「人間は、考える葦である」—ブレーズ・パスカル
☆
殺風景なコロッセオに、俺達はついた。
闘技イベント開催時は埋め尽くされているだろう、何千という席も今はガラガラ。俺、フラン、紫髪のセクシーお姉さん、緑髪のチャイナ娘の四人に加え、王達の従者が数十名座っているだけだからだろう。空席が多すぎて、ドーナツ型の闘技場は殺風景に見えた。
俺達全員、客席下に見えるバトルフィールドを見つめている。丁度、ドーナツの空洞の中に納まるようなバトルフィールドを。さしづめ外野の俺達はドーナツの菓子パンの部分に座ってるようなものだ。
ドーナツの空洞のような内野で、銀髪のロリと赤髪のロリが向き合っている。
「なあ、何であの子とルナちゃんが戦う流れになってんだ?」
右隣に座るフランに俺は耳打ちした。
「あの子……スフレ・パスカルはああでもしないと納得しない子ですから」
タキシード姿のメイドが溜息をつく。
「スフレはルナ様と同じく、母親を『哲学者の寿命』という運命によって亡くしています。ですが、ルナ様と決定的に違う点は、ルナ様の異能が親から譲り受けた力なのに対し、スフレの異能は自ら哲学書を書き記し、世に広めた事で手に入れたオリジナルである所です」
「たった12歳で哲学書を書き上げたのかよ……」
「本物の天才なのです、彼女は」
向き合う二人のロリが作り出す張り詰めた空気を始めに壊したのは、赤髪ロリ、スフレの方からだった。
「ルナ~、せっかくの闘技場なんだし、ちょっとしたルールくらい決めようか! 参ったを先に言うか、体内の理力が先に切れた方が負け。……後は死んだら負けとか?」
明るくさっぱりとした口調で、平然とそう言いのけるスフレ。言動に余裕を感じる。
「最後のは……やめましょう……」——小動物然とした口調でルナちゃんが物申す。
「やっぱり、死ぬのは怖い?」——尚も余裕の笑みを崩さないスフレ。
「……殺しちゃうのが……怖いです……」——決して挑発ではなく、やはり小動物然と震えた口調で、ルナちゃんはそう答える。
「へえ~、言うようになったじゃん、ルナ」——余裕の笑みから一転、スフレの顔が覆い隠すような、引きつった笑みへと変わる。
「もういいや、ゴタゴタ言わずに始めちゃおうか。5秒……二人同時に後退して5秒したら始めるよ。1……2……」
勝手にルールを決め、勝手にカウントを始めたスフレが、ルナちゃんから後退し始める。慌ててルナもスフレから後退し始める。
3……4…………5秒!
「バトル開始だよ!」——そう叫び、ルナちゃんへ特攻を決め込むスフレ。
どんどん間合いが詰まる、詰まる、詰まる!
スフレが右拳を叩き込もうとする。それをルナちゃんは——、
左手で軽くいなし、払いのけた。
そのまま右拳をスフレの頬に叩き込んだ。
「痛っつ!」——ルナちゃんの拳がヒットしたスフレが後退する。
……そうだよ、そうなんだよ。本気のルナちゃんはマジつええんだ。
俺はルナちゃんの城で、家庭教師の授業の一環として何回か彼女と組手をしている。
彼女の体術は、軍隊の兵士にも劣らない域に達していた。
普段は大人しいルナちゃんだが、マジのバトルとなるとスイッチが変わったように感情を押し殺し、己が肉体を奮う。
「なあフラン……もしかしてルナちゃん、あの子に勝てるんじゃないか?」
「どうでしょうね。ルナ様には、致命的な弱点がございますから」
「弱点?」
「ルナ様の異能については、もうお聞きですか?」
「『自分が疑った事柄を真実に書き換える』異能ってルナちゃんから聞いてるぜ?」
「はい。『我思ウ、故ニ我アリ』は、『術者が疑っていると信じて疑わない事実を、術者が疑った虚実の方に書き換える』異能。傷ついた人間の傷に触れて、その存在を疑えば傷を治す事も出来ます。逆に無傷な人間が『無傷である』という事実を疑えば、相手に傷を負わせる事も出来ます。ルナ様が何かを疑えば、その疑いは真実となる……まさに最強の異能」
「それって……じゃあ……闘う相手に触れて、生きている事実を疑えば?」
「即死させる事ができます」
——身震いして、思わず唾を飲んだ。
「そんなの……最強じゃねえか」
「どっちかと言いますと、狂ってる方の最狂ですね。使い方を一歩間違えれば、大切な人も殺してしまいかねない、危険な異能です。友人と喧嘩になった時、誤って友人を殺してしまいかねないような危険性を孕んでいます」
「そんな凄い能力があるなら、ルナちゃんが力づくで次の哲人王になってもおかしくないんじゃないか? 他の王達全員、即死させちまってもおかしくない……」
「だからこそルナ様のお母様は、彼女に制約を与えるよう教育を施しました。他人を傷つける『疑い』が出来ないよう、彼女に思考訓練をさせました。結果、ルナ様は他人を傷つける用途では異能を使用できなくなったのです。……レナ義母様はご存命の内に『正しい傷つけ方』もルナ様に教えるつもりだったようですが……先に寿命が来てしまったので……」
「そういう事ならこの試合、惨事にはならなそうだな」
「……そう簡単にはいかないと思いますよ」
俺達が会話を交わしている間に、闘いは進行していた。
ロリ同士の殴る蹴るの攻防。
片方が拳を繰り出せばもう片方がそれをいなす。神掛かったような拳撃、蹴撃の嵐と防御。
二人の組手は、見事に互角。
ルナちゃんは引っ込み思案な性格だが、俺との組手の時は心を失ったかのように瞳を闇に染め、機械的に拳を繰り出していた。
その動きに一切の無駄は無く、ワルツでも踊っているかのような美しさを秘めていた。
いわば、静の攻防。
それに対し赤髪のあの子……スフレの攻防は一挙手一投足が荒々しい。肉食動物が獲物を狩る時のような乱暴さが含まれている。
しかも笑いながら拳を繰り出している。まるで狩りを楽しむハンターかのように。
まさに、動の攻防。
互角であっても、二人の戦闘スタイルは正反対。
「アハハッ! いいパンチとキックじゃんルナぁ!」——闘いを楽しむスフレ。
ルナちゃんは、ただ淡々と、感情無き機械のように敵の拳の嵐を捌くだけ。
「肉弾戦で決着つかないならぁ……異能のぶつけ合いっこだ!」
スフレが後ろに地を蹴り上げ、後退してから——、
「異能……『人間は、考える葦である』」——言霊を口にした。
瞬間、紅の光がスフレを覆う。彼女は服のお腹の裾をまくった。
ヘソのあたりに紋様が浮かび上がっている。その紋様は、『俵を背負いながら本を読み歩く少年』のデザイン。
次にポケットからナイフを取り出し、ヘソ周りを刻み、血を紋様へ注ぐ。
血を受け取った紋様が赤黒く光ると——次の瞬間スフレの肉体は——、
人一人分の草の葉へと変わり、バラバラとなった。
草……いや、アレは葦? イネ科ヨシ属の多年草である、あの葦だ。
幾枚もの葦が、竜巻のように渦巻き、ルナちゃんを覆う。
ルナちゃんは四方八方、首を振る。渦巻く葦の竜巻から来るだろう敵の攻撃を予測しているのだ。
……案の定、敵は奇襲をかけてきた。
ルナちゃんの後頭部付近を舞う葦が集まり、形状を人の右拳へと変えた。
人の右拳は、ルナちゃんの後頭部を思い切り殴りつけた。
「っぐ!」——前方へよろめくルナちゃん。だがまだ終わらない。
ルナちゃんの脛付近を舞う葦が集まり、今度は人の右脚を作った。
脛が葦で形成された右脚に引っかかり、ルナちゃんは前倒れになる。
とっさに右手の平を突き出す事で地面への激突を免れるが——、
今度は洒落にならない物がルナちゃんの右肩あたりを舞う葦が作り上げた。
人の左手……それもナイフを握っている。
葦で作られた左手は、ナイフを彼女の肩へ突き刺そうと振り下ろされた。
「——っ!?」——ナイフの存在に気付いたルナちゃんが青褪める。
……だが、ナイフは肩を抉る前に寸止めされた。
「これで一回死んだね、ルナ」——ルナちゃんの頭上を舞う葦が集まり、人の顔を形成した。
フランの首から上だけが、空中に存在した。
「どう? 力の差は歴然でしょ? 次は本気で刺すよ。だからさ、参ったって言いなよ? 家来にしてやっからさ」
空中から銀髪のロリを見下ろす赤髪のロリの首は、嗜虐的な笑みを浮かべている。
その嗜虐的な笑みに対し、銀髪のロリは怒るでも諦めるでもなく、迷いのない眼差しを向けてこう答えた。
「まだ……負けて……ない……」
その瞳は死んでいなかった。かといって、闘志に燃え滾った瞳でもなかった。
静かな炎……青い炎を、俺は彼女の瞳の中に垣間見た。
ルナちゃんは優しい子だ。傷ついた小鳥に食べ物を上げる為に、一人でこっそり家出してしまうような、優しい子。
けれど心の弱い子じゃない。ただただ、ひたむきなのだ。
学校の授業中、彼女が黒板から気を逸らす時間は一秒も無かった。
女子友達にハブかれても大っぴらに泣き喚いたりも、誰かに相談もしない。友人達の嫉妬すら俯瞰して見ているような、そんなクレバーさ。
城の中での家庭教師の授業中も、教師の教えにひたむきに答え、俺との組手ですら一瞬も手を抜かなかった。
負けず嫌い……という性格というワケでもない。だが、その集中力には執念のような物を感じる。
ルナちゃんは表情変化に乏しい、内向型人間だ。だがその内に秘めたる炎は、目立つような赤い色こそしていないが、目立たず静かに青く燃え揺らいでいる。
……おそらく彼女の中の青い炎は、兄を殺した人物を焼き尽くす為に、入念に暖にくべた焚火なのだろう。
「あっそ。じゃあ死なない程度に痛めつけて分からせてあげるよ!」
再度、幾枚もの葦がルナちゃんを包囲する。
敵の追撃に対しルナちゃんが取った選択肢は——、
「異能……『我思ウ、故ニ我アリ』」——目には目を。異能には異能を。
ルナちゃんの額に紋様が浮かび上がる。次に彼女は親指を噛み、血を流す。
額に血をあてがってから、疑うべき事柄を口にする。
「ワレ……ワレノ色ガ存在スル事実ヲ疑ウ」
彼女が白い光に包まれた。
光が鎮まった時には、ルナちゃんの姿はそこになかった。
「透明化するなんて……相変わらず応用力のある異能ね」——首だけのスフレが戦闘中に初めて動揺を見せた。
何かがフィールド中を駆ける足音だけがする。
その音は、どんどん首だけのスフレへと近寄っている。
次の瞬間、音の主は空中に浮かぶ生首の頬を射止めた。
何かが、生首の頬にめり込む。あれは……拳だ。
「うっっ痛ッー!」——スフレの生首が地上へと落下していく。
頭部が衝突する前に葦が集まりクッションとなり、衝撃を和らげる。
司令塔を守った葦達は、本来あるべき配置へ戻っていく。
手を作り、脚を作り、胴体を作った。
尻餅をつくスフレは、重い腰をゆっくり上げるが——、
見えない打撃がスフレの腹部に衝撃を与え、彼女を数センチ後退させた。
何度も、何度も……何度も何度も、透明な打撃がスフレにダメージを与えていく。
その度に一歩……また一歩とスフレは後ろに下がっていく。
「フラン! このままいけば勝てるんじゃないか!?」——興奮して思わず立ち上がってしまう。
「いいえテッシン。スフレには、まだ切り札があります」
その奥の手を、赤髪のロリは躊躇なく披露した。
「……『人間は、考える葦である——《パンセ》』」