薔薇色の不安
ロザリーの心に影が落ち、不安にさいなまれる日が幾日か過ぎた。
午後のお茶のあと自室で本を開くロザリーだったが、内容は全く入ってこない。考えるのは、リディアーヌのことばかりだ。
天気はよく暖かな日だというのに、彼女は訪れない。
奇妙な確信を持ってしまったロザリーは、お洒落にも身が入らなくなってしまった。
今日のドレスは、お気に入りではあるけれど所々満足のいかない場所が出来てしまったローズピンクのものである。
体のラインを強調しない、子供っぽいデザインだ。
着倒してしまったから、色あせて青みがかって見えるし、レースやフリルも擦り切れている部分があった。
それでも、お気に入りなので手放せない。
見た目はパッとしないが、このドレスに身を包んでいるとロザリーは落ち着いていられた。
だが今回は違う。混乱状態に陥って叫びだしたりしないだけマシ、という程度の効果しかない。
(お姉さまは、魔王の花嫁なのかしら ――)
突拍子もない考えが沸き上がってロザリーの心を不安で満たしていく。
人の口というものがどういうものか、ロザリーも知っている。
財産があったり、地位が高かったりすると妙な称号を与えられるものだ。
魔王と呼ばれているからと言って、本物の魔王とは限らない。
魔王の正体が人間だったとしても、近隣にそのような噂のある人物はいない。
近隣にいないということは、遠方にいるということだ。
(嫌だわ。お姉さまが遠くに行ってしまわれるなんて、嫌だわ)
ロザリーにとって結婚とは距離を隔てるものではなく、むしろ近付けるものだった。
実際、貴族の人間関係など狭い。
結婚してもアチラの舞踏会、コチラのお茶会と、顔を合わせる機会は沢山あると思っていたのだ。
「そう言えば……ご結婚されるのは知っていたけれど、お相手の名前を聞いたことは一度もなかったわ」
自分のつぶやきで心細さは尚更募る。
ロザリーは唇を噛んだ。
確かに考えてみれば、外国に嫁がれる方もいる。リディアーヌが国外に嫁がないという確証はない。
なぜ確かめておかなかったのか。ロザリーは後悔した。
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不意にドアをノックする音が響き、続いてエメリーヌの声がした。
「ロザリーさま、いらっしゃるかしら?」
「……はい」
声の主は未来の義姉だった。ロザリーは本を閉じ、ドアを開けた。そこには、気づかわしげな面持ちの見知った顔があった。
「どうかされましたか?」
「あのね。急だけど、リディアーヌさまの所へ行って来てくれないかしら?」
「何か……ありましたか?」
心が騒ぐ。より濃い不安がロザリーを染めていった。
「私の気にし過ぎだとは思うけれど……」
ロザリーの後見人である美しい伯爵夫人は、眉をひそめて気遣わしげな表情を浮かべた。
「結婚が近いという話なのに、リディアーヌさまのお屋敷から人の気配が消えたというの。大事な時期だというに、屋敷をあけたりするかしら? 屋敷の主や家族の数人というのなら、まだ分かるわ。でも……使用人も含めて人の気配がしないとなると話は別よ」
「えっ⁈ 使用人まで?」
「そうなの。おかしいでしょ? 旅行に行くという話も聞いていないし。そもそも、旅行に行くにしても屋敷を管理するための使用人は置いていくものだわ。なんだか様子が変なのよ。アーサーをお供につけるから、見に行ってきてくれないかしら?」
アーサーはエメリーヌの弟だ。伯爵家の次男であり、騎士でもある彼は護衛役としてうってつけの人物だろう。
ましてや、彼はロザリーの婚約者なのだ。断る理由がない。
「はい」
だから答えはイエスなのだ。
心配事があるのに、アーサーに会える嬉しさで頬が緩む。
(私ってば不謹慎よね?)
そう思っても、愛しい婚約者に会えるのは嬉しいことなので、体の内側から湧いてくるワクワクした気持ちをロザリーは止められない。
エメリーヌは、そんなロザリーを見て不安からくる緊張を解いてクスリと笑った。
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翌日。午前中だが他家を訪れるに適した時間帯を見計らって、デュヴァリエ伯爵の執事はロザリーの部屋のドアをノックした。
「お車の準備ができました、お嬢さま」
ロザリーの用意は完璧だった。
華やかなピンクのドレスに青い宝石をアクセントとして使った装いは、ロザリーの健康的な美しさを引き立てていたし、婚約者であるアーサーの色も取り入れている。
(アーサーと会うのも久しぶりだわ)
ロザリーは軽やかに階段を下った。その先には、美しい金髪と青い目を持った婚約者、アーサーの姿があった。
スラリとした引き締まった体に茶色のハットにコート、白のブリーチに茶色のブーツ。
ロザリーの色を使った服装は一見地味に見えるが、アーサー自身のきらめく金髪をより引き立てて彼を魅力的に見せていた。
(私の婚約者は、なんて素敵なのかしら)
彼女の心を染める色は、幼い頃から変わらない。
アーサーを見つめるロザリーはウキウキした気分に包まれた。
「こんにちは、ロザリー」
彼女に気付いた背の高い美丈夫は、うやうやしく礼をとる。
「ごきげんよう、アーサー」
ロザリーはドレスの両脇をつまんで優雅な礼を返した。
そして顔を上げた二人は視線を合わせて笑う。
「可愛らしいカップルですこと」
「本当に」
見送りに出た、おばあさまもエメリーヌも笑顔になった。
若く将来を嘱望されるカップルの姿は、いつだって未来への希望だ。
また、それを見守る者たちにとっての過去なのだ。
「ふふ。昔を思い出すわ」
「そうですわね。ふふ」
おばあさまとアーサーの姉は顔を見合わせて笑った。
笑顔に見送られて外に出たロザリーが目にしたのは、玄関アプローチに止められている使い慣れない道具だった。
「今日は自動車なのね」
ロザリーは新しい技術を興味深そうに眺めた。
「自動車って前の方ばかりが大きくて不格好なのよね。私たちが乗る場所はバギーくらいしかないわ」
「一頭立ての軽装馬車にしては高価だけどね」
「たしかに。それに馬がいないのが不思議」
「そりゃ、エンジンで動くからね」
黒光りする車は前ばかり大きくて、ロザリーには不格好に見えた。
「馬車でもよかったのでは?」
「ああ。そのまま待っててもらう予定だからね。馬だと……」
「そうね。時間がどのくらいかかるか分からないものね。と、なると一回馬車を屋敷に返すわけにもいかないし。馬を待たせすぎるのも可哀想かも」
「いや、馬だと色々と道に落とすから……」
一瞬、何を言われたのかロザリーは分からなかった。
しかし、ニヤニヤと笑うアーサーを見てからかわれたことに気付いた彼女は呆れたような、たしなめるような視線を婚約者に投げた。
「もう、アーサーったら」
澄ました顔をしていたアーサーだったが、こちらを睨んでいる愛しい婚約者の姿に思わず噴き出した。
「……ップッ」
「もぅ、アーサーってば酷いっ」
と言いつつも、つられてロザリーも笑った。
「ふふ、悪い悪い。さぁ、どうぞ。素敵なお嬢さん」
「んっ、いいわ。許してあげる」
ロザリーは差し出された腕に自分の手を添えて、あえて澄ました顔を作った。
黒光りする車の横には見知った顔が控えていた。
「どうぞ、お嬢さま」
「ありがとう、エリオット」
二人が乗りこむのを確認すると、運転手のエリオットは静かにドアを閉めた。
自動車が大きな音を立てて振動する。
「この動き、慣れないわ」
「まぁ、乗り心地がいいとは言えないけど。馬車だって揺れるからね。そのうち慣れるさ」
「んー。時代についていくって大変ね」
「そうだね」
自動車がゆっくりと動き出す。
「この車もボクと一緒にドヴァーニュ伯爵家に入る予定だよ。エリオットも一緒にね」
「そうなのね。屋敷には使用人もいるけれど、叔父さまについて一緒に出ていく者もいるでしょうから、いいんじゃないかしら?」
「ああ。細かいことはボクとキミの叔父さまとの間に話をつけておくよ」
ここからリディアーヌの住む屋敷は、さほど離れてはいない。
自動車は細い砂利道をゆっくり進んでいたが、たいして時間をかけずに目的地へと到着した。
馬車置き場に荒れた様子はない。
見慣れた馬車もチラホラと置かれたままだ。
「変わった様子はないけれど……」
ロザリーは辺りを見回しながら車から降りた。
「どのくらい時間がかかるか分からない。エリオットは、ここで待っていてくれ」
「はい、承知しました」
エリオットは二人が降りた自動車のドアを閉めるとロザリーたちを見送った。
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薔薇はざわめく
太陽が高く昇った午前中の日差しを浴びた屋敷は青い空を背景にして鮮やかに浮かび上がる。
装飾も美しい大きな屋敷に、よく手入れされた花々の咲き誇る庭。
侯爵家にふさわしい佇まいのそれは、見てくれだけは立派なのに妙に静かで不気味だった。
アーサーは首を傾げた。
「確かに人の気配がない」
「そうね、アーサー。こんなに静かなお屋敷は、見たことがないわ」
大きな入り口の扉はピッチリと閉まっていた。
「凄い屋敷だね」
アーサーは感嘆の声を上げて屋敷を見上げた。
「子どもみたいな真似はやめてちょうだい。恥ずかしいわ」
「ふふ。誰も見てないから平気だよ」
ちっとも懲りた様子のない婚約者は、口元を悪戯に歪めて笑う。
そんなアーサーにロザリーは噴き出した。
「もう、アーサーってば仕方のない人ね。でも……確かに人の気配がないわ。ここまで静かなのは変よね」
豪華で美しくあればあるほど、静寂は神秘的な色を帯びて不気味に屋敷を覆う。そこはまるで異世界のようだ。
「この屋敷。人の気配がないわりに、美しく整い過ぎている。なんだか妙だな」
「ちょっと見て回りましょう。少し時間がかかるかも。馬車で来なくて良かったわ。エリオットが退屈しないといいんだけど」
「ハハハッ。彼なら大丈夫。昼寝でもしてるさ。昨晩は、お楽しみだったようだから」
「もうっ、アーサーったら」
ペチペチと広い背中を叩きながら、ロザリーは婚約者をたしなめる。エリオットとその恋人のマーサは、とても仲が良い。
「小間使いも連れて行こうかと思ってる。あの二人を引き離すのは酷だからな」
「ふふ。そうね。マーサも一緒なら私も心強いわ」
知っている使用人が増えるのは頼もしい。
それにあの二人からは、そのうちに嬉しいお知らせがあるのではないか、とロザリーは思っていた。
ロザリーは幸せなお話が大好きだ。
世の中が幸せなお話で溢れてしまえばいいと、ロザリーは常々考えていた。
(マーサとエリオットも、私とアーサーも、幸せになる人は沢山いたほうがいいわ)
だから自分も幸せになりたいし、周りの人にも幸せでいて欲しい。
大好きなリディアーヌのことであれば、ならなおのこと幸せでいて欲しい。
「静かだわ」
なのに、屋敷は不安を感じるほど静かだった。
「これだけの屋敷であれば、使用人だけでも賑やかになるでしょうに……静か過ぎるわ」
ロザリーは落ち着かない気分で辺りを見回した。
すると庭園の一角。
薔薇が咲き誇る辺りから、サワサワとした葉の揺れる音にも似た騒めきがこぼれているのに気付いた。
「あれは何の音かしら?」
「え? 僕には聞こえないけど」
アーサーを従えてロザリーは音のする方へと足を向けた。
そして、目の前に広がった光景に思わず息を飲む。
薔薇の花の壁。まるで壁のように薔薇の花が咲いていたのだ。
「これは……」
ロザリーは息を呑んだ。こんな花は見たことがない。ロザリーは一瞬、そう思った。
だが、よくよく見れば一つひとつは見知った花で。殆どは薔薇の花だ。ただ咲き乱れ方が半端ではない。
互いに絡まり合いながら群れを成し、壁を作り、高く広く咲いているような状態なのだ。
「初めて見るな。これだけの量の薔薇の花は」
アーサーは感心したようにつぶやいた。
「蔓も凄いわ。トゲの生えた蔓がこんなにも重なりあって生えているなんて……怖いくらい」
「ああ。生き物のよにも見える」
「まるで壁ね」
「ああ。何かを覆い隠すような壁のようでもあるな」
重なり合う緑の蔓はトゲで互いを傷つけ合いながら、ガッチリと絡まり合っている。
それなのに花は、見事なまでに咲き乱れていた。濃厚な香りが二人を包む。
「ああ、凄いわ……」
白にピンク、深紅に黄色。色とりどりの薔薇の花が咲き乱れている。
花々は風もないのに揺らめき、煌きながら香っている。
初々しくも、どこか怪しげな香りに、ロザリーは眩暈を覚えた。
ロザリーを中心に世界が回るような、錯覚。
右も左も。上も下も。北も南も。全てが回っては入れ替わり、彼女は自分が何処にいるのか、見失った気がした。
「ロザリー?」
アーサーの声が遠くに聞こえる――――
(えっ? これは、なに?)
耐え切れば目を閉じ、右手で額をさすってみたが眩暈が収まる様子はない。
異変に気付いたアーサーが不安げに叫ぶ。
「ロザリー? ロザリー⁈」
ロザリーは左手をギュッと握り込んでみたがダメだった。
意識が吸い込まれていくような感覚を、遠くなるアーサーの声を聞きながらロザリーは感じていた。
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薔薇のなか
―― 何が起こったのしら ――
ロザリーは目眩が治まると、恐る恐るそっと目を開けた。すると……。
「お姉さま?」
ロザリーは目を見張った。目の前にリディアーヌその人が立っていたからだ。
「お姉さま。探していましたのよ」
一歩前に出て、リディアーヌへと手を伸ばす。しかし、リディアーヌの反応はない。
駆け寄って彼女の白い手を包み、ロザリーは思わず声を上げる。
「冷たいっ」
ロザリーは自分も凍えてしまったかのように思わず身を固くした。
「こんなに冷えてしまって……どうしたのです?」
ロザリーは呼び掛けてみたが、リディアーヌは目を開けて正面を見ているというのに全く反応がない。
「お姉さま?…… リディアーヌお姉さま?」
ロザリーは不安と苛立ちを表情に滲ませながら、リディアーヌの顔を覗き込み問いかける。
凍ったように表情を変えないまま、彼女の唇か動いた。
「あなたが、来てくれたのですね」
嬉しそうな声。聞きたくて、聞きたくて、仕方なかったハズの声なのに。
その声を聞いた途端、なぜか全身が震えた。
強烈な違和感。なぜなのか。
ロザリーはアーサーの姿を求めて振り返る。しかし、そこに彼の姿はなかった。
「なぜ?」
いつの間にか、薔薇は背後に咲き乱れている。
屋敷が見えない。アーサーの姿どころか屋敷すら見えない。屋敷はどこへ消えたのか。
いつの間にか消えて、周囲の全ては薔薇の花。ここにはロザリーとリディアーヌしかいない。
ロザリーはブルリと震えるとリディアーヌに問うた。
「……ここはどこですか?」
愛しい人の手を握り、呆然としてロザリーは問う。
「さあ? ……私にはわかりませんわ」
リディアーヌは微笑む。いつもよりも。知っている顔よりも。色香が増した笑顔が目前にある。
ひどく熟れた女性の妖艶な笑み。
クラリと眩暈を覚えるような魅惑的な笑みを浮かべた見知った顔が、意外な言葉を紡ぐ。
「あなたの、お名前は?」
ロザリーは面食らった。
「ロザリーですわ、お姉さま。お姉さまは、私のことをご存じのはずでしょう⁈」
「あら、そうだったかしら?」
リディアーヌは小首を傾げた。その細く美しい白いうなじには、小さな傷痕があった。
「それよりも。ねぇ、ロザリー。この花の美しさに見惚れてくださらなくては嫌よ。この庭にあるものは全て、私が愛しているものですから」
可憐でありながら妖艶な笑み。それは、ロザリーが今までに見たことのないリディアーヌの表情だった。
そして、小さな傷痕からは、小さな小さな芽が出ていた。緑色した、小さな芽が。
「お姉さま……」
―― これは、お姉さまでない? いえ、これこそがお姉さま? ――
ロザリーは混乱した。
彼女が知るリディアーヌは、純白の乙女であるリディアーヌだ。
目の前には、恋も愛も知っている妖艶な一人の女性であるリディアーヌがいた。
どちらもリディアーヌその人であり、とても魅力的であった。
金の瞳が妖しく光りながらコチラを見ている。
(お姉さま……)
ロザリーは身を滅ぼしても良いと感じるほどには、惹きつけられた。
それと同じだけ、恐れる気持ちが湧いた。
リディアーヌが一歩、こちらに近付く。ロザリーは一歩、後ずさった。
「なぜ逃げるの?」
「……わからない、けど……」
ロザリーは混乱していた。そして恐怖を覚えていた。
リディアーヌは、ロザリーの戸惑いと恐怖すら愛しい、とでも言いたげな表情を浮かべてコチラを見ている。
その瞳が金色から揺らいで緑へ、そして青へと変わっていく。
「ロザリー、思い出したわ。そうよ。あなたは、私の可愛い人。あなたは、私だけのものだわ。誰にも渡さない」
リディアーヌの顔をした彼女は言うが早いか、ロザリーを引き寄せ抱きしめる。そして、ロザリーの唇を奪ったのだった。
―― お姉さま。なんて大胆な。でも、お姉さまらしくない。ああ、でも。なんて魅力的な ――
冷たく柔らかな感触が唇を通して伝わってくる。
ロザリーの心が乱れ、足元がグラグラと揺らぐ。
リディアーヌの目が驚きに見開かれて、金色に変わる。
怯えるように唇を離すリディアーヌ。
ロザリーに、その理由を知る術はない。
(ああ、お姉さま。離れたくない。お姉さま――)
いつの間にか心を満たしていた欲望をリディアーヌへと伝えることも叶わぬままロザリーの意識は遠のき。
体は全ての力を失っていった。
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薔薇色の幻?
「ロザリー? ロザリー、どうしたの? ロザリー?」
「ん……アーサー?」
(私はどうして……ココは、東屋?)
ロザリーが気付くとアーサーが心配そうに覗き込んでいた。
「ああ……私は……」
「キミは庭で倒れたのだよ。大丈夫かい?」
「え……ええ。大丈夫」
(あぁ、私ってば。アーサーの膝の上に……)
ロザリーは東屋に運び入れられ、頭だけアーサーの膝の上に乗せられていた。
「キミは体調が悪いようだし。誰も見当たらないから今日は帰ろう」
「ええ。そうね、ええ」
慌てて飛び起きたかったロザリーだが、体に力が入らない。
「無理しないで。そこはボクにエスコートさせてよ」
アーサーは呆れたように溜息を吐いた。
「だって……そんな、はしたない」
「ふふ。いいじゃないか。時期に結婚するんだし。そもそも子供の頃に……」
「もうっ、子どもの頃の話はしないでっ」
「ふふ。赤くなっちゃって。可愛いね」
「からかわないで」
ロザリーは自分でも頬が熱くなっているのが分かって、両手を顔に添えた。
「無理はしないの」
アーサーはヒョイと彼女を持ち上げて立たせた。
「ホントはお姫さま抱っこで運びたい所だけど。それをするとキミは怒るからさ」
「あっ、歩けるわよ」
ロザリーはアーサーの助けを借りてヨロヨロと歩いた。
隣でアーサーは肩を揺らす。
「もうっ。笑わないでっ」
「くくっ。だってさぁ……」
アーサーは黒い自動車が視界にはいると叫んだ。
「エリオット、手伝ってくれっ!」
「ハイハイ……え、どうなさったんですか? お嬢さま」
ロザリーを見るなりエリオットは驚きの声を上げた。
(まぁ! 驚かれる程度には普段とは違うのね。自分では分からないけど)
とはいえ、ロザリーにも理由は分からない。
(あの話をそのままにしても、私がおかしくなったと思われるだけでしょうし)
「それが……私にも、よく分からないの」
「彼女は急に倒れてしまってね。まだボーっとしているようだ」
アーサーの言葉に、エリオットは気づかわしげに眉根を寄せた。
「それはいけない。早く屋敷に帰りましょう」
アーサーとエリオットの二人がかりで車に乗せられたロザリーは、席に腰を落ち着けた安堵感から再び目を閉じた。
全てにもやがかかっているようで頭が回らない。今は何も考えたくなかった。