」
「そうだね。私も女神ララー像には、運命を知らせてくれた感謝を伝えましたよ。
愛はサンディに誓うもので、女神ララーに誓うものではないですからね」
そう話して幸せそうに微笑み合う夫婦を、フローラとアーネストは黙って眺めていた。
話を終えて夫婦が帰った応接室で、フローラとアーネストは夫婦の話を思い返していた。
アーネストが静かな声で話し出す。
「フローラ嬢。あのご夫婦の話……僕達とすごく似ているよね」
「そうね。私は女神ララーの祝福を辞退したから、あなたへの気持ちが消えてしまったのだと思ってだけど。
祝福の辞退に関係なく、二人が出会った時にそれまでの気持ちは消えてしまうものなのね」
「僕はあの時、気持ちの全てが消えてしまったわけじゃなかったけど……。
「女神ララー像へ愛を誓う事で、永遠の幸せが授けられる」というのは不確かな伝説であって、女神ララーの力が関係するものじゃないのかもしれないね。マシューご夫妻も自分達で幸せを築いていっているのだから。
……祝福の辞退を宣言しても、何の影響もないのかもしれない。
女神ララーは、ただ運命の二人を強く引き合わせるだけで、その後の関係は二人で作っていくものなのじゃないかな。
……ねえ、フローラ嬢。初対面に戻ってからこの一年間、フローラ嬢にとって僕は友人以上の存在になれなかったかな?」
アーネストの考えは、フローラ自身も夫婦の話を聞きながら感じていた事だ。
フローラは自分自身の気持ちを見つめ直す。
この一年間のアーネストとの関係は、友人関係だった。それ以上の関係ではなかった。
それ以上の関係になってはいけないと言い聞かせてきた。
だって私達は女神ララーの祝福を辞退した者達だから。
『いまさら運命の者同士に戻りたいなんて、そんな都合のいい事を言えるはずがない』――そう思ってきた。
だけど女神ララーは運命を知らせて引き合わせてくれるだけで、運命の辞退を受ける存在ではないのなら――
「僕はフローラ嬢を愛してるよ。確かに出会う前までの苦しい想いではないけど、出会う前以上の深い想いはあると思う。――フローラ嬢、もう一度僕との運命を考えてくれないかな」
アーネストの言葉を聞いて、フローラはふふふと笑う。本当に彼は気が合う人だ。
「いま私アーネスト様に、「もう一度私達の運命を考えてみない?」って同じ事を言おうとしたのよ。
だってこの私の穏やかな想いは友人以上のものだと思うもの。あなたほど一緒にいて心地いい人はいないし、あなたほどに惹かれる人はいないわ」
言葉にして改めて自分の気持ちを感じる。
そうだ。どうしてこの気持ちに気づかなかったのだろう。
アーネストに対するこの想いは、友情なんかじゃない。
綺麗な花が咲いたら「アーネスト様にも見せてあげたい」と思ってしまうし、美味しいものを食べたら「アーネスト様にも食べてほしい」と思ってしまう。
毎日の中の何気ない感動を「一緒に」と願うのは、友情なんかじゃないだろう。
愛の女神ララーは、運命の人を知らせると共に、少しの困難も贈るという。
愛の女神ララーはイタズラ好きの女神なのだ。
フローラは今、女神ララーの困難を乗り越えた事を感じた。
それは目の前でフローラを見つめるアーネストも感じている事だろう。
フローラとアーネストは、とても気が合う。
いつだって同じタイミングで同じ事を考えてしまうのだから。