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「善悪は弱者の嫉妬心にすぎない」—フリードリヒ・ニーチェ

 ☆

 一週間して、俺はフランの言いつけ通り、ルナちゃんの登下校の送り迎えを始めた。 

 今日はその初日。俺とルナちゃんは街路樹の生えた道を、肩を隣り合わせて行く。

 秋なのか、紅葉が道を埋め尽くしている。暑すぎず涼しすぎない、優しい季節だ。

 ルナちゃんの服装は、戦場で見せた黒いスーツドレスでも城の中で見せた白銀のドレスでもなく、白を基調とした西洋風の学生服だ。

 ついでに、両腕に紋様の入った謎の腕輪を付けている。

 一方俺はフランから黒いスーツを渡された。この世界に理力(イド)という未知の力がある以上、鎧や甲冑は防御手段として意味をなさないらしい。フラン曰く、スーツこそが戦場における公式的フォーマルな服装なのだと。

 登校前に、城の中で俺はフランに「王様の護衛が俺だけで大丈夫なのか?」と問うた。

 彼女曰く、「一般人でフラン様のお顔を知る者はいません。民衆の前では常にベールで顔を隠していますから」——との事。  

 この世界の王様達は皆、民衆の前では身バレ防止の為、何かしらで顔を隠しているようだ。

 だからこそルナちゃんの学生生活には支障が出ないらしい。今向かっている中学校もデカルト家に忠誠を誓っている家系の子供達が集められている学校なのだと。血こそ繋がっていないがルナちゃんのお母さんが信頼を置いていた部下達の子供達だけで生徒は構成されている。

 ついでに「護衛俺だけで良いのか?」という問いに関して、こうもフランの奴は付け加えていた。「護衛はアナタ一人とは限りませんよ」と。

 それはつまり、今こうして街路樹の道を歩いている時にも、城の兵の誰かがどこかに身を潜ませているのかもしれない。

 まあ、今気にするべきはそんな事よりも——、

「……」「……」

 ——この沈黙だ。

 沈黙が気まずかった。ルナちゃんはあまり喋るタイプの子じゃない。常に低いテンションな女の子だ。俺もそんなに話が上手い方じゃない。

 内向型タイプの人間同士だと、どちらも喋り手では無く聞き手に回りがちだ。

 俺は目線下のルナちゃんの銀色の頭部を見下ろす。 

 ルナちゃんは中一にしては背が低い。男性としては165と低い俺との身長差すら、20センチ以上あるように見える。 

 よし、ここは俺から話題を切り出さなくては。

「ルナちゃんはさ、何か好きな事とかある?」

 ——ありきたりだ。ありきたり過ぎてつまらない。「今日天気晴れて良かったねー」と同じくらい、盛り上がりに欠ける話題の振り方。ごめん、ルナちゃん。

 そんな口下手な俺のフリに、ルナちゃんは答えてくれた。

「……おっ、にい……」

「?」

「おにい……お兄ちゃんと遊ぶこと……です」

「そういえばお兄ちゃんがいたんだね! 今いくつなの?」

 そう問うた事に、俺はすぐ後悔する事となる。

「死ん……じゃいました。一年前……」

 ——再度、沈黙がやってきた。

 暫く黙々と、目的地へ脚を運ばせる俺達。

 ふと、俺はキルケゴールの言葉を思い出した。「死んだアンタの母さん」という言葉を。

 亡くなったルナちゃんの母は王様だった。だから彼女が跡を継ぐしかなかった。

 兄はいても、当然哲学者……異能力者では無かったのだろう。跡を継げる筈も無かったのだ。

 では彼女の父は? とてもじゃないが怖くて聞けない。

 ルナちゃんは……一人ぼっちなのだ。母も、父も……兄もいない。


 ☆

 絵画の中の城……それが俺がその学校を見た時の第一印象だった。 

 かの偉大な芸術家ミケランジェロが建築したサン・ピエトロ大聖堂を連想させるような建築。細部の作りの正式名称までは知らないが、俺の世界の歴史で言うルネサンス期(14世紀の西洋)を思わせる豪奢な城。

 本当に学校だろうか? と疑ってしまう程の美しさ。

 俺はルナちゃんに案内されるがまま、教室へと向かう。

 扉を開けると、大学の講堂のように広々とした空間が広がっていた。

 既に椅子には生徒達が腰かけている。おおよそ30人くらいの生徒数だが、席は倍以上余っている。

 全体的に円形で、中央にある教壇は、どこか劇場の舞台を俺に思わせた。

 ……一つ、不可思議な人々が生徒達の後ろに立っていた。

 後ろも後ろ、最後列の席の更に後ろに大人達が数名立っているのだ。丁度小学校の授業参観のように。

(ああ、同業者か)と思った。フランから前もって言われていた事だ。

 この学校では生徒一人一人にボディガードが付いている。ボディガードは壁の後ろで待機とのご命令。

 毎日が授業参観状態なのだ、この学校は。

 俺の護衛対象であるお姫様が席についた瞬間、男子達が一斉に——、

「おはようルナ!」「この間学校休んでた時『希望の国』のキルケゴールと戦ってたんだって? 俺の召使いから聞いたぜ!」「ルナ本当スゲーよ! 流石俺ら『合理の国』の王様だな! いつも俺達を守ってくれてありがとよ!」——意気揚々と彼女に話しかける。

 ルナちゃんは微笑んで返した。淑女的な笑み。

(ルナ様じゃないんだ)と彼らの反応を見て感じた。まあ、同じクラスの友達に「様」付けしていたら気持ち悪いもんな。

 あるいはこれもフランの教育方針なのかもしれない。まだ12歳と未熟なルナちゃんに代わって政務を執り行っているのはフランみたいだし。家来達に「子供達へ彼女と平等な関係を築きあげるよう指導しなさい」と命令を入れているのかも。少なくとも俺には「ルナ様と他の子供達を平等に扱って下さい」と指示してきたし。

 はたから見て、ルナちゃんは男子達の人気者に見える。世界線が違えどやはり俺の目に狂いは無かったようだ。ルナちゃんは、この世界においても「美少女」に分類されるのだ。男子一人一人に笑顔を振りまいている。それもぶりっ子とかではなくて、一人一人を元気付けるような、混じり気のない笑顔だ。

 彼ら男子22人は将来、ルナちゃんも含めたこの教室にいる8人の女子を補佐する役割へ回るのだろう。戦争や政治は彼女ら女子に任せ、男子は事務的な部分で活躍するのだ。

 彼らの顔色には、それに対する不満の色は見えない。

 既に心の中に割り切りがあるのではないのだろうか? 異能力者とそれ以外の人間では、出来る事の幅がまるで違うのだから。

 あるいはこの『合理の国』の教育方針によって牙が抜かれているのか。

 ところで……一つ気になる事がある。男子達がルナちゃんをチヤホヤするのはまだ分かる(彼女に触れるんじゃねえ! とは思うが)。

 女子達の反応が薄いのだ。 

 既に20分経過したが、女子の誰一人ルナちゃんに声をかけていない。男子ばかりだ。

 と、そこでようやく教壇の扉が開き、教師がやってきた。

「皆さん、ごきげんよう。タミラ・ホッブズです」と腰を折って挨拶した。

 その婦人は、190センチを超える巨体。二つ分けしたおさげは、申し訳ないが彼女の巨体も相まって二本の鈍器のように見えた。

 ホッブズ……あのトマス・ホッブズだろうか? 『リヴァイアサン』で有名な?

「今日の授業日程を確認しますよ! 一、二限は男子女子共に『歴史』と『国語』! 三限から女子は『数学哲学』、男子は『家事』! 四限から女子は『天文学』、男子は『土木』! 五、六限から女子は『理力(イド)体育』、男子は『常人じょうじん体育』です!」

 ……よく分からんが、ところどころ男子と女子でカリキュラムが違うらしい。

 優秀な哲学者になる為のカリキュラムとそれ以外、という科目分けなのだろう。


 授業は滞りなく進んでいった。ルナちゃんの護衛の俺は、勿論女子のカリキュラムに合わせて教室を変えていく。

 そして現在五限……体育の授業。

 グラウンドに生徒達が集まる。女子半分、男子半分でグラウンドを割る。

 女子は黒いスーツドレス。男子は俺と同じ黒いスーツへと着替えている。

 既に反対側のグラウンドでは男子達がフットボール……球技を始めている。

 一方の女子達はというと……組手だ。

「女子の皆さん! 4組に別れましたね! ではいつも通り、理力(イド)を使用した組手を始めますよ! 皆さん一組一組に引かれた線の外側へ対戦相手を追いやった方が勝ちです!」

 4組の女子達は等間隔で離れている。彼女らを四角い光線が囲っている(あの巨体な先生の異能(イデア)だろうか?)。

 先生の「始め!」という合図と共に、4組が戦闘を始める。

 殴る蹴るアリの激闘を繰り返す。反対側の男子達の授業が可愛く見える程、暴力的。

「まるで軍隊だな」と思った。そりゃそうか、哲学者を目指すとはつまり、戦場に立つ事を意味するのだ。本当の戦いだったなら、どちらかが死ぬまで戦わなければならない。

 線出負けというルールがあるだけまだマシだ。

 3組が両者、悪戦苦闘する中、ルナちゃんの組はというと……秒殺だった。

 対戦相手の金髪ポニーテールの少女の一押しで、小柄なルナちゃんはあっという間に線の外側までぶっ飛んだ。

「ルナさん! 気合いを入れなさい!」と巨体の先生が覇気のある声で鼓舞。

 もう一度ルナちゃんは線の内側に入るが、瞬く間に吹っ飛ばされてまた外野へ。

 ……おかしい。いくら何でも弱すぎる。

 俺はまだ、他人の理力(イド)の量を読める程実力が無い。だからルナちゃんの理力(イド)

 がどれ程のものかも分からない。

 とはいえ、彼女はあの金髪ギャル、キルケゴールと同じ戦場に立っていたのだ。あそこまで

 極端に弱いものだろうか?

 その時、「痛ってぇ!」と言う悲鳴が向かい側のグラウンドから聞こえた。

 目をやると、男子生徒の一人が脚をくじいてしまったようだ。

 巨体の先生が笛を鳴らし、中止の合図を送る。

 他の男子生徒達が怪我をした男子の下へと駆けつける。

「いたそ~!」「大丈夫か?」「捻挫してるなこりゃ!」 

 各々が声を上げる中、真っ先に怪我をした男子に駆け寄ったのは、ルナちゃんだった。

 ルナちゃんが「脚、貸して」と言って彼の脚を持ち上げ——、

異能(イデア)——『我思われおもウ、ゆえわれアリ』」

 その言霊と共に、彼女の額に紋様が浮かび上がる。

 彼女は自分の人差し指を軽く噛んで、傷を作り、その血濡れた人差し指を己が額にあてがう。

 彼女の肉体は白い百合のように儚げな光を纏った。

 光るルナちゃんは、男子の右足首を両手の平で包みこんでから——、

「ワレ、コノ者ノ傷ガ存在スル事実ヲ疑ウ」と口にする。

 その言葉に反応し、みるみる男子の捻挫が癒えていき……あっという間に完治した。

「すげールナ!」「流石だぜ、俺も女子に産まれたかった~!」「バッカ、ルナが特別なんだよ!」

 感謝と賞賛の嵐を男子達が上げる。

 だが同時に俺は感じた。感じてしまった。女子達がルナちゃんに向ける冷たい視線に。

「ルナ……もうマイクの怪我は癒えたでしょ? アタシとの組手に戻ろうよ」

 先程まで対戦相手だった金髪ポニーテールの少女が、男子の足首を両手で包むルナに声をかけた。

 授業中の事故を片付け終わり、再度女子達は組手に戻る。

「なんでさ……あれだけ凄い異能(イデア)があってアタシなんかに負けるのよ?」 

 金髪ポニーテールの子が、凍てつくような瞳をルナちゃんに向ける。

「アンタさ……まさかいっつも……手を抜いてるワケ?」

「そっ、そんな事……ない……よ」

「ウソをつくなよ!」——少女の叫びが轟く。

 少女はルナちゃんの腹部に掌打を当て、再度彼女を線の外まで吹っ飛ばした。

 そしてすぐに間合いを詰めて、彼女の髪を、まるで雑草を抜くかのように乱雑に掴む。

「ウソつくなウソつくなウソつくな! アタシなんかに負ける相手がこの国守れるワケないでしょ? それを見破れない程弱くないんだよ、アタシらだってちゃんと哲学者の端くれだ!」

 激昂、怒号、罵声。あらん限りの怒りをルナちゃんに向ける。

 もはやルナちゃんの立場が王様だなんて事は……彼女との身分の差なんて、まるで忘れているようだ。

「そうやって体育で誰かが怪我する度に男子女子見境なく異能(イデア)で傷治しちゃってさあ! アンタのその異能(イデア)なんて、所詮親からの譲りものでしょ! 私達は自力で手に入れるしかないのにさ!」

 少女の罵倒は止まらない。

「何で男子とは話す癖にアタシらとは話さないの? 色目使ってるの? それともアタシらの事全員見下してるから話す価値も無いっての!?」

「……」——ルナちゃんは表情を変えない。ただただ瞳が闇に沈んでいく。

 諦めている、といった印象。

 ……やべえ困った。俺はルナちゃんの護衛としてどうするべきだ?

 子供同士の痴話喧嘩として軽く流すべきか? 彼女の護衛として仲裁に入るべきか?

「アタシさ、マイクの事好きだからこの間告白したの! そしたら何て言ったと思う? 『ルナの事が好きだから付き合えない』だってさ! アタシ以外の女子の皆もそう! クラスの誰かを好きになったって、皆アンタの事が好きだから告白したって上手くいかないの! ずるいでしょ? 親から地位も財産も才能も貰ってる上に、その上美人だなんて……」

 少女はルナちゃんの髪を離し、その場に泣き崩れた。

 俺はフランの「『魅惑と嫉妬』にはお気をつけて」という言葉を思い出した。

 泣き崩れた金髪ポニーテールの少女は、腫れた目のまま今度は俺を睨みつけた。

「アンタ、新しいルナの護衛でしょ? 何で男が担当してるのかは知らないけどさ。アタシは王様に酷い事をした。煮るなり焼くなりしなさいよ!」

 覚悟、怒り、悲しみ……三つの想いが込められた眼差しを俺に向ける。

 俺の前任者達はこういう場合……どうしたんだ?


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