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「初恋とは少しばかりの愚かさとありあまる好奇心のことだ」—ジョージ・バーナード・ショー

★小学生時代

小五で出逢い、卒業まで二年間同じクラスだった海月みづきという少女は、黒髪ショートのスポーツ女子だった。バスケクラブで、誰にでも優しくて、涙もろくて、天真爛漫で。

 バレンタインの日にクラスメイト皆にチョコを配ったりして、クラス皆に慕われていたから当然のように学級委員に選ばれていた。マラソン大会も一位で運動神経抜群、男子皆の憧れ

の存在だった。

 その女子に接する態度と同じくらい男子にも優しい性格が災いして、一部の女子からいじめの標的にされた時期もあったけど。

 誰とでも仲良くなろうとする性格の少女だった。

 一方、俺は進学塾に通っているにも関わらずクラスの落ちこぼれだった。スポーツはもちろん、勉強もできない男の子。俺の家は皆東大出身のエリート家系だったので、親に塾の成績を見せる度に罵倒された。

「お前塾に通ってんのにこんな事も分からねぇのか」と、よく友達にバカにされた。塾に通っている事が余計に自分の無能を際立たせた。

 そんな友達の言葉に対し「うっせぇよバーカ」と笑って誤魔化していた。クラスのボケ担当は俺ー皆の笑いを取るというクラスのポジションを取っていた。バカはバカなりの生存戦略。

 見た目もデブキャラだったから、テンションで誤魔化すお笑い芸人のように振舞った。

 クラスのアイドルだった海月みづきを笑わせたかった。他のクラスメイトは俺のボケを笑ってくれるのに、彼女だけ全く笑ってくれなかった。あの日は、あんなに俺の事を心配してくれたのに。

 

 小五の五月ー新しいクラスになった頃に起きた、彼女を好きになった瞬間を覚えている。

 平日、夕暮れに染まった放課後。家に帰ってから、母に「アンタ学校に体操着を二着も忘れたでしょ?」と言われた。

 とても怒られた。明日は運動会だったから。

 替えの体操着が家に無いから、明日汚れた体操着で運動会に出なくちゃいけなくなる。

 俺は母さんに追い出されるように家を出て、小学校へと自転車で向かった。

 母さんがあまりに怖くて、全力で自転車を走らせた。信号を何本も無視して、通行している人達の間をギリギリで避けながら。

 夕焼けに包まれながら、目に大粒の涙を蓄えながら、必死に、必死に自転車を漕いだ。

 学校の校門の内側に入った所でー、

 大きな木の枝が俺の額に勢いよくぶつかった。

 母さんへの恐怖から来る涙で視界が歪んでいた上、自転車まで飛ばし過ぎていたせいで枝を避けられなくて。

 自転車と俺の体が空中で分離し、俺は思い切り地面に叩きつけられた。

 額の痛みと涙で、視界がぼやけていたけれど、自転車が大破して転がっているのは分かった。帰宅中の生徒達の視線が俺に集中している事も。

(痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……)

 ヒリヒリする額。でも、関係ない。俺は早く体操着を取りに教室に行かなくちゃいけないんだ。それだけが俺の心の中にあった使命。

 走って、走って、玄関にある下駄箱までついた。玄関から一気に三階の教室に駆け上がる。教室の扉を開ける。

 誰もいない教室で、俺の机の荷物入れから、体操着二着を見つけた。

 安心した。無くなっていたりしたら、母さんをどれだけ怒らせていただろう。

 体操着を両手で抱きしめたまま、教室を出る。

 額の痛みで気がどうにかなりそうだけど、早く家に帰らなければならない。

 階段を下り、玄関の下駄箱前に戻ると、


 入口に彼女はいた。夕暮れに照らされた彼女が。


「テツくん! その額、どうしたの?」

 心配そうな顔で、俺に早足で近づいてくる海月みづき

 大して話した事も無いクラスメイトなんかに構っていられない。すぐに彼女の横を通り過ぎようと、出口のある彼女の方へ歩み寄ると、横切る前に、

 彼女は右手で、俺の前髪をかきあげて、額を覗き込む。

「酷い傷! 早く保健室行かないと!」ー彼女の顔がすぐ目の前にある。

 彼女と俺はその日まで一度も話した事が無かった。クラスメイトってだけの他人だ。

 なのに……彼女の瞳はそんな俺を……本気で心配していた。

(暖かい手……。何だか傷が和らいでる気がする。綺麗な目)

 傷口を避けて額に触れる彼女の手の平は、俺の傷を治してくれているような錯覚すらあった。

 玄関口から漏れ出る茜色の光が、彼女を包んでいた。

 けれどすぐに、早く家に帰らなくちゃいけない事に気づく。

 無言で彼女の横を通り過ぎる。逃げるように。


 あの日の夕焼けの中の彼女の顔を、俺は生涯忘れない。

 これから何十年も経って俺がおじいさんになっても、「世の中で一番美しいモノは何か?」って誰かに聞かれたら、「あの日の彼女の顔だ」って、答えてしまう……そんな顔だったんだ。

 夏海の事が気になり始めてから知ったー彼女の家が、坂の上にある俺の家の、すぐ下にある事に。歩いて三分もかからない所にある事に。


 二年間、彼女と同じクラスで過ごした。

 彼女とはほぼ会話しなかったけど、その二年間は彼女の素敵さを知るには充分な時間だった。

 クラスでイジメが起きれば率先して何とかしようと孤軍奮闘して——、

 クラスの皆をまとめる為に、毎週お菓子を作って皆に配ったりして——、

 その女の子らしい優しさに加え、スポーツでも努力家である姿を体育の授業やマラソン大会で俺達クラスメイトに見せてきた。

 女の子の可愛さと男の子の格好良さを併せ持ったような少女——それが海月みづきだった。

 彼女みたいになりたいと思った。いつか彼女に見合う男になりたいと思った。

 彼女みたいにマラソン大会で一位取るような凄い人間に、なりたいと思った。

 でも高校を卒業するまでは勉強する時間以外許されない。良い大学行って、良い会社に行って、お金持ちになれないと、好きな人を幸せにできないと親から、塾の教師から言われていたから。

 夏海とは別の中学になってしまうけど、将来好きな人を幸せにする為にクラスの皆より勉強して頭の良い大学に行かなくちゃいけないから仕方ない。

 今は無理でも、夏海に相応しいくらいスゴイ男になれたら、夏海に「好きだ」って言いに行こう。

 あの頃はそう思っていた。そう思って、小学校の卒業日に「将来、彼女にふさわしくなる」事を、自分の胸に誓った。



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