「力なき正義は無効であり、正義なき力は暴圧である」—ブレーズ・パスカル
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100階建ての塔……その最上階にある会議室。
周囲を覆うガラス窓を覗けば、青い地平線しか見えない。
ルナちゃん、フランは円卓の机に横並びに腰かけている。護衛の身分である俺と数名の女性兵達は、彼女達の背後に立つ。
今回ルナちゃんは銀のドレスを、フランはいつも通り髪にカチューシャを付けたままタキシードを着ている。
俺、ルナちゃん、フランの席とは反対側に今回の交渉相手達が座っている。三人の少女達だ。
三人の少女達が、お互い二つ程席を開けて座っている。彼女らの背後にもまた護衛と思わしき女性達が立っている。
「これでメンバーは揃いましたね。主要国会議を始めましょうか」と、フランが口を開いた。
「主要国会議……ねえ。三か国も足りてないんですけど?」——赤髪の少女が異を唱えた。
燃えるような赤髪短髪のロリ……そう、ロリだ。丁度ルナちゃんと同い年くらいの。
太陽の紋様の入ったスーツドレスを着ている。
「他の三か国は『女性支配派』ですから致し方ありませんわ。ワタクシらとお話が通じるとは思えませんもの」——紫色の長い髪の、妖艶な雰囲気のお姉さんが口を開いた。
巨乳で背の高い、少女というよりは美女って感じのお姉さんだ。
彼女もまたスーツドレスを着ているが、胸元が開いていたりスカートがやけに短かったり、スーツドレスというよりはセクシードレスに近い。色仕掛けを狙ったような服装だ。
「そうアルな。我ら『男女同権派』同士でしか対等な会話なんて出来ないアルよ!」
今度は緑色の髪の女性が満面の笑みで口を開いた。
目が開いてるのか閉じているのか分からないような糸目で、何となく腹黒い事を内に秘めてそうな印象。
チャイナドレスを着ていて、どこの国出身かは人目で分かった。
赤髪ロリと紫髪のお姉さんと緑髪の中国人……。この三人がどうやら他国の王のようだ。
フランが「ここにお呼びした王は『同権派』の王のみですから」と注釈を入れた。
フランから俺は前もって聞いていた。現存する7人の王は、大きく二つの派閥に別れると。
異能を手に入れた女性達が男性達を従え、社会の主導権を握るべきという『女性支配派』と、女性が男性と対等になれる力を手に入れた今こそ互いに手を取り合っていくべきという『男女同権派』の二派閥。
金髪ギャルのキルケゴールなんかは当然前者なのだろう。
「俺様ちゃん、てめーらに一度でも『男女同権派』だなんて主張した覚えないんですけど?」——不満そうに赤髪短髪のロリが口を尖らせた。
「私とルナ様が、貴方は『同権派』の方だとみなしたんですよ、スフレ・パスカル」
パスカル……この子はブレーズ・パスカルか? 人間の『直感』を重視した事で有名な?
「俺様ちゃんは、俺様ちゃんが王様になる事以外興味無いっつーの。だってアンタ達の誰一人として『直感』が哲学の本質だとは思ってないっしょ? 俺様ちゃんは、俺様ちゃんの思想を世に広める事しか興味ねーの!」——赤髪短髪のロリは、ふてぶてしく脚を組んで見せた。
「スフレ……ルナ様はアナタの事を我々の味方と見做したからこそ、ここにお呼びしたのですよ」——フランが口調改め、子供を嗜めるような柔らかい声色で彼女にそう言った。
「俺様ちゃんをそんな菓子パンみたいな名前で呼ぶな! 弱そうに見えるだろうが!」
うがーっと牙をむく赤髪ロリ。やはりまだお子様といった印象を受ける怒り方だ。
「俺様ちゃんをこの場に呼びたければてめーらも思想を『直感重視』に改めから呼びやがれっ!」
赤髪ロリがビシッと人差し指を立てた。
これもあらかじめフランから聞いていた事だが、哲学者達はそれぞれ、個別の思想を世に広めたいと考えている。
この世界を牛耳る七人の王様(女王様?)は、男性を支配したい王達と、男性と共存したい王達の二種類に分ける事が出来る。
とはいえ、彼女達の思想はそこまで単純ではない。
ここに揃う『男性との共存』を望む王達は互いに王座を譲る気は無いのだ。何故なら、大切にしている思想が違うから。
内に抱える思想……『人間はどう生きるべきか?』という問いへの答えが違うのだ。
例えば俺の知る歴史上のルネ・デカルトとブレーズ・パスカルは相反する思想を持っていた。
デカルトは『人間は論理に頼って生きるべき』と考えた。それに対し、パスカルは『人間は直感に頼って生きるべき』と唱えた。
論理主義者と直感主義者という点において、二人の思想は相容れなかった。
ルナちゃんの提唱思想が母親譲りの『方法的懐疑』だというならば、その本質は論理主義。
パスカルの直感主義とは正反対の考え方だ。
「スフレ、アナタの気持ちも分かりますが、まずは私達だけでも手を取り合いませんか? ここにいる四人で協力して他三人の王達を討ち取る所から始めませんか? もちろん、彼女達を殺す事はせず、あくまで『哲人王の弁明』の切れ端を奪うだけの形で」
「いーよ、俺様ちゃんが協力してやっても。でもねフラン……俺様ちゃん、アンタん所のナヨナヨしてて弱っちそうな王様の下につく気は無いんよ。……てめーの事だよ、ルナ」
赤髪ロリが、俺の目の前に座る銀髪ロリを見て鼻で嗤う。
「てめーは傀儡よ、ルナ。フランの傀儡。『まだ12歳だから王様の仕事は務まりません』って言い訳するつもり? 俺様ちゃんなんか、てめーと同い年だってのに政務も学業も完璧にこなしちゃう天才少女だってのに。俺様ちゃんに屈して、足舐めながら何でも命令聞くってなら、手を組んでやってもいいけど?」
赤髪ロリの瞳には熱が籠っている。この場において……いいや、七人の王様の中で、彼女ら二人が最年少だ。だからこその対抗意識……ってヤツか?
「つか『合理の国』さんよお……何でこの場に男連れてきてんだ?」
赤髪ロリが俺の方を指さした。
「それ、我も気になってたアルよ」「ワタクシもですわ」
緑髪のチャイナ娘と、長い紫髪のセクシーお姉さんも赤髪ロリに同調した。
「彼の存在こそが、今回皆様をお呼びした理由です」
フランは席から立ち上がり、彼女の背後にいた俺の左側に周ってから、手を差し出して紹介した。
「この男性の名前はテッシン。理力と異能を使える男性です」
その一言で、三人の王と彼女らの側近ら含め、全員が目を丸くして俺を見た。
まるでネッシーかUMAでも見るような……未知の生物を見るような目を俺に向ける。
「歴史上初の男性哲学者アルか?」
「しかしそれが事実なら、彼はワタクシ達にとっての脅威である事を意味しますわ」
「安心してください」——警戒を示すチャイナ娘と巨乳なお姉さんに、フランが俺の立場を釈明する。
しばらく、俺の話が続いた。俺がニーチェの弟子である事。失踪した筈のニーチェがまだ生きている事。ニーチェが俺をルナちゃん達の元に送った意図——つまりニーチェは今、何らかの理由で表舞台に姿を出せないという事。
その全てを聞いた後の三人の王の表情には、疑心が含まれていた。
そりゃそうだ。自分達の闘いの火種となった先代の王が、実はまだ生きていましたとなっては、今までの彼女達の闘いは何だったのか? という事になってしまう。
それに『男性との共存』を望むという意味で四か国は同盟を結んでいると同時に、ルナちゃんと彼女らは、互いに哲人王を目指し合うライバル関係でもある。
つまり三人の王が頭の中で「フランが嘘をついている」と憶測を立てていてもおかしくない。
「ニーチェ先生が表舞台に姿を現せられない何らかの理由って、何だと思ってるアルか?」
緑髪チャイナ娘が手を挙げた。
「いえ……そこまでは……」
「今までのお話、全てそこにいる殿方から聞いたのならば、全て嘘偽りという可能性があるのではないでしょうか?」——おっとりとした口調で紫髪のセクシーお姉さんも口を挟んだ。
「そうアルな。男の哲学者というなら、太陽王ルイの手先かもしれんアルからな」
……ん? 太陽王ルイ? あの中世のフランス国王の?
「いいえ、それはありえません。皆さん、この私、フランの異能をお忘れですか?」
彼女達の疑心を感じとったのか、珍しくフランが動揺を見せた。
「『知識は力なり』……触れた対象の記憶を読み取る異能、ですわね?」
「はい。私の異能で彼の身元は明らかになっています。彼はニーチェ様の味方……我々の味方です」
「まあそれが事実だったとして……何でその男人の存在が我らを集める理由になったアルか?」
「勢力図が逆転した、と私は考えているからです」
フランが指を鳴らすと、彼女の部下がチェス盤を運んできた。
それを円卓机の上に置く。
チェス盤の上の駒は全部で7つ。全てチェスのクイーンだ。
四つの駒が一か所に集まり、残り三つの駒が散らばった位置に配置されている。
「『絶望の国』のセイレーン・キルケゴール……『和の国』の空海16世……そして『啓蒙の国』のエマニュエル・カント……彼女らに勝利する可能性が、このテッシンというカードによって産まれたと私は考えています」
——フランが他国の王の名前を挙げた瞬間、ルナちゃんの表情が険しくなったのを俺は感じ取った。怒り……のような感情が含まれているように見えた。
「先程申し上げましたように、テッシンはニーチェ様の異能を継承し、かつ使用する事が出来ます。今はまだ理力が赤ん坊並みですが、その将来性は計り知れない」
「ニーチェ先生がご存命なのを他の王達に伝えれば、この戦争を終わらせる事ができるのでは?」
紫髪のセクシーお姉さんが提案した。
「一度ついた火を消すのは簡単じゃないアルよ。セイレーンもクーカイもエマも……当然、我ら五人もニーチェ先生の事は尊敬していたアルけど、今更闘いを止められるとは思わんアルよ。だってこう思った事はないアルか? 『ニーチェ先生の思想よりも自分達の思想の方が優れている』って」
緑髪のチャイナ娘が何かを企むような笑みを浮かべた。
「確かに、貴方の言う通りかもしれませんわね。哲学者は皆、プライドが高いですもの。例え師であれ、その思想を否定し、己が思想を世に広めたい……そう考えてこそ本物の哲学者ですわ」
紫髪のセクシーお姉さんもまた、得心したように不敵な笑みを浮かべた。
二つの国の王が、好戦的な笑みを浮かべている。
哲学者とは……思想を用いた闘争者、なのだな……。にいなさん……ニーチェは彼女達の師匠だったのかもしれないが、もう彼女の存命の事実すら闘いのストッパー足り得ない。
誰かが三代目哲人王になるまで、この戦争は終わらない。
「——つかニーチェの事なんてどうでもいいんだよね、俺様ちゃんにとって」
皆が師と仰ぐ人物をタメ口で呼んだのは、赤い短髪のロリ……スフレだった。
「俺様ちゃんとルナはニーチェが居た頃まだ2歳だったから、あの人の事良く覚えていないし。母親がニーチェの弟子だったってだけでさ、大して絡み無いんだよねー」
脚を組みながら両手を頭の後ろで組むスフレのその姿は、舐め腐ったガキという印象だ。
「重要なのは俺様ちゃんより強いかどうか……それだけだし。こんな会合開くくらいならさ、武道会でも開いて白黒つけたほうが早いと思うんだよね~。負けた奴が一位になった奴に従うって感じにさ~」
(他の王様と比べてやっぱり子供だな)と俺は思った。
ルナちゃんと同い年という事は、この子はまだ12歳かそこらだ。12歳の少女に政治の事なんて分からないのだろう。
「この4か国の同盟……仕切る事になるとしたらてめーだよね、ルナ?」
スフレが試すような笑みを作りながらルナちゃんに問うた。
ルナちゃんは困惑した表情を浮かべるだけで、スフレに何も言い返さない。
「俺様ちゃんと戦ってよ、ルナ」——スフレはルナに向けて手招きした。
次に窓ガラスの外を指さす。彼女の指の先は、遠くにあるコロッセオを差していた。
「この塔から10キロ先にコロッセオがある。あそこでバトろうよ。俺様ちゃんが負けたらてめ―の下についてやる。俺様ちゃんが勝ったら、てめーが俺様ちゃんの下につけ」