第1章 - 桐生
桐生はガラスが砕ける音で目を覚まし、飛び起きて見ると目覚まし時計が床に散らばっていた。彼は頭を押さえながら、またしても寝ている間に時計を壁に投げつけてしまったことを悟り、ため息をついた。
「最高だな…」彼は独り言をつぶやき、布団から足を下ろした。「素晴らしいスタートだ。」
ベッドから体を引きずり出し、桐生は浴室へとふらふらと向かい、薄暗い光に目を細めながら顔に水をかけた。だが、壁に掛かっている別の時計を見て、彼はすでに遅れていることにすぐ気づいた。パニックが一気に襲い、彼は急いで朝の支度を始めた。
棚からインスタントラーメンの袋をつかみ、桐生は慌ただしくお湯を沸かして袋を破った。朝食は豪華なものではなかったが、手早く済ませることが今は何より重要だった。ラーメンをすすりながら、彼はその熱さに顔をしかめたが、時間がないことを知っていたため、無理やり食べ続けた。
再び壁の時計を一瞥すると、彼はまだちゃんとシャワーを浴びていないことに気づいた。顔をしかめながら冷水を浴び、冷たい針のような感覚に身震いした。彼は素早く体を洗ったが、昨夜の汗と体臭を完全に落とすことはできなかった。それでも、少なくとも眠気は覚めた。水を止め、急いで着替えた桐生は、アパートを飛び出した。
廊下で大家のリスさんとぶつかりそうになった。
「おはようございます、リスさん。」桐生は無理に笑顔を作りながら、年配の女性をよけようとした。
大家の表情は全くもって友好的ではなかった。
「また水道代が滞納してるわよ、桐生さん。」彼女は苛立ちを込めて言った。「前にも警告したでしょう。すぐに払わないと、止めるわよ。」
桐生の心は沈んだ。彼は支払いが遅れていることは知っていたが、ここまで深刻になっているとは思っていなかった。
「すみません、リスさん。」彼は罪悪感を感じながら言った。「明日にはお金を用意します。給料日なんです。」
大家の険しい表情は少し和らいだが、脅しは依然として残っていた。
「そうしてもらわないと困るわ。」彼女はぶつぶつ言いながら廊下を歩き去った。
義務の重さを感じながら、桐生は急いで建物を出た。彼の頭の中では、滞納された請求書や迫り来る締め切りのことがぐるぐると回っていた。今日の始まりは厳しいものだったが、彼は前に進まなければならないと自覚していた。深呼吸をし、人ごみをかき分けながら、肩を引き締め、動き始めた。彼は状況を好転させる決意を胸に秘めていた。
雑踏を抜け、息を荒げながら桐生は駅に飛び込んだ。彼は膝の痛みを無視して、アドレナリンの力で駆け込んだ。すぐに切符を買い、プラットフォームへの道がまだ空いていることに感謝した。
だが、プラットフォームにたどり着いたとき、彼は目の前で電車のドアが閉まり、電車が自分を置いて出発するのを無力に見送った。
「やっぱりか…」彼は小さな声でつぶやき、腹の底からフラストレーションが沸き上がるのを感じた。すでに午前7時、そして彼は遅刻する現実を受け入れるしかなかった。諦めのため息をつきながら、彼は携帯電話を取り出し、上司の番号をダイヤルした。予想される叱責に身構えながら。
「おい、桐生だ。」まだ体に残るアドレナリンを抑えようとしながら、彼は声を平静に保とうとした。「電車に乗り遅れたんで、少し遅れると思います…」
電話の向こうからは上司の怒声が次々と飛び出してきた。その苛立ちが伝わってくる言葉の数々に、桐生は歯を食いしばり、徐々に自分の中でフラストレーションが高まるのを感じた。反論したい、弁解したい気持ちが湧き上がってきたが、そうしても状況が悪化するだけだとわかっていた。
「すみません、本当に申し訳ありません。」と、上司の怒りの言葉を遮るように言った。「でもご心配なく、すぐに向かいます。」
電話を切ると、桐生は怒りと疲労感が混ざり合い、一気に押し寄せてきた。何か眠気を吹き飛ばすものが必要だった。圧倒されそうな疲労感に抗うためにも、目を覚まさせる何かが欲しかった。近くにコンビニを見つけ、彼はすぐに向かい、朝を乗り切るためのカフェインを求めた。
エナジードリンクの缶とタバコのパックを手に取り、桐生は再びプラットフォームに向かった。缶を開けて一口飲むと、甘くて炭酸の効いた液体が喉を焼くように下りていき、鋭いカフェインの刺激で一気に目が覚めた。タバコに火をつけ、そのニコチンが張り詰めた神経を少しだけ落ち着かせるのを感じながら、彼は歩道を歩き続けた。
歩いていると、桐生は別のスーパーの前にたむろしているティーンエイジャーのグループに目が留まった。彼らの笑い声は大きく、自由気ままだった。朝早いにもかかわらず、彼らはビールの缶を回し飲みしており、その若々しい顔は興奮で赤らんでいた。桐生は彼らを見て、胸の中に苦々しい感情が湧き上がるのを感じた。
「いいよなぁ…」彼は苦々しく思いながらタバコの煙をもう一度吸い込んだ。「責任もない、請求書もない。ただその瞬間を生きてるだけか。」
だが、彼らの自由気ままな生活を羨ましく思いながらも、桐生は心の奥底で知っていた。それは一時的なもので、やがて成人の厳しい現実が彼らを追い詰めることになると。世界は冷酷で容赦のない場所であり、いずれ彼らもそれを思い知ることになる。すぐに彼らも自分のようになり、平凡な生活を送り、無名のまま死んでいくのだと。
駅のコンクリートの柱を通り過ぎると、桐生は近くで交わされている会話が耳に入ってきた。すぐそばに立っていた二人のサラリーマンが、タバコを吸いながらそれぞれの仕事について不満を漏らしていた。
「もう限界だよ。」一人がフラストレーションを感じたように言った。「絶対リストラされるに違いない。もう忠誠心なんて何の意味もないんだ。」
桐生は黙ってうなずいた。彼自身、会社のリストラを何度も経験しており、その言葉には痛感するものがあった。以前の会社では、最優秀のエージェントだったにもかかわらず、何度もリストラの対象になった。今の競争の激しいビジネス世界では、忠誠心などほとんど意味がなく、最も献身的な社員でさえ、雇用主の目には使い捨てに過ぎないのだ。
苦い表情を浮かべながら、桐生はもう一度タバコの煙を吸い込んだ。その煙の苦味が舌の上に残る。これは彼が何年も前に覚えた習慣で、仕事のストレスや不安に対処するための方法だった。しかし、タバコを吸いながらも、重苦しい雲のように心に漂う諦めの感覚を振り払うことはできなかった。
桐生は、リストラと不確実性のサイクルから逃れるために、仮想ゲームに没頭していた。現実世界で気が狂いそうになるのを唯一防いでくれるものだった。いつものように、桐生は終わりのない電話と苦情に追われる日々を送り、日常が単調なぼんやりとした連続に溶け込んでいった。
つまらない人生。
そして多くの元同僚と違い、桐生には家族も親戚もいなかった。支えるべき人もいない、誰も彼に頼っていない。確かに孤独な生活だが、ある意味でそれは彼にとって安堵でもあった。誰にも答える必要がないし、誰かを失望させる心配もない。
桐生は頭を振ってその考えを追い払い、今目の前にある仕事に集中した。やらなければならない仕事があり、払わなければならない請求書があり、果たさなければならない責任がある。羨ましさや自己憐憫に浸っている時間などない。最後にもう一度タバコの煙を吸い込んでから、彼はその吸い殻をかかとで踏みつけた。そのとき、エリア内での喫煙を警告する看板に気がついた。
「ルールを守れ、だと。」彼は自嘲気味に呟いた。「そうすりゃ成功できるってか。」
ポケットに手を突っ込み、彼は苛立ちを紛らわすためにユーチューブのフィードを少し見ようとスマホを取り出した。しかし、前の晩にスマホを充電し忘れたことに気づき、心が沈んだ。バッテリー残量は危険なほど少なく、もう長くは持たないことが分かっていた。
電子掲示板に目をやると、次の電車が来るまであと30分ほどあった。仕方なく肩をすくめ、駅の一角に並んだ充電ブースに向かい、ベンチに腰掛けてスマホを充電しながら待つことにした。
スマホが充電されるのを待ちながら、桐生はぼんやりとユーチューブをスクロールし始めた。料理チュートリアルの動画や、ヨーロッパ、南米、アフリカでの戦争勃発のニュース、政治的対立やプロパガンダが飛び交うツイターの話題、そして猫のミームを見ながら、彼の思考は次第に漂っていった。しかし、彼の目を引いたのは、新作MMOゲームのトレーラーだった。派手な映像が次々と流れ、海賊たちが勇敢に冒険を繰り広げていた。
桐生は半ば呆れながらその動画をクリックし、演出過剰な映像を見ながら口元に皮肉な笑みを浮かべた。
そのゲームは「BareXBones」と呼ばれ、西洋の有名なトリプルA企業「YouBeHard」からリリースされる予定だった。CEOが「史上初のAAAAゲーム」と誇らしげに説明する部分に、桐生は思わず笑い出し、彼を心の中で嘲笑した。タイトルの説明を聞いた瞬間、そのゲームの低品質さが容易に想像できたからだ。
そして、予想通り、動画の途中でついにゲームプレイが明らかになると、桐生の見立ては正しかった。そのゲームは会社の次の失敗作になるだろうとすぐにわかった。それでも、その無味乾燥なゲームプレイにもかかわらず、コンセプト自体は興味をそそるものだった。
「革命と自由、だって?」彼は嘲笑しながら頭を振った。「むしろ無秩序と無法だろ。」
彼はこの失敗作になりそうなゲームを嘲笑しながらも、どこか懐かしさを感じずにはいられなかった。
桐生はいつも、反逆や抵抗の物語に惹かれてきた。社会の束縛を振り払い、自分の思うままに自由を切り開くという考えに心を動かされていたのだ。
しかし、彼はその開発者の一人がゲームプレイを紹介する際に「これまでの海賊像は忘れろ!このゲームは全く違うんだ!」と言った瞬間に、興味を失ってしまった。海賊を題材にしたゲームを作っている開発者からそんな馬鹿げた言葉を聞くなんて、桐生には滑稽に思えた。
桐生の思考は、自分の最近お気に入りのゲーム内でのバーチャルな冒険に戻っていった。オンラインの仲間たちと共に、彼がレイダー(略奪者)として遊んでいた時のことを思い出した。ステーションを襲撃し、無謀に当局をかわしながら逃走するスリリングな体験だった。
しかし、その興奮も次第に薄れ、最終的には、彼らは農夫や建設者、そして商人としてゲーム内の広大な仮想世界に戻っていった。それは彼にとって、彼らの性格を反映しているように見えた。
今、充電ブースの席に座り、外の世界をぼんやり眺めながら、桐生はあの興奮を再び取り戻すことができるのか、ふと思った。また海賊として遊ぶという考えが彼を魅了し、次にゲームにログインする際に試してみようと心の中で決意した。
桐生はスマホを充電用のロッカーに入れ、座席に腰を落ち着けた。そして、少しの仮眠を取りながら、昨夜の出来事を思い返そうとした。
彼は、暗い部屋の中でコンピュータの画面が放つ柔らかく不気味な光を思い出した。机に身を寄せ、慣れた手つきでキーボードを叩いている自分の姿を想像した。すでに深夜を過ぎていたが、桐生は時間が過ぎるのも忘れるほどゲームに没頭していた。この一週間、彼は毎晩遅くまで起きて、熱心にお気に入りのゲーム『Pitch Black Void』に取り組んでいた。
このゲームは、他にはないスペースシミュレーションだった。FPS要素、X4、RPG、シミュレーション、ハードなSF、そしてサンドボックス探索が、マルチプレイヤーや協力プレイと融合した壮大な作品だ。
そして最も美しい特徴は、ゲーム内で既知の全宇宙を1対1のスケールで描写している点だった。
そのゲームを初めて見たときから、桐生はその世界観に完全に心を奪われ、リリース後は無数の時間をその広大な仮想宇宙で過ごしていた。
しかし昨夜、桐生はただゲームをプレイするだけでは満足できなかった。
昨夜、彼はゲームに改造(Mod)を施すことを決意したのだ。すでにゲームのバニラ機能とキャンペーンはすべてクリアしてしまい、退屈になっていた。そして、ゲームを改造することで、そのポテンシャルが無限大であることに気づいた。開発者たちのビジョンを超えて、ゲーム内で可能なことの境界を押し広げるのだ。
まずはユーチューブのすべてのチュートリアルと説明動画を見て、改造を始める方法を学んだ。それからオンラインフォーラムやモッダーのコミュニティに足を運び、彼らの知見を求め、指導を仰いだ。数週間かけてすべてを学び、ついに最初の改造に成功した。それは、NPCがプレイヤーの行動に対して反応を変えるというものであった。
そして、桐生はさらに大きな改造に挑むことを決めた。
コードを一行書き、スクリプトを編集し、ゲームのメカニクスを微調整するたびに、彼はこれまでに感じたことのないような興奮を覚えた。
この新しい趣味は、彼にとって唯一の楽しみとなり、残業をしてまで新たな資産やプログラムを購入し、それを支援していた。
数か月にわたる苦労の末、昨夜ついにすべてを完成させた。その時の感覚を桐生は鮮明に思い出していた。椅子に深くもたれかかり、満足げにため息をついた後、画面を眺めながら自分の創り出した世界を愛おしむように見つめていた。ほとんどの改造は控えめではあったが、ゲームの印象的な機能をさらに強化し、プレイや宇宙に新たな深みを与えるものだった。
NPCたちはよりリアルになり、新しい勢力や技術ツリーを追加し、元のバニラバグを修正、未発見の星系を自動的に追加するシステム、新しい武器、UIのアップデート、ゲームメカニクスの改良、そして彼が好むニュートン力学を取り入れたハードなSFの要素まで組み込み、最終的にはゲームエンジンを改良して、これらすべてを処理できるようにした。
フォーラムでやりとりしていた人々の中には、彼が創り上げた機能を披露したとき、「ほとんど新しいゲームを作ってしまったじゃないか」と笑う者もいた。しかし、桐生がプレイ動画を公開すると、彼らの関心を引き、数百件の「Modを公開してほしい」というリクエストが届いた。しかし、桐生自身は自分の創造物を楽しみたいという欲望が強く、まだ公開するかどうかは決めていなかった。
仕事から帰るたびに、自分の手で作り上げた改造を実際に動かしてみるのが楽しみだった。桐生はロード画面が消え、再び宇宙の果てに飛ばされるあの感覚を思い出していた。瞬く星々が無限の空間に広がり、その壮麗な光景が彼を包んだ。幸いなことに、セーブデータは彼の改造と互換性があったため、進行をあまり気にせずに、新しい要素を試し、実感することができた。彼はすでに、銀河の中で一国を倒すほどの力を持つ輸送王だった。
また、彼の大規模な子会社ネットワークが星系全体を彼の輸送帝国に依存させるほどの影響力を持っていた。
満足感を味わった後、桐生は新しい人生を始めることを決めた。意図的に自らの輸送帝国から身を引き、ゲーム内で人類の誕生地であり、協力プレイをする際に友人たちとよく集まる場所でもあるソル星系に戻った。彼は、採掘オペレーターの1つから中型の採掘船を手に入れ、まだ試していない改造をテストするための時間と空間を確保することにした。そして彼は、ソル星系の小惑星帯の片隅にその場所を見つけた。
次に何をするかを考えていたとき、彼はもう一つ追加していたものを思い出した。
夢の船だ。
それをコンソールコマンドを使って召喚することができる。桐生はその存在を実際に感じることへの期待が高まっていくのを感じた。もともとは自分の会社が建造できる設計図としてゲームに追加したものだったが、あまりに楽しみで設計図を自分の造船所に置き忘れてしまったのだ。しかし、それを個人的に早く見たかったので、彼はシステムを「チート」して召喚することに決めた。
必要なコードを打ち込み、待ちきれない様子でENTERキーを押すと、突然彼の船の周囲で空間が歪むのが見えた。
しかし、彼がその偉大な報酬を目にする前に、スキャナーから警報が鳴り響いた。接近してくる強襲ポッドが彼の採掘船に向かっていたのだ。攻撃者たちの正体に困惑しながら、彼はすぐに強襲ポッドをスキャンした。
だが、スキャンするまでもなく、ホロディスプレイにはさらに多くの船が現れた。船体の上に統一感のない奇妙な形状の装甲をまとった、数十隻の船が表示されたのだ。
彼のささやかな採掘船に向かって、黒く滑らかなそれらの船が殺意をもって降下してきた。しかし、その装甲の混沌としたデザインと衝角の中で、彼は1つの特徴的なマークを見つけた。
ピンクの頭蓋骨に、眼窩の中でうねる漫画風の蛇。
海賊の紋章だ。
その瞬間、彼は思い出した。コンソールで召喚しようとしていた新しい船を攻撃しないように、彼の船の対空防衛砲を無効化していたのだ。しかし、防御の準備をするために再びシステムをオンにする前に、彼の船の船体は強襲ポッドによってすでに貫通されていた。
そして攻撃者たちは彼をすぐに制圧し、彼自身の船の拘束室に閉じ込めた。これは非常に皮肉な運命だった。ちょうどゲームの世界にのめり込んでいたところで、桐生は現実に引き戻されたのだ。
その時、彼は小声で悪態をつきながら、胃の底が沈むような感覚と共に、あと数時間で仕事に行かなければならないことに気づいた。彼の心の中では、後で仕事が終わったらログインし直して、その海賊たちを殺すことを誓っていた。
ゲームから離れるのは渋々で、桐生は進行状況をセーブし、コンピュータをシャットダウンした。画面の光が消え、彼が椅子にもたれかかると、疲れが潮のように押し寄せてきた。
その後、ほぼ満充電のスマートフォンから警報音が鳴り、桐生は目を覚ました。ステータスバーを確認すると、すでにバッテリー残量は85%になっていた。彼はホームを見渡し、まだ電車が来ていないことを確認した。
ほんの少し目を閉じたばかりのところに、駅のアナウンスが部屋の静けさを破り、鋭い音で意識を引き戻した。桐生は目をこすりながら、椅子から立ち上がり、面倒ながらも準備を始めた。充電ブースからスマートフォンを外し、ゆっくりと近づいてくる電車に向かって歩き出した。
しかし、彼の心は昨晩プレイしていたゲームに引き戻され続けた。一時的にでもゲームを離れることが、不安と喪失感を彼に与え、何か重要なものを逃しているのではないかという感覚に囚われた。
桐生は、にぎやかになったホームに立っていた。透明なクリスタルの天井を見上げると、デジャヴのような感覚に襲われた。
曇り空が頭上に広がっていた。まるで昨日のことのように、ちょうど1年前、彼はこの同じ道を歩いていた。仕事を失い、将来に対して不安を抱いていた。そして今、彼はまたこの場所に立っている。最後に解雇されてから、これで7つ目の仕事。まるで残酷な運命のいたずらのように、不確実なサイクルが繰り返されていた。
彼はそのすべての皮肉さと、世界が彼を容赦なく追い詰めていくことの不条理さに、苦笑いを浮かべるしかなかった。
考え事にふけっていた桐生は、いつの間にかタバコの箱を全て吸い終えていたことに気づき、ハッとした。空になったパックを近くのゴミ箱に投げ入れ、ため息をつくと、電子掲示板に目をやった。ようやく電車が到着したことにホッとしながら、群衆の鈍いざわめきが耳に入ってきた。桐生は、この終わりのない失望と幻滅のサイクルに終わりは来るのだろうかと、ふと考えずにはいられなかった。
到着した電車の馴染みのあるチャイムが駅に響き、混乱したラッシュアワーの始まりを告げた。扉が開くと、砂漠の中の遠いオアシスのように彼を誘う、混雑した車内が目に入った。
しかし、彼は自分の体に異変を感じた。まず、世界が耳鳴りで満たされたように感じた。その直後、体が軽くなりすぎて、立っているのが難しくなった。そして、足が言うことを聞かなくなり、頭の中を突き刺すような痛みが襲った。
突然のめまいに歯を食いしばりながら、桐生は近くの椅子にしがみつき、必死に立ち続けようとした。視界が揺れ、全身の筋肉が「この電車に乗らなければ」「痛みと疲労に耐えて、なんとか仕事に行かなければ」と叫んでいた。しかし、体は言うことを聞かなかった。
弱々しい苛立ちの声を漏らしながら、桐生は足元が崩れ、筋肉が震え、立っていることすら難しくなっていた。彼は閉じかけた電車の扉に向かって必死に手を伸ばしたが、無駄だった。瞬く間に力が尽き、彼はその場に崩れ落ちた。
パニックが桐生の体中を駆け巡り、胸に鋭い痛みが走った。息が荒く、短くなり、叫ぼうとしたが、口から漏れたのはかすかなうめき声だけだった。そして、温かく湿ったものが口の中に広がるのを感じた。
次の瞬間、桐生は血を咳き込み、金属的な味が舌に広がった。その瞬間、周囲が暗闇に包まれていくのを感じた。視界はぼやけ、世界が回り続ける中、必死に意識を保とうとした。
だが、それは無駄な抵抗だった。
そして、まるで慈悲深いかのように、すべてが真っ暗になった。