第1,5章 第3話「望んだ力、望まぬ力 ―後編―」
リュネが外へ出ると、空は既に紅蓮の赤に染まっていた。
辺りに人影はない。
元々大通りからは遠く離れているため、普段もそれほど多いというわけではない。
しかし、眩い光とともに遠く微かな喧騒を運んでくる赤き虚空とは対照的に、真っ黒で光の1つもなく、まるで自分だけが世界から切り離されたのではと錯覚させられる。
その光景は、どこか異様な不気味さを放っていた。
それにいても立ってもいられず、リュネは駆け出した。
大通りに出ると、人々が逃げ惑っていた。
人々が逃げるのは、数十人もの、卑下た笑みをその顔に貼り付けた男達。
家屋に押し入って金品を奪う。
男は殺し、女子供は縛り上げて何処かへと連れて行く。
まさにやりたい放題。彼らが、噂の山賊団なのだろう。
どうやら屋敷を襲撃するだけでは飽き足らず、町にまで繰り出してきたらしい。
襲撃を受けた家屋は無惨にも崩れ落ち、放たれた火が残骸を燃やしつくし、夜空を彩る紅蓮の装飾をまた1つ、また1つと増やしていく。
その悪魔のような所業に憤りを覚えつつ、リュネは男達に見つからないよう、裏路地から屋敷を目指した。
まだ暗闇に慣れない視力を総動員して、幾度となく転びそうになりつつも懸命に石畳を駆け抜ける。
たとえどうしようもない連中であろうとも―――――一時でも家族であった者達を、救うために。
そうしてリュネが漸く屋敷に辿り着いた時には、屋敷は既に火の海だった。
庭では山賊と戦ったと思われる警備兵が赤き血潮を地に染み付かせて息絶えており、屋敷からは少し離れたところにある倉庫までも、炎に包まれている。
あわよくば混乱に乗じて薬を入手できるかもしれない、と考えていたのだが、仕方ない。そう気持ちを切り替え、リュネは再び駆け出す。
地面に倒れ伏し事切れている警備兵の間を身軽に駆け抜け、リュネはごうごうと燃え盛る屋敷の中へ足を踏み入れた。
しばらく進んでいくと、まだ息をしている人間が2人、いた。
1人はこの屋敷の主人。この嫌味に満ちた顔は、そうそう忘れるはずもない。
そしてもう1人は、大きな大剣をその肩に担いだ、筋骨隆々な逞しい体をレザーアーマーで覆い隠した大男。
直感で、リュネはこの男こそが山賊団の親玉だろうと結論付けた。
「いい加減くたばっちゃくれねえかね? 俺としては、あんたの家が造ったという薬と金がほしいだけなんだよ。それだけで命が助かるってんだ。な、いい話だろう?」
「だ、だから、薬は全部お前に渡した! か、金もだ! だ、だだだだから、命だけは助けてくれえええぇぇぇぇ!」
恥も外聞も投げ捨てたか、主人の男はそう大男に懇願する。
その様子からは、ついこの前まで彼女が対面していた男の面影は微塵も感じられなかった。
そんな状況に大男は盛大な溜め息をつくと、主人の男の下に歩み寄り胸倉を掴み上げる。
「そんな台詞はさっきから何百回って聞いてんだよ。いいか、隠そうったってそうはいかねえ。解ってんだぜ? お前がまだ残りの薬や財産をどっかに隠してるのはな」
そうドスの利いた声で言うと、大男は主人の男を前へ投げ飛ばす。
壁に激突し、主人の男は咳き込んだ。
「全部出せばいいだけなんだぜ? あんたのようなアホ貴族にも解る、実に単純明快な取引だろう? なあ。命あってのモノダネというだろ。さっさと渡してもらおうか」
そう、再び声を落として、迫力をこめて大男は尚も主人の男を脅迫する。
普通の人間であれば、ここで大人しく資財を差し出すだろう。
誰しも命は惜しいもの。
たとえ全財産を失い路頭に迷うことになっても、死ぬよりは遥かにいい。
そう考えるだろう。
それが当然の反応。
人間として―――――否、生物として、その命を守る防衛本能だ。
だが、主人の男は残念ながら、その枠組みに当てはまらなかったようだ。
「私は知らない! 何も知らないいぃぃぃぃぃぃ!」
主人の男は既に、権力と財力の虜になっていた。
そしてその欲は、自らの死を目の前にしても揺らぐことがないまでに、彼の精神を蝕んでいたのだ。
主人の男の愚かな返答に、大男は再び盛大な溜め息をつくと、担いでいた大剣を下段に構える。
「そうか。なら仕方ねえな」
そう言って、大上段に大剣を振り上げる。
「このままくたばれや」
無情にも振り下ろされる、破砕の一撃。
しかし、それは主人の男を切り裂くことはなかった。
「何っ………!?」
大男の体が僅かに傾き、主人の男の脳天をかち割るはずであった大剣は、そのすぐ横の床に叩きつけられ、それを大きく抉る。
「…………何のつもりだ、ガキ?」
大男は、ぎろりとリュネを睨んだ。
それに怖気づき、逃げ出したくなる足を叱咤して、言い放った。
「わ、私の家族を傷つけないで」
「は………………?」
大男はリュネの言葉にややぽかんとし、やがて―――――。
「………くくくくく……。ハア―ハッハッハッハッハッハ!」
大声で笑い出した。
「家族! いや、家族ねぇ………くくくくく」
「な、何が可笑しいの!?」
「はっはっは、いや何、お前も随分不憫なやつだと思ってな?」
大男はそう言って、仕留め損ねた男の背を顎でしゃくる。
「助けられた恩も忘れて、自分だけ逃げ延びようと家族とやらを捨てるのが、人間のすることか?」
「それでも、私はあの人にはたとえ1年だけでも寝る場所とご飯をもらった恩があるの! 今度は私が―――――」
「助ける、ってか? そういうの、偽善って言うんだぜっ!」
大男は不意に駆け出した。
その巨躯からは想像できないほどの脚力を以ってリュネへ一気に肉迫し、反応することすら許されず固まっているリュネの首を掴み、絞め上げる。
「ぐ、がああああぁぁぁ…………」
「仲良しごっこは結構なことだがな、お前はみすみす逃したんだよ。あんな屑野郎のために、てめえが生き残る可能性をな。苦しいか? 死ぬのが恐いか? だが残念。自業自得だ」
そう言って、大男は絞める力を一層強めた。
ややあって、抵抗していたリュネの手はだらんと力なく垂れ下がる。
その上で大剣の切っ先でリュネの腹を突き刺すと、今度こそ彼女は動かなくなった。
「ふん、漸くくたばったか。しっかし、あいつを早くとっ捕まえねえとな。遠くに逃げられたら面倒だ」
床に投げ捨てるように放り投げられたリュネが薄れゆく意識の中で最後に見たものは、大剣を担いで悠々と出て行く大男の後姿だった。
ここは、どこだろう。
真っ暗で、熱い。
これが『彼』の言っていた、地獄?
とすると、自分はあの世へ来てしまったのだろうか。
それにしても、熱い―――――。
「おい。しっかりしろ」
不意にそんな声が聞こえてきた。
同時に、ぺちぺちと頬を叩かれる感覚。
何事だろう。
今、起きるから―――――。
そうして目を開けると、そこは屋敷の庭だった。
「どう、して………?」
リュネは突然の事態を理解できず、起き上がろうとする。
半分は反射的な行動。
しかし―――――。
「えっ、起き上がれない?」
体に全く力が入らない。
それに、なんだか感覚もなくなってきている。
「無理をするな。応急措置はしたが、もうおそらくお前は助からんだろう」
そう、唐突に聞こえてきた声に、リュネの目は驚愕に大きく見開かれた。
それは自分が恋焦がれた、待ち望んでいた男の声。
「どう、して…………?」
2回目になる問いを、しかし先程より多大な驚愕を秘め、リュネは男に訊ねる。
ありえない。
『彼』がここにいるなど、そんなことが―――――。
「ありえない、という顔をしているな。言っておくが、間違ってもお前の様子を見に来たなどという勘違いを起こすなよ? 俺は俺の目的のために戻って来たに過ぎん」
そう、近くの建物の残骸の上に腰を降ろした男がすました顔で説明するが、リュネの表情は歓喜に満ちていた。
これで、もう思い残すことはない。
恋焦がれた人に看取られて死ねるなど、自分はなんと幸運なのだろうか。
死に直面しているにも関わらず、リュネの心に恐怖は全く感じられなかった。
「ふん、もう何もこの世にゃ未練はねえって顔しやがって。清々しすぎて腹が立つな。こっちは死にたくても死ねないってのに」
そう言う青年の顔にはしかし、怒りはない。
だから、と一旦間をおいて、青年は続けた。
「お前をそう簡単には殺さない。何故お前をあの時助けたか解るか? それは俺の道連れにするためだ。だからこそ、お前が先に逝くことは許さん」
青年は立ち上がり、懐からナイフを取り出すと、自分の掌を斬りつけた。
途端に血があふれ出し、青年はそれを瓶に詰める。
「これが何だか解るか?」
もはや喋ることもできないのか、リュネはただ真っ直ぐに青年を見つめて首を横に振る。
「これは俺の生き血だ。それもただの血ではない。これを飲めばあらゆる傷や病を治す。だが、ただでとはいかん。お前が払う代償は、たった1つ………」
青年の言葉をあおるように、炎が風に吹かれて一層強く燃え上がる。
「………それは、お前の一生だ。これを飲めば常人を遥かに凌駕する力を得られる代わりに、寿命を何千年までに引き上げる。その意味がわかるか? つまりだ。お前がこれを飲めば、永遠とも思える生き地獄の中で、それでも死ぬことも許されず、ただその時を待つしかない。これを聞いて尚、お前にその覚悟があるのなら、これをやろう」
突拍子もない話。
青年の語ったことは、普通の人間であるならば、信じようともしないほどの夢物語だろう。
だが、彼はリュネの最も信頼する人物。
そして、彼は一度も彼女に嘘をついたことはない。
彼女が彼の話を信じるには、それだけで十分だった。
しかし、これはまさに究極の選択。
ここで死ぬか、それとも強大な力や命と引き換えに、生き地獄を味わうか。
だが、リュネの心は決まっていた。
次の瞬間、死に迫っている体で、リュネは大きく頷いた。
決意の炎を、その瞳に宿して。
「……………いいだろう」
青年はリュネの下へ歩み寄り、瓶の中の紅い液体をリュネの口に流し込んだ。
鉄の味が滲むその液体を、少しずつ嚥下していく。
瞬間、リュネの体を熱い何かが駆け巡る。
『それ』は肉を焼き、骨をとかし、それでも飽きたらんとばかりにリュネの体内を貪り、うねる。
そうして、どれほどその苦しみを味わっただろうか。
不意に、それまで感じていた熱さが消えた。
「終わったか。体を動かしてみろ」
言われたとおりに起き上がり、体を動かしてみる。
命の危機に瀕していたのが嘘のようになんともない。
それどころか、以前よりも遥かに軽く、力強くなっていた。
すると、命の危険が去ったところで、
「薬は? 薬はどこ?」
「薬だと? これのことか?」
青年の手に握られていたのは、確かにリュネが探していた薬だった。
「それ、それを私に頂戴!」
「別にいいぞ。俺の探していたものとはまるで違ったからな。だが、そんなもんをどうするつもりだ?」
「病気で苦しんでいる人がいるの! この薬で早く助けてあげなきゃ………」
「そうか」
何を言うでもなく、青年はそれだけ言うと、立ち上がる。
「どこへ行くの?」
「お前も立派にやっていけるようだし、もうこの町に用はない。また旅に出る」
「じゃあ………じゃあ、町の出口で待っていて! お礼がしたいの!」
「………わかった」
青年がその場を去っていくのも見ずに、リュネは駆け出した。
これで、あの女性を治すことが出来る。そう信じているから。
リュネは未だ燃え盛る町の中を疾走し、ただひたすらに女性の家を目指した。
そして、ついに辿り着き、寝ているのも構わず勢いよくドアを開け、中へ入る。
女性の下へ駆け寄る。
だが。
「…………………っ!!?」
女性は、ベッドの中で息絶えていた。
正確には、殺されていた。
女性のものと思われる夥しい量の血が、辺りに飛び散っていた。
夢中になっていて気付かなかったが、家の中も荒れに荒れていて、金品だけが綺麗さっぱりなくなっていた。
おそらく、山賊の襲撃に遭ったのだ。
リュネは家を飛び出した。
ただ、事実をそうと認めたくなくて。
ただ、失った喪失感に耐えられなくて。
リュネはひたすらに走った。
いつしか雨が降り出し、その雨が炎を消し再び辺りに夜の闇が戻ってきた頃。
走り疲れて膝を折ると、目の前には青年が立っていた。
「…………どうした?」
リュネは、涙ながらに全てを打ち明けた。
青年の方も、悲劇の少女の独白を、一言も発さずに黙して聞いていた。
やがて全てを話し終えると、青年は口を開く。
「………それで? お前はどうしたい?」
「解らない………解らないよ…………」
「自分の心の声に正直になれ。何をすべきかじゃない。何をしたいかを聞いてるんだ。…………もう一度訊くぞ? お前は、どうしたいんだ?」
青年の声にリュネは泣くのをやめ、顔を上げた。
そこにあるのは、涙と雨に濡れた困惑の表情の中に、何かを成したいと願う瞳。
「私は………生きてみたい。普通の女の子みたいに、生きてみたい」
「なら、それを助けるのは俺の役目だな」
そう言って、青年は手を差し出す。
「来いよ。どこまでも、連れて行ってやる」
困惑の表情を浮かべたリュネ。
しかし、彼女の心はもう決まっていた。
「ありがとう」
そう言って、微笑みながら彼女はその手を取ったのだった。
「あ………れ……?」
気がつくと、最初に目に飛び込んできたのは見慣れぬ天井だった。
「あ……私、寝ちゃったんだ」
そういいつつ、眠気眼を擦りながら起き上がる。
どれほど眠っていたのだろうか。そう思い、リュネは窓から外を見渡した。
外は真っ暗。どうやら、夜まですっかり眠り続けてしまったらしい。
それにしても―――――。
「今更、あの時の夢を見るなんてね………」
焼きでも回ったかしら、と呟いて、リュネは洗面所へ行って顔を洗った。
さすが、紛い形にも貴族の屋敷。部屋に完備してある辺り、財力の高さが伺える。
コップに水をつぎ、一息ついていると、ノックの音が鳴り響いた。
「リュネさん、お夕飯をお持ちいたしました」
「あ、その声さっきの。開いてるわよ~」
リュネが返事をすると、彼女を案内した少女、ネフェリーが姿を現した。
「よくお休みになっていたみたいですね。どうです?」
「ふっかふかね。あまりにふかふかしてて逆に落ち着かないわ」
それを聞いてくすくすと笑いながら夕食をテーブルに並べていくネフェリーに、リュネにも自然と笑みがこぼれる。
やはり女性は、笑顔が一番だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
目眩がしそうなほど、これでもかと高級な料理の数々が並んでいる。
お茶を受け取り、リュネは一口啜った。
これも、おそらくはかなりの値をする茶葉を使って淹れているのだろう。
「では、私はこれで…………」
「ちょっと待って」
リュネは不意に、ネフェリーの腕を掴んだ。
そして、そのまま袖をまくる。
疑惑を、確証に変えるために。
結果から言えば、リュネの予想は当たっていた。
少女の腕には、無数の痣。
中には、切り傷のようなものも見受けられる。
慌ててネフェリーが腕を振り払って袖を元に戻すが、もう遅い。
「やっぱりね。あなた、ここでは相当悪い待遇受けているみたいね」
そう言って溜め息をつくリュネに背を向けたまま、ネフェリーはか細い声で肯定する。
「はい…………」
「ま、だからどうだとは言わないけど。でも、あなた自身はどう思ってるの、今の生活?」
「仕方ないんです。私のような駄目な人間を使ってくれるところなんて、今までなくて。ここが最後の望みだったんですから………」
そう諦めたように口にするネフェリーにより盛大に溜め息をつき。
「質問にはきちんと答えて。仕方がないかどうかなんて、そんなことは聞いてない。〝あなた自身がどうしたいか〟。これを訊いてるの」
「私自身が、したいこと………」
「そうよ。いい? これはあなたが何をすべきか訊いてるんじゃないの。もう一度訊くよ? あなたは一体、どうしたいの?」
それは、かつてかけがえのない恩人であり、愛すべき人と同じ言葉。
自分の意志で歩くための、最初の試練。
苦しいだろうが、こればかりはネフェリー自身が決断を下すしかない。
リュネとしては、苦しいことばかりのこんな箱庭からは抜け出してほしいというのが本音だが、ネフェリーがもし残ると言えば、それはそれ。
彼女の選択は、彼女だけのものだ。
だから、促した。
彼女が選択する、その機会を。
「私は…………」
ネフェリーは口ごもる。
無理もないだろう。
これからの人生を左右する、大きな選択となりうるかもしれないのだから。
そんな彼女に、リュネが更なる言葉を掛けようとした、その時―――――。
「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
悲鳴が、辺りに響き渡った。
「今のは!?」
「行ってみましょう!」
2人は現場に急行した。
屋敷の廊下を突っ切り、音がしてきた方向―――――外へと駆け出していく。
外では、2つの陣営が対峙していた。
片方は、この村の住人達。
皆一様に、がたがたと震えている。
もう片方は、皆一様に斧や剣で武装した荒くれ者の集団。おそらくは、彼らこそが依頼にあった山賊なのだろう。
リュネがそう状況を読み込んでいると、ふと山賊の親玉らしき男が口を開く。
「よう。またぶん取りに来てやったぜ」
そう、卑下た顔でげへへと下品に笑う大男。
その顔が、夢の中に出てきた山賊と被るような気がして、リュネは拳を強く握る。
村人たちは動かない。
抵抗らしい抵抗もせず、ただ震えるのみ。
(こんな時に何やってるのよ、あの馬鹿村長…………!)
警備兵をいくらでも所有しているというのに、それを使って鎮圧しようともしない村長へリュネは心の中で毒を吐く。
普段は威張り散らしているような腐った貴族は、こんな肝心な時に臆病で役に立たない。身を以って解っているはずだったがそれでも失望の色は隠せず、リュネは舌打ちした。
そうして尚、眼前の男達をポーカーフェイスで見つめる。
ここで感情的になって、相手を刺激してはいけない。
だが。
「げははははは! てめえら、構わん! やっちまえ!」
その言葉が、リュネを完全に理性の檻から解き放った。
「待ちなさい!」
どっと女や家屋に押し寄せていた山賊の波が、気付けば叫んでいたリュネの凛とした叫び声に一瞬その行動を止めて、それが図らずも一時の静寂をもたらす。
だがそれも、
「おう、嬢ちゃん。なんか言ったか?」
という、小馬鹿にしたような親玉の言葉が破った。
それに怯むこともなく、リュネは低い声で再度、言葉を口にする。
「待ちなさいと言ったのよ。今の治世に胡坐をかいて、それでも尚こんな馬鹿みたいなことしてる、大馬鹿さん達?」
なんだと!とか、ふざけんな!といった言葉が山賊達の中で飛び交うが、それを親玉は手で制した。
その顔には、相変わらず余裕の笑みが浮かんでいる。
「ほう、俺たち相手にそれほどの口がきけるとは………気に入ったぜ。しかもよく見りゃお前、すっげえべっぴんさんじゃねえか。どうだ、俺とともに来ないか? そうすりゃ、お前の望むものはなんだって思いのままだぜ?」
と、好色な内面を隠すことなく下品な笑い声を上げながら言ってくる親玉。
一緒に来ないか。
嘗て、自分の人生を変えてくれた男が言った言葉。
それは確かに似たような言葉ではあるけれども、送り手受け手という違いのみならず、この男とは根本的に違う。
だから。
「ははっ、笑わせてくれるわね。誰があんたなんかについていきますか!」
「そうかよ。じゃあ仕方ねえ。力づくでも連れて行くぜ! 野郎ども、やっちまえ!」
おう!と声があがり、山賊の男達がそれぞれの得物を手に、じりじりとリュネを取り囲む。
「へっへ、悪く思うなよ、お嬢ちゃん。これもお頭の命令だ」
そう言って舌なめずりをする山賊の1人。他の面々も、総じて似たような表情を浮かべている。
この女はもう俺たちのものだ。そう考えているのが見え見えの、好色な笑み。
正直、気持ち悪い。
だが、彼らは知らなかった。
目の前にいる女が、〝ただの女ではない〟ということを。
「…………はぁ」
リュネはそれを見て、大きく溜め息をつきつつ、愛用のナックルを手にはめる。
嘗て恋した男に贈られ、以来ずっと使っている相棒。
年単位で使い通しであるにも関わらず、まるで新品のような輝きを放つ、彼女の宝の1つだ。
「言っとくけど。加減できるかは、保証しないわよ?」
「ぬかせぇっ!」
次の瞬間、周囲の山賊達が一斉にリュネへ殺到する。
その場の誰もがリュネの敗北を信じて疑わない中で、リュネだけが微動だにせず冷静にその光景を眺めている。
そして。
「がはっ…………」
肺から空気を吐き出す声とも似つかない、〝男の〟、しかも〝複数の〟呻き声が辺りに木霊する。
親玉の男を含め、村人たちまでもがその情景を、信じられないといった様子で呆然と見つめている。
「はぁ、手ごたえないわね~」
そう気のないように言ったリュネだけが、この場で唯一、異彩を放っていた。
「な、何をした?」
おそるおそる、親玉は問うた。
「何って、ただ殴り飛ばしただけだけど?」
「…………は?」
あっけらかんと言い放つリュネへ、間抜けな声で返すしかない親玉の男。
「さあ、最後はあんたね。ボッコボコにしてやるから、覚悟しなさい」
ナックルを構えなおし、リュネは眼前の、幾分焦りや恐怖が混じり始めた男の顔を睨む。
さながら、蛇にでも睨まれた蛙のように男がリュネの動きに合わせ、数歩後ずさる。
だが、それでも男の中で闘志は消えていなかったらしい。
「くそおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」
叫び、剣を振るう。
咄嗟に避けるリュネ。
空を切った刃は、それでも風を切って衝撃波を生み、近くにあった岩を粉々に粉砕する。
村人の中から、悲鳴が上がった。
「はっ………はははははははは! どうだ! 俺はこれでも、帝国では騎士団長にまで上り詰めた男だぞ!」
「嘘ぉ!?」
「ふはははははははは! どうだ、凄いだろう!」
自慢げにこれでもかと胸をそらす男。
だが、
「あんた程度が騎士団長になれたわけ!? どんだけ人材不足なのよ、帝国軍!」
「な、何ぃ!?」
根本的に、驚きのポイントがずれていたようだ。
山賊の親玉も、これには思わず姿勢を崩し、尻餅をついてしまった。
「………くくく、だがこれで解っただろう。この俺にはどうやっても勝てないということが!」
「ばっかじゃないの? 言ったでしょ、その程度だって」
「て、てめえ………もういい、ぶち殺す!」
ついに堪忍袋の緒が切れた男は、剣を滅茶苦茶に振るい、巨大な鎌鼬を発生させ続ける。
「う~~ん、どうしましょ」
そう言っているが、やることは大体決まっている。
このままリュネが避けてしまったら、リュネを狙っていた無数の巨大な鎌鼬は、直線状にいる村人たちへと牙を剥くだろう。
となれば、受け止めるしかない。
だが、相手の攻撃が如何せん大きい。並の攻撃では、いかにリュネといえど防ぎきれないだろう。
だから、選んだ。自分が今持てるだけの、最強の一撃を叩き込むことを。
リュネの拳に、神力が収束していく。
それはやがて凝縮され、巨大な拳型のオーラを形作った。
巨人拳。最強の破壊力を生み出す、リュネの拳術最高峰の形態だ。
「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
巨人拳を構え、フックを放つ。
放たれた一撃は、まさに巨人の鉄槌の如く。
まるで全てを薙ぎ払うかのように打ち出されたそれは、男の放った鎌鼬もものともせず、一度に数発を巻き込んで消滅させる。
「でやあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
続け様に今度はフックを打った体制のまま裏拳を放ち、それが残りの鎌鼬と激突し、霧散させた。
あまりのことに、今度こそ開いた口が塞がらない男へ、ゆっくりと、だがしっかりとした足取りでリュネは一歩一歩近づいていく。
「ま、待て! 悪かった! 悪かったから! そ、そうだ。俺が今まで奪った金! それをお前にやろう! いくらでもくれてやるぞっ!」
そう男が慌てて言うが、それでもリュネは止まらない。
そして、男のすぐ目の前まで来ると、にっこりと笑みを浮かべる。
「わ、解ってくれたか?」
「う~~ん………」
男の問いにわざとらしく考え込む素振りを見せるリュネ。
が。
「うん、無理♪」
清々しいまでの笑みと共に繰り出された生身の一撃が男の鳩尾にクリーンヒット。
それだけで、呆気なく男は意識を手放した。
途端、沸き起こる大喝采。
村人が駆け寄ってきてあれこれ言ってくる輪の外で、静かに微笑んでそれを見ているネフェリーが目に入った。
それにつられて笑みを起こすリュネ。
これで救われたのかは解らない。
だが、今は力の続く限り、自分に出来ることをしていこう。
リュネの決意は、輝く星に彩られた漆黒に溶けていった。
「………と、いうわけ」
一通り話し終え、リュネは出された紅茶を啜った。
ここは、所変わってグランヴァール帝国城。
現在彼女はその城の中でも関係者しか入ることの出来ない貴賓室、そのVIP席にいる。
そして彼女の目の前には、ふてぶてしい顔にこれでもかと呆れを滲ませた青髪の青年が座っている。
「…………どうでもいいが、いい加減突然押しかけてくるのはやめろ。いくら俺でも、さすがに対応に困る」
「ははは! 何よ、嬉しいくせに♪」
そう言って、リュネは青年―――――マクスの隣の席に移動すると、体を密着させる。
知らぬ人が見れば、恋人同士にも見えそうな構図だ。
「引っ付くな」
「照れちゃって」
「照れてねえ。だが、お前も本当にお人よしだな。せっかくの報酬を丸ごとどっかの誰かさんにやっちまうとは」
そう。
リュネは今回の依頼の報酬を全額、とある人物に渡していた。ネフェリーである。
これで、自分の生きる道を決めなさい。
そう言ってやると、ネフェリーは最初こそ遠慮していたが、渋々ながら受け取って荷物をまとめていた。
屋敷を出て行く彼女の顔には、確かな笑顔が浮かんでいたのをリュネは今でも覚えている。
「いいじゃない。喜んでくれたんだし~♪」
「………たく。一体誰に似たんだか…………」
「あら、あなただと思うけど? あなたは私の一番大切な人で、一番一緒にいた人なんだから」
「…………あのな。俺がそんな柄かよ」
「間違ってるとは、思えないけど?」
それを言うと、マクスはそっぽを向いて。
「……………勝手にしろ」
とだけ言った。
そして、徐に立ち上がり、歩き出す。
「ほら。行くぞ、〝リュネ〟」
「………うん! マクスっ!」
そう。彼こそ、彼女が一番大切に思っている人。
世界で唯一、絶対の存在。
だからこそ、少女は願う。
彼の願いがかなう時が、いつの日にか訪れんことを。
それがたとえ茨の道であろうとも、それでも少女には覚悟がある。
愛すべき人と共に歩む。
それが、彼女の全てなのだから。
~神の黄昏~
神崎「よ~~~~~~~~~~~やく、脱稿しました!」
リュネ「おそおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーい!」
神崎「ぐぼっ!? ぎ、巨人拳は、勘……弁………」
リュネ「それくらいじゃ死なないでしょ? 後書き空間なんだし♪」
神崎「ま、まあそのとおりなんだけど。もうちょっと手加減してくれてもいいんじゃないかなって………。さあ、というわけでリュネの過去編その1は終了です」
リュネ「長かったわね~、今回は」
神崎「納得いく形にしてたらこんなんなっちゃってね。まあ、おかげで納得いく出来になったからいいんだけど」
リュネ「しかし私、強いわね~。さっすが私!」
神崎「確かに強いね。でも、これでもマクスには大きく劣るんだよ? 設定は後々出るし、ここ言うとネタバレになっちゃうからあえて言わないけど」
リュネ「そうなんだ。まあ、それでもいいわよ。これでマクスの役に立てるんだから!」
神崎「マクスのことは今でも好きかい?」
リュネ「………好きよ。あいつのためだったら、何したっていいってぐらいに」
神崎「ま、頑張れ。ライバルは多いけど」
リュネ「うん♪」
神崎「さてと、今回はこんなものでしょうかね。ではリュネ、次回予告を」
リュネ「はいは~い♪ 次回、『追跡劇と、意外な欠点』」
神崎「人間は不完全。故に求めるのだろうか………」